消誕apertura
| 失う覚悟、手に入れる覚悟、どちらも出来ていないなら。
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訪れた崩壊、そして――
玄関ホールで、ちょっとばかり込み合っていた話をしていたルカの腰辺りに突然の衝撃が走った。
「お嬢さん…?」
その衝撃の原因の名を呼んで、ダンテがルカの後ろを見る。
「お嬢様? どうなされたんですか?」
自分の腰にがっしりと掴まったままのフェリチータを見て、ルカはあわあわと慌てたがフェリチータは頑なにルカの腰の辺りに掴まったままだ。
「どうしたんだよ、お嬢」
リベルタが、ん? と首を傾げると震える声で、「パーチェ、が」とだけ零す。
今日は確か剣と棍棒が一緒に動いていた筈。
朝から元気にパーチェが「今日はお嬢と行くんだ!」と張り切っていたから間違いはない。
「どうした? 食べ過ぎて倒れたか?」
モンドがリベルタと同じく首を傾げる。
「ダンテ、すみません」
ルカは自分の腰を掴んだフェリチータの手を取ると、そのまま走り始めた。フェリチータの指先は僅かに震えており、それがルカに警鐘を鳴らす。
まさか、そんな、まさか。
だって、まだ、五年……いや、一年でも良い。ある筈なのに、それなのに!
「ルカ」
フェリチータはルカの手を握って、その場に立ち止まる。
「お嬢様?」
「私、イシス・レガーロに行って来る」
「お嬢様…」
「だって、このままじゃ…」
溢れそうな涙を拭って、フェリチータはルカの手を振り切ると町の方へと走り出した。
本当ならルカが行くべきなのかもしれない。けれど、フェリチータは自分で行く事を選んだ。それ程に「迫って」いるのだ。
「すみません、お嬢様……お願いします……」
ルカは走り去っていく後姿に一礼をして、パーチェがいる場所――おそらく、マンマのところ――に早足で向かった。
「マンマ!」
「ルカ……」
いつもマンマが寝ているベッドに眠っているのは、見慣れた幼馴染の姿。
「……私の力も、もう及ばないようね……」
溜め息に近い深い息を吐いて、マンマ――スミレは、眠っているパーチェの頭を撫でる。
「ラ・フォルツァ――彼女は、パーチェが居なくなる事を悲しんでいる。それでも、彼女は力を欲している。全ての力を導く為に」
パーチェは言った。
自分は三十歳くらいまでしか生きられないだろう、と。
それが、パーチェの「ラ・フォルツァ」の特性だと知ったのは、つい最近のことだ。突然突きつけられた命の期限の話に、ルカもデビトも声を失った。
人の事には、人の悲しみや負の感情には、野性的な勘で気が付くのに。自分の痛みには、鈍感すぎるパーチェ。
デビトのように、全てを呪う事もせず。
ルカのように、救いを見つけることもせず。
ただ、訪れる命の終わりを笑って待っていた。きっと、フェリチータがいなければ、それはずっと閉ざされていた秘密。知る事の出来なかった秘密。
デビトみたいに痛いなーって訳でもないし、ルカみたいに辛いなーって訳でもないから!
痛みじゃない。辛さじゃない。徐々に近寄る死への足音を聞きながら生きる事は、同じ境遇のルカもデビトでも出来なかっただろう。
パーチェだから耐えられた、受け入れられた「特性」。
「もう、目を覚まさないんでしょう…か?」
「そうね。パーチェの精神は彼女が取り込んでいるから、もう……無理、かもしれないわね…」
スミレの微笑が少し引きつる。
「何度も話しかけているけれど、彼女の声しか聞こえないわ。ごめんなさい、って」
ただ眠っているだけのパーチェは、いつものように笑っている。言いたくは無いけれど、安らかな、と言う表現がぴったりなくらいに、穏やかに笑っている。
これから訪れるのが、「死」だなんて思っていないかのように。
「パーチェ、……貴方がファミリーで、本当に良かった」
愛しい娘と共にあってくれる、ファミリーで。
愛しい男を守ってくれる、ファミリーで。
スミレの声を聞きながら、ルカはぎりと奥歯を噛み締める。
何も出来なかった。錬金術は万能じゃない。けれど、何か出来ると思っていた。特性を振り払う事は出来なくても、何か、何か。
大事な幼馴染の為に。
バタン!
