密想preludio
| この胸の奥底に沈めて、墓場まで持って行く。
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最初から決まっていた事なんて、何一つ無い
「何だ、寝ちまったのか」
隣で酒をたらふく飲んでいた男が机に突っ伏したのを見て、眼帯の男は面白くなさそうに金属製のグラスに口を付けた。
基本的に「食べる」と言う事が好きな男は、決して酒に弱いわけではない。ただ、呑みなれない酒を何種類も口に運んでいたから、酔いが回ったのだろう。
だから、考えて呑めって言っただろうが。
そうぼやいて、黒い革の手袋から出ている指先で額を弾く。
そんなちょっかいなど気にせず、ぐうぐうと男は眠ったままだ。
無意識なのか、或いは意識をしていないのか、どちらにせよ無防備に眠る男に溜め息を一つ。
眼帯の男――デビトは、女性が好きだ。
華やかで、柔らかで、甘い、女性特有のしなやかさが好きだ。
腕を回せばすっぽりと納まる細い体や、自分を見る時の上目遣い、柔らかで甘い声。そんなものが好きだ。
一瞬でも全てを忘れる事の出来る女性と言う存在がたまらなく好きだった。
……分かっている事だが、この隣で寝ている男にそんなものは無い。
その身に宿す、呪いとしか言えない力の象徴であるかのように、無駄にでかい。何もかもが、でかい。
高身長である筈のデビトよりまだ大きく、肩幅も広い。体もがっちりとしており、健康優良児と言う言葉はこの男の為にあるものだろう。
性格も、おおらかで細かい事を気にしない、と言えば聞こえが良いが、ただの馬鹿だ。
そんな、デビトが好きな女性と言う存在から大きくかけ離れた男、ではあるのだが。
「…………」
コトン、と金属製のグラスを机の上に置いて、男の茶色の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。整髪料を使って整えられた自分の髪とは違う、ぱさぱさとした髪。長くは無いその髪をかき回して、男の額が見えるように髪をかき上げると。
その首筋に、静かに口付けた。
癖なのか、と言われれば肯定するだろう。
単なる遊びなのか、と言われれば肯定するだろう。
冗談、と言われれば肯定するだろう。
単なる親愛の情だ、酒が入ってるからだ、と言い訳ならいくらでも出来る。
しかし。
「全く、デビトは変わりませんねえ」
溜め息と共に、整髪料でねめつけてた頭をぽんと叩かれた。
「んだよ」
面白くなさそうに手を振り払って、デビトは声の主を見る。
「いや、微笑ましいなあと思っただけです」
はい、お水。
そう言って水の入ったグラスをデビトに手渡すと、声の主――ルカは、机で突っ伏している男の隣の椅子を引いた。
ここは、デビトの自室だ。いつものバールではない。気心知れた人間のみが入る事ができる部屋だ。
「……起きてる時には、しないんですか?」
ルカは手にしていたグラスに口を付ける。中身は酒でも水でもない。薬かもしれないがデビトには分からなかった。
そんな事はどうでも良い。ただ、ルカの言葉が気にかかる。
「この俺が男にキス? 笑えない冗談だな」
軽く流そうとするけれど、言葉に怒気がこもってしまった。
「しないと、後悔するんじゃないですか?」
「…………」
分かってしまった、残りの時間。自分達に残された時間。その時間を全て使っても、きっと、デビトが隠している部分は表に出ることは無い。
分かっている。それでも――
「……私は、きちんとお墓の中まで持って行きますよ。だから」
「どうしろって? それに、バンビーナがどうにかしてくれるかもしれねぇだろ」
「お嬢様の力は、相手の事を深く思いやった時にしか発動しない力ですよ」
うっすらとルカは笑ってデビトを見る。その優しげな眼差しに、デビトは舌打ちをした。
「お嬢様なら、きっとパーチェの事を思いやってくれると思います。けれど、それがパーチェの特性を消す事に繋がるとは限らない」
