困嬉obbligato



馬鹿みたいに跳ねる心臓が、鬱陶しいくらいに騒ぎ立てる





終わった筈の恋が、また。





 こんな嬉しくないデートがあっただろうか。いや、ない。
 女の子と歩いているのにも関わらず、デビトは苦虫を噛み潰していた。
 目の前では、可愛い女の子が何やら楽しげに話していて、疎外感を感じているわけではない。ただ、何が悲しくて数日前まで野郎だった人間の服を選ばなければならないのか。
 これがまあ、何の関係も無い野郎だったら笑い飛ばしてからかって終わりだっただろう。
 だがしかし、数日前だった野郎は旧知の仲で兄弟みたいに育った野郎で、ついでにいえば永遠の「心の恋人」だった訳で。
 思いを伝えるとか伝えないとかそういうレベルではない、ただ、そいつがいてくれれば良いと思うくらいの人間だった訳で。
 心中複雑、とはこの事かもしれない。
 苦虫をこれでもかと言うくらい噛み潰していると、不意に口に甘いもの。何かと思えば、自分を見上げてくる二対の瞳。
「どういうつもりだテメェ」
 パーチェが自分の口にドルチェを詰め込もうとしていた。
「いや、さっきそこでミルコがくれた」
「ミルコだぁ?」
 口元に付いたクリームを舐めると、ぎらりと片方の目でその人物がいるであろう方向をを見る。
 そうすると、ドルチェを売っているミルコがすみません、と頭を下げていた。
「オレだって分かんなかったのかなぁ」
「分かるかバァカ」
 元々甘いものが好きではないデビトにとって甘ったるいクリームは、まさに女の子そのもので。
 甘くてくどくて、いつまでも舌に残る。
「デビト、嫌?」
 同じドルチェをデビトに差し出しているフェリチータに、デビトはふっと笑って。
「バンビーナが口移しで食べさせてくれるなら、食うけど?」
「オレと扱いが違うと思いまーす」
「テメェは元々男だろうが!」
 ああ、もう調子が狂う。
 周りから見れば、いつものデビトの筈なのに、それなのに。
「ほら、行くぞ!」
「え、ちょ、あ……」
 ぐらり、とパーチェの体が揺れるのを見て、本当に思った以上に気が付くと自然にそれがあたかもナチュラルであるかのように、つまりは、無意識に。
 その腰を抱き止めるように手を回していた。
「何やってんだよ」
「や、慣れない体って不便だなーって」
 フェリチータが選んでくれた靴にヒールは無い。
 それでも、女の体に慣れていないパーチェはちょっとした事で直ぐバランスを崩す。
 ――、っ、マジかよ……
 抱きとめた腰は、本当に細かった。
 折れそうな、女の体だった。
「ふらついてんじゃねーよ」
「ごめん。じゃ、お嬢、いこ!」
 いつもの笑顔を浮かべた後、そう言ってパーチェはフェリチータの手を握る。
 手を握るのはパーチェの癖のようなもので、不意に傍にいる人間の手を握る事があった。最近は無いものの、ルカやデビトなど町中で手を掴まれて殴ったのは懐かしい思い出だ。
 辛気臭い。
 デビトは肩を竦めて歩を進める。
 思い出なんて、無い方が良い。温かい思い出はたまに大きな傷となって押し寄せる。それは、ジョーリィに植えつけられた痛み以上に、大きな傷となって。
「デビト」
「あー、分かった」
 名前を呼ばれて、苛々と足を進めた。





「つー訳で、フェデリカ、頼むわ」
「本当に、パーチェ?」
「本当にパーチェです」
 馴染みの店にパーチェとフェリチータを連れて入ると、少々はしょって経緯を説明し店主であるフェデリカに丸投げをした。
「何ていうか、流石、神秘の家族、って感じね」
「オレもそう思います」
 胸の開いたセクシーなドレスに身を包んだフェデリカはじっとパーチェを見た後、他の店員に美容師のノーノを呼ぶように頼んだ。
「アルカナファミリアの頼みは断れないわよね。でも、良いのかしら?」
「何が?」
「貴方が選ぶんじゃないの?」
 フェデリカにそう言われて、デビトは鼻で笑うと。