大きな音で扉が開いた。その音に扉を見れば、フェリチータの手を必死で掴んで走ってきた、眼帯の男。
「マンマ!」
「……デビト、落ち着きなさい」
「悪いが落ち着いてられねぇんだよ!」
デビト、パーチェが危ないかもしれない…
いつものようにイシス・レガートを取り仕切っていたデビトに、フェリチータはそう言った。
ちょっとした、と言うレベルではないいざこざをタロッコの力を使って収めたパーチェは、その後直ぐに倒れたのだと。棍棒のスートの皆がパーチェを館まで運び、フェリチータが根性でマンマの部屋まで運んだのだとこの部屋に来るまでフェリチータが話してくれた。
「パーチェのバカは…!」
「デビト、そんな声を荒げたらパーチェの時間が短くなるだけよ」
「!」
「少しでも伸ばしたいのなら、パーチェが落ち着ける空間を作って。……フェリチータ」
「……分かってる」
フェリチータは自分の鎖骨の辺りを、きゅ、っと握り締めた。
応えて、お願い、リ・アマンティ。
私に、ルオータ・デラ・フォルトゥナを使う為の力を貸して。
「デビト、貴方は第9のカードね」
「あ、ああ…」
すっと精神統一を始めたフェリチータの迷惑にならないよう、何かを叫び出したい声を押さえていたデビトに、スミレが声をかける。
「はじまりから、第10までは、精神世界。第11から第21までは、現実世界。本当なら、リベルタどダンテにもお願いしたいけれど、今は貴方しかいない。彼の――レミルタの力を、貸して頂戴」
「貸すったって、どうやって…」
「強く思う、強く祈る。現実世界のカードでは無理な力。そう、ルカでは無理なの。精神世界の貴方になら、出来る」
「ルオータ・デラ・フォルトゥナ」はタロッコと宿主の関係性を変える事が出来る。その代償は大きなものだけれど。
フェリチータが力を使う為には、代償が大きすぎる。
その為に、フェリチータはもう一つのタロッコに力を貸してくれと願った。それでも足りない分を、精神世界に身を置くタロッコの宿主であるデビトなら負担出来るかもしれない。
何が代償になるかは、分からないけれど。
「デビト…」
「祈るとか願うとか、オレの性分じゃねぇんだがな…」
デビトは舌打して、すっと息を吸い込んだ。
大事な、心の支えを失いたくない。
光の部分を失いたくない。
もし、パーチェのタロッコが消え失せても、パーチェがただの人間であっても、それでも「生きて」いてくれるならそれで良い。
……おい、聞こえてんだろ、レルミタ。
バンビーナに少し力を貸してやってくれ。その代償が要るんならいくらでもくれてやるから。
あのバカを、……助ける為の力を貸してくれ。
失うわけには行かないんだよ。
悔しいが……オレにとっては、あいつは「ルーメ」なんだ…
残った目だろうがなんだろうがくれてやるから、力を貸してくれ…
ゆっくりと、フェリチータの体が発光し始める。背中に羽根を広げるかのような光は、ばさりと広がって空間を包む。
ゆるりと、やわらかに、全てを包む。
これが、彼女の力。彼女の姿は、天使に良く似ているかもしれない。
ルカは、心の中で祈る。
お嬢様に何も起こりません様に。
パーチェが目を覚ましてくれますように。
デビトに災いが降りかかりませんように。
三つの願いを必死で心の中で繰り返す。
その時、うすらとパーチェの体が光った。
「………そう、貴女もいたわね………」
その光を見た、スミレがそう言って微笑む。
「ルカ、私は錬金術なんて良く分からないけれど」
スミレは、すっと着物の袖を持ちパーチェの方を指差す。
「幾つもの物質が起こす反応を錬金術と言うのなら、これも、或いは……」
翼を大きく広げた天使と、祈るにしては無骨な心臓の上に手を置いた隠者、そして全ての力を捻じ伏せる民。
この空間で起こることは、錬金術に近いのかもしれない。
宗教画のような光景に、ルカは指を折り祈った。
ただ、笑うことの出来る未来が欲しい――と。
「ん……」
目に飛び込んできたのは、光。眩しい光。
その光に何度か目をぱちぱちとさせると、反射的に光から逃げようところりと寝返りを打つ。
自分は、どうやらベッドにいるようだ。柔らかな布団に心地よい枕。