もっと早くに気が付くべきでしたね。
ルカの声が、一気に落胆した。
それは、デビトも分かっている。
ルカが気にしていたのは自分で、自分は自分の力と戦う事が精一杯で、何の問題も無いと思われていた隣で眠っている男――パーチェの事には気が付かなかった。
おおよそ、悩むと言う事を知らない男で、苦痛を見せない男で、笑う事が好きな男で、だから、見逃していた。
その身に訪れようとしている「命の期限」を。
「あなたの後悔になる様な気がするんです」
「オレが後悔?」
わざと軽い口調で言ったけれど、ルカには通じない。長い付き合いと言うのは良くも悪くも、全て見透かしてしまう。
「幼い頃からの癖……と言うより、習性でしょうね、デビトの場合」
自分がパーチェの額に口付けるようになったのは、最近の事ではない。ずっと、ずっと前からだ。
「パーチェは、デビトにとって支えでしたもんね。色んな意味での」
離れている期間があったルカとは違う、パーチェの存在。それは、デビトにとって明るい部分であり、ある種の憧憬だった。
暗い部分を抱えるデビトの、大きな光だった。
キスには意味がある。
例えば、額へのキスは友情。
瞼へは憧憬。
きっと、最初の頃はそんなキスだったと思う。
眠っているパーチェにキスをするデビトを撫でていたのは、ルカだった。だから、ルカはその延長線上だと思っていると思っていたのに。
流石に首はまずかったか、と思ったけれど後の祭り。
「お嬢様が、デビトを好きだといったら泣いて縋って歯茎をむいてでも、その気持ちを修正させます」
涼しい顔で何だか分からない液体を飲んでいるルカの唇の端が吊りあがる。
「どう言う意味だ?」
「デビトは教育上色んな意味で良くないですし、お嫁に行ったとしても素直に喜べません」
「お前なぁ…」
「でも、パーチェなら、お嬢様を幸せにしてくれるだろうな、って思います」
そう、パーチェならきっと好きになった女の子を大事にするだろう。幸せにするだろう。それは、一番近くにいた自分達が誰よりも分かっている。
「でも、私は思うんです」
「何を」
何でもお見通し。そんな顔をしたルカを睨みつけながら、再び金属製のグラスを手にとって中身を一気にあおった。
「デビトが幸せになるには、パーチェしかいないんじゃないかな、って」
「…………」
「男だとか女だとか、そんなもの関係なく、パーチェがどんな形でもデビトの傍にいてくれれば大丈夫かなって思ってたんです」
きっと、先に逝くのはデビトの方。それは、デビトも思っていた。
危ない仕事も、黒い仕事も、命の危険も、全部それはデビトに降りかかっていた事だったから。
それなのに。
「私はパーチェに愛の告白をするデビトがいても笑いませんし驚きませんよ」
だから。
そうルカが繋げる前に、デビトはにやりと口の端を吊り上げると。
「笑うだろう?」
「へ?」
「絶対に笑うね。オレがパーチェに愛を囁いたりしたりなんかしたら、絶対に笑う」
「あ、ばれました?」
「バレましたじゃねーよ。バーカ」
隠したってしょうがない。それだけの付き合いで、それだけの繋がりで、それだけの絆だ。
もしも、パーチェにその時が来たら、思いの丈を伝えてみても悪くは無い。
男の抱き方なんて分からないけれど、それはその時だ。
女性経験の少ないパーチェと、百戦錬磨の自分。下になる方はどっちかなんて聞かなくても分かっていること。
でも、それはその時が来たら、の話で。
そんな時が来なければ、一生伝えるつもりはない。
「デビト」
「ん?」
「私は、デビトの幸せもパーチェの幸せも願ってますからね」
「バンビーナの次に、だろ?」
「当たり前です。お嬢様の幸せが一番ですから」
そう言って笑うルカを馬鹿に出来ないくらい、パーチェが大切なのだと。
デビトは苦い酒の味で思い出した。
そうして、運命の日は訪れる。
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