「昨日一昨日まで男だったヤツに使う気力も体力もねェナ」
「……男って、本当に物事を固く捉えるのね。いいわ。パーチェ、こっちに来て」
 フェデリカはすっとパーチェの手を取ると、店の奥に入っていく。その時のパーチェの視線がどこか寂しそうに見えたのは、フェリチータの気の所為ではない。
 その目を見たフェリチータが後を着いて行こうと足を進めると、その肩を掴まれた。
「デビト……」
「あー言う事はフェデリカに任せとけって。それより、バンビーナに似合うもの探してやるよ」
 に、と子供のような笑顔を浮かべて、デビトは勝手知ったるなんとやらで店の中を探し始めた。
「前に、フェデリカの猫を助けた時にドレスを貰っただろう? あれに似合う、この髪飾りなんかどうだ?」
「あの……」
「それとも、このネックレスか。こりゃ真珠だな。いや、こっちのグローブも…」
「デビト……」
「靴はこっちの方がいいかもナ。それとも」
「デビト!」
「どうした、バンビーナ」
 自分の名前を叫んだフェリチータを見ると、その顔は怒っていた。多分。
「ここ」
「あ?」
「ここ、座って」
 フェリチータがぽんぽんと来客用のソファーを叩いて、デビトに座るように促す。
 本気の目のフェリチータに、デビトは両手を挙げるとそのソファーに腰掛ける。すると、フェリチータがその隣に座った。
「……私、パーチェの事が好きだった」
 ぽそり、とフェリチータはそう零す。
「へ?」
「だから、私、パーチェの事が……」
「あのバカの事が好きだったって? ……そりゃ、ご愁傷様、って感じだけど」
 突然のフェリチータの言葉に、デビトは目を丸くして慰めの言葉を探した。だが、フェリチータはそうじゃなくて、と首を振り。
「お兄ちゃんみたい、って思ってた」
「お兄ちゃん?」
 どう考えても兄と言うより犬に近いパーチェを思い浮かべて、デビトは疑問符を浮かべる。
「あいつより、ルカの方がお兄ちゃんじゃなかったか?」
 そのデビトの問い掛けに、フェリチータは首を横に振った。
「ルカは、ルカだし。お兄ちゃんってどんなものだろう、って思ったらパーチェみたいな人かなって」
「…………」
 思い当たる節が無いことは無い。
 デビトにとってもパーチェは兄のような存在であった事は間違いないし、面倒見が良かったのは確かだ。
 馬鹿だけれど、人当たりが良くて優しくて大らかで。だから、ダンテも自分の後継者にと思っていたのだろう。
 人望の厚い男だった。だからこそ、女になった事が悔やまれる。
「だから、パーチェが女の人になった時に、謝ったの」
「え?」
「私の所為だから。きっと、私の中の力が……」
 フェリチータが、ぎゅっと膝の上で拳を作った。
「それを、責めるようなヤツじゃねぇだろ」
「……笑って、お嬢、オレ生きてるよ、って。私を見て言うの。パーチェって何でも受け入れてしまうんだよね……」
 起こった事を、ありのままに受け止める。逆らう事さえせずに。
 それは、タロッコのことや特性のことが裏付けている。
「だから、だから、私、パーチェに申し訳なくて……」
「バンビーナ。そりゃ、バンビーナの所為じゃねェよ」
 女の子を泣かせるなんて、男の風上にも置けない。
 おそらく、パーチェの全てを変えてしまったのは、隠れたデビトの思い。あざ笑うようなレルミタの声が聞こえるようだ。
 お前の願いは、いつでも矛盾している、と。
「デビト……?」
 デビトはフェリチータの目の端に浮かんだ涙を拭うと、唇の端を歪に吊り上げる。
「あいつが死ぬ事を受けれいれられなかった、オレも一緒だ。馬鹿みたいに、何かに祈っちまったから、だから何かがイカれて……」
「ルーメ」
 フェリチータはぎゅっとデビトの手を握る。
「バンビーナ…?」
「そう、聞こえたの。デビトのその声が聞こえたの。あの時は、何か分からなかった。でも、あれはパーチェの事なんでしょう?」
 聞こえてたのか。
 デビトは渋い顔をして、「ま、そうなるわナ」と軽口を叩く。