もうちょっと寝ていたいな…
そんな事を思っていると、おそらくは人であろう輪郭が見える。ベッドの脇の椅子であろう何かに座ったまま動かない。
誰、かな。
くんくん、と犬のように鼻を鳴らすと、覚えのある香りを見つける事が出来た。
「…マンマ?」
この、ジャッポネ特有の香りはマンマのもの。そして、布団からも同じ香りがした。
何で、俺、マンマのベッドにいるんだろう。
確か、お嬢と町に出て……それで、抗争を捻じ伏せた後に……
全てが、真っ暗になった。
真っ暗になった後の、記憶が無い。いや、記憶はある。僅かにだけれど、女性と話した記憶。それだけだ。
女性は「ごめんなさい」を繰り返すばかりで、話にはならなかった気がするけれど。
「マンマ、だよね?」
何が起こったか知りたい。そう思ってもう一度名前を呼ぶ。
そうすると、舌足らずの子供のような喋り方にスミレはふと目を開けた。
どうやら、力を使いすぎたようだ。少し、眠ってしまったらしい。
声の主を確かめようと、すっとベッドを見ると。
「パーチェ……?」
「マンマ? 良かった、やっぱりマンマだ。俺、眼鏡どうしたのかな。良く見えないんだ」
体が何故か軋む様に痛い。
腕を上げようとするだけで、痛みが走る。我慢できない痛みではないけれど、放っておく事も出来ない痛みだった。
「貴方、パーチェ…なの?」
「何言ってるの、マンマ。俺じゃなきゃ……あれ?」
その時、ベッドに寝ていた人物――パーチェは、漸く自分自身の違和感に気付いた。
声が高いのだ。自分の発している声なのに、聞き覚えのある声じゃない。そして、背中に当たる何かもぞもぞとしたもの。
何かと思って探ると、それは人間の髪の毛のようだった。
「マンマ……これ、どう言う事?」
「パーチェ、右手を見せて」
「……あ、うん……」
緩慢な動きで右手をスミレに差し出すと、スミレがそっと細い指でパーチェの手を取った。
マンマの手、あったかい…
いつも自分の方が温かいのに、スミレの手の方が温かいなんて。そんなどうでもいい事を考えていると、スミレは「しょうがないわよね」と笑った。
右手には、確かにラ・フォルツァのスティグマータ。パーチェのタロッコだ。こればかりは、誰にも真似できるもではない。
「おはよう、パーチェ。気分はどう?」
スミレはパーチェの手を布団の中に戻して、ふわりと微笑む。
「気分……何か、眠いなぁって。あと、ちょっと疲れたかなぁって」
「そうね、貴方の体は頑張ったみたいだもの。まだ、寝ていなさい。今日は、貴方はお休みね」
「え……でも、棍棒、の、と、幹部長代理の……」
「棍棒のお仕事は、差し迫ったものじゃないでしょう? それに、今日はダンテがいるから大丈夫よ」
「……でも」
「休みなさい。ゆっくり。夜になったら、話をしましょう」
「話……?」
スミレは掌をそっとパーチェの頬に添える。その感触に、パーチェはゆるゆると瞳を閉じた。
「そう、話。これからの、ね」
指先に込めた力をパーチェに流すようにイメージすると、パーチェはそのまま寝息をたて始める。
今必要なのは、休息であることは間違いない。
体は思った以上に冷たくて、顔は青ざめたままだ。病み上がりと言ってもおかしくは無い。
眠ってしまったパーチェに力を少し送ると、スミレはふっと息を付いた。
全く、本当に……タロッコは不思議なものね。
そう思いながら、ゆっくりとパーチェの頭を撫でる。
まず必要なのは、フェリチータ。その後に、トリアーデの三人かしら。
報告すべきは、ルカやデビト、それにモンドかもしれないけれど、彼らは役に立たないわ。全てを確認してからでも遅くは無い。
「ありがとう、パーチェ」
これで、だれも泣く事は無い。きっと、驚いたり騒いだり混乱はするけれど、泣く事は無い。
どんな形でも、ここに戻ってきてくれたから。
自分のベッドに眠る、「女性」の髪を撫でてスミレは淡く微笑んだ。
力は未知数――訪れたのは、崩壊の後の、”rinascere”
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