覚えているのは、泣いていたウィンリィ。
 無表情なエドワード。
 どうしたの?
 そう聞いても、答えてくれなかった。



 あれは、もうずっと昔の事。





 【市場に行こう 1 はじまりの音】





 最近、東部の方で連続婦女暴行事件が起こっていた。
 若い女性を狙った、残虐かつ卑劣な行為。
 殺しはしないものの、被害者となった女性たちには深い傷を残す。
 軍の人間が、無能と言うわけではない。
 けれど、どうしても犯人を捕まえる事が出来ず、既に一ヶ月が過ぎようとしていた。
 被害者は、一ヶ月で既に6人。
 世の若い女性たちは一人で歩く事を恐れ、街は灯が消えたように静まり返る日々を送っていた。
 そんな中、鋼の錬金術師ことエドワード・エルリックとその弟アルフォンス・エルリックは、所要の為イーストシティの軍施設に立ち寄ったのだが。
「助けて!」
 玄関を入った瞬間、腕を掴まれた。
「え……?」
 エドが驚いて、掴まれた右腕の方を見やると。
 おそらく、いやかなりの美少女だろう。
 普通に立っていれば、男たちは感嘆の声を漏らすに違いない。
 けれど、今は。
 乱れた髪に、引き千切られた着衣。真っ青な顔をして、がたがたと震えている。
「おい、ちょ…っと」
「助けて!助けて!助けて!」
 軽いパニック状態に陥っている。
 エドの右腕を握り締めたまま、少女はそう叫んだ。
「エドワード君!」
 天の助け、とはこの事だろうか。
 廊下の向こうから、見知った女性が走ってくる。
「ホークアイ中尉!」
「どうしたの?」
「いや、この人が……」
 エドは心底困ったように少女を見ると、どうにかしてくれ、と目でホークアイに訴えた。
「………」
 少女を見た瞬間、ホークアイの表情が強張る。
 またか。
 そんな感情さえ読み取れる、表情。
 ホークアイは両膝をついて、下から少女を見上げる形を取ると。
「大丈夫よ、ここは軍の中だから。あいつはこない。もう、大丈夫よ」
 出来るだけ優しく微笑んで、そう語りかけた。
 すると。
「うわあああああああああ!」
 火が付いたように少女は泣き始め、そのままホークアイに抱きつく。
 ホークアイは少女を抱きしめると、その背中をぽんぽんと叩いた。
「中尉……」
 心配そうにアルがホークアイに話し掛ける。
「大丈夫よ。混乱してるだけだから。……それより、貴方たちは大佐のところにいってくれる?貴方たちがいると、この子安定しないと思うから」
 強い口調でそう言って、ホークアイは二人にその場から離れるように促した。
「あ、はい…」
 何かを悟ったのか、エドは小さく同意をするとアルフォンスを連れてその場を後にした。





 気が付いていればよかった。
 兄さんの事。
 いつもより無口だとか。
 何か、考えているとか。





「やはり、な」
 ロイはホークアイの言葉を聞いて、ため息を一つ付く。
「7人目、か」
 7人目。
 ロイの執務室で、邪魔にならないようにと隅の方でホークアイとロイを見ていたエドはその言葉を聞き逃さなかった。
「申し訳ありません…」
「いや、君たちは良くやってくれている。……私の手腕が今一歩と言うだけだ」
「大佐……」
「あの人さぁ…連続婦女暴行事件の被害者?」
「!」
「あ、図星?」
 二人の会話を遮る様に、エドは爆弾を投下する。
 その言葉に、隣にいたアルはあわあわと慌てるだけだった。
「鋼の……」
「別に誰も言わないよ。ただ、そう思っただけだから」
 おびえていた様子。引き千切られた着衣。
 まるで、誰かに乱暴されたと言わんばかりの。
「当たり前だ。口外などさせん」
 大きな樫の机に肘を乗せ手を組むと、ロイは強い眼光でエドを牽制した。
「……やだね、軍の秘密主義って」
「そうではないわ、エドワード君」
 眉を寄せて、嫌悪を露にしたエドに、ホークアイは淡々と言い聞かせる。
「彼女の為よ。見も知らぬ男に乱暴された、なんて噂が立ったら彼女は立ち直れない。もう、ここにはいられなくなるでしょう?例え立ち直ったとしても、一生消えない傷になるのよ」
「もう、既に傷になってるじゃん」