「あのバカは、オレにとっては眩しかったんだとおもうゼ。生まれとか、性格とか、全部ナ。だから……」
 その時、店の中に入ってきたのは美容師のノーノで、二人の姿を確認すると軽く手を挙げて店の奥に消えていく。
 そのノーノに手を挙げるとフェリチータに言おうとした事が、結構恥ずかしい内容だった気がしてデビトは口を噤んだ。
「……バンビーナ?」
 すっと目を細めるフェリチータに、デビトは慌ててその目を塞ぐ。
「それは卑怯だろ、バンビーナ。人の心を勝手に覗くのはあんまり良い事とは言えないゼ?」
「……、パーチェの心」
「え?」
「私は、心の中が全部見えるわけじゃないの。色とか感情とか言葉とか。断片的なものを集めて、その人の気持ちを探るの」
 目を塞がれたまま、フェリチータは言葉を繋げた。
「昔は、人の心に触れるのが怖かった。表情と行動と感情がちぐはぐな人が多くて。でも、ファミリーのみんなは違った。感情がそのままだったの。触れても、温かかったの」
 じわり、とデビトの皮の手袋に涙が滲む。
「パーチェの心は、その中の誰よりも同じだった。考えている事と表に出ている事が同じだった。自分が死ぬって分かった時、悲しんだのは自分の事じゃなくて、全部周りの人間の事だった」
 フェリチータの口の端が歪んだ。
「そんな、パーチェが好きだったの。大好きだったの」
「そ……っか」
「……死ぬくらいなら、一回人生やり直せって思ったの」
「バンビーナ?」
「だけど、まさか女の人になるなんて……」
「バンビーナは、それが悲しいか?」
「え?」
 デビトはゆっくりとフェリチータから手を離すと、胸のポケットからハンカチを出す。
「バンビーナはイイ女だな」
「デビト……?」
「そう言う女には、秘密を喋りたくなるって知ってるか?」
 フェリチータの手をすっと自分の心臓の辺りに導いて、口の端を挙げると。
「口に出したら、誰が聞いてるかわからねェからな。オレの心を見てみナ」
 戸惑いながら、フェリチータはそっとデビトの心の中を覗く。いつも灰色の部分が綺麗に浮かび上がって、そこには。
「!」
「ナ? バンビーナの所為じゃねェだろ?」
 くしゃりとフェリチータの頭を撫でると、デビトは笑う。
「オレは、きっとバンビーナに似合うものならいくらでも探す事が出来る。それが、バンビーナに似合うって確証があるからナ。だけど、あのバカに似合うものはさっぱりわからねェ。アモーレの伝道師と呼ばれたオレがだ。馬鹿みたいだろう?」
 まるで子供のように笑うデビトに、フェリチータは首を横に振って。
「デビトが、パーチェを助けてくれたんだね」
「え?」
「私の祈り以上に、デビトの祈りが大きかったんだね」
 きっとあの場所で誰よりも強かった願い。
 フェリチータは、リ・アマンティに力の助成を願った。けれど、デビトはその身と引き換えに願った。
 パーチェに生きて欲しい、と。
 ふふ、と目を赤くして笑うフェリチータに、デビトは何となく居心地が悪いものを感じてソファを立ち上がると。
「あら、金貨の色男ともあろう人が、女の子を泣かせてるの?」
 フェデリカが薔薇の香りを纏って二人の前に姿を現す。
「女を泣かせるのも、色男の仕事だからナ。で、あのバカは何とか見れるようになったのか?」
「元が良いから、大丈夫よ。ノーノ、終わったかしら?」
 フェデリカが声をかけると、ノーノが出てきてフェデリカに説明を始めた。
 髪の量が多いから梳いた事と、簡単に結ぶ方法を教えたこと。そして、オススメのシャンプーとトリートメント。
 それを聞きながら、デビトは必要な知識としてそれを蓄えていく。
 おそらく、これから先パーチェには必要なことだ。
 そんな会話をしていたノーノを、ノーノの店の人間が呼びに来て、最後は畳み掛けるように物事を伝えて、最後にフェリチータの髪を一房掴むとキスをして出て行った。
 この島にはどうにも気障男が多すぎる。自分も含めて。
 そうしていると、情け無い声をあげながらパーチェが出てきた。
「ヒールが、ヒールが……」
「その歳でヒールの無い靴を履くのは諦めなさい。ほら、これでどうかしら? ファミリーの色を基調に歳相応の色気も詰め込んだつもりだけれど」
 確かに、ファミリーの色は濃く出ている。ファミリーらしい黒いきっちりとしたスーツ。そしてパーチェの年齢を考えた「色気」。
「基本的に童顔だから、強い色気は出せないけれど、アンバランスさが良いでしょう?」
 髪型は、簡単なポニーテル。櫛を通したしっかりとしたものではなく、ざっくりと纏めただけだ。前髪は元のパーチェの髪型に近づけている。そして、前髪の横の部分を軽く耳にかけて長く伸びた少しの髪を三つ編みにしていた。練習させるつもりもあるらしい。
 服は白のぴったりとしたブラウスに、胸を強調させるように口の広く開いたベストはコルセットのようになっている。ネクタイは結んでおらず黒いサテンのリボンが結ばれていた。
 その上にスーツの上を羽織り、下はホットパンツになっている。
「フェデリカ、このガーターってヤツしないと駄目?」
「そうしないと落ちるでしょう?」
 足は黒い絹の靴下を豪奢なガーターで留めており、ブーツは見た事のあるものだ。
「お嬢さんとお揃いよ」
「え……」
 フェデリカはふふ、と笑ってくるりと目を丸くしたフェリチータの頭を撫でる。
「これ。良いわよね、女の子同士のお揃いって」
 フェリチータの少女趣味を見抜いたフェデリカからの、ちょっとした贈り物だ。
「わ、お嬢とお揃いかぁ!」
 フェリチータのはにかんだような笑顔を見て、パーチェが声をあげる。
「お嬢さん、この人、女としてはまだまだだから、色々と教えてあげてね?」
 その言葉に、フェリチータはこくこくと頷くと、パーチェがぎゅっとフェリチータの手を握って。
「宜しくね、お嬢」
 満面の笑顔を浮かべた。  
 その光景を呆けてみていたデビトの袖をくい、とフェデリカが引っ張ると。
「まあ、貴方がいるなら大丈夫だと思うけれど」
「何が?」
 呆けていた事を悟られないように冷静を装って声を返したが、おそらくフェデリカには気付かれているだろう。女とはそう言う生き物だ。
「パーチェ、相当無防備だから気をつけてね。妙な男にたぶらかされたら大変よ」
「あいつをたぶらかすような男がいたらお目にかかってみたいもんだナ」
「鏡でも見たらどう?」
「へ?」
「その呆けた顔、とてもじゃないけど他の女の子には見せられない顔よ。貴方も妙な男である事には間違いないけれど、それ以上に妙な男に気をつけてね。色男さん?」
 全く、いい女と言うのは本当に勘が良くて困る。
 何も返さないデビトにフェデリカはそっとその耳元で。
「貴方好みの、ボディラインだったわよ」
 と、悪戯っぽく囁いた。
 それを聴いた瞬間のデビトは、本当に色男なのだろうかと思うほどに真っ赤になり、そして。
「フェデリカ」
「何?」
「すまねェが、あのバカに似合いそうな靴を見繕ってくれるか?」
「え?」
「女の靴のサイズを知らない男は嫌われるってね」
「そうね、それもイイ男の条件よね。分かったわ」
 フェデリカの言葉を聞きながら何やらきゃいきゃいと楽しそうなフェリチータとパーチェの二人を見て、デビトは気付かれないように顔を両手で覆った。






 そうして、哀れな隠者の恋心は、ゆっくりと時を刻み始めた。
 (デビトの灰色の部分は、パーチェへの柔らかくて綺麗な薄桃色で溢れてたの)
 (綺麗な綺麗な薄桃色。恋しい愛しい大切な人への、暖かな感情)
 (でもね、デビト。私は、優しい貴方も大好きなの)
 (貴方の優しさが、パーチェを助けてくれたから)
 (そして、その優しさが私の大事なファミリーを悲しませなかったから)
 (いつか、デビトの優しい想いが届くといいね)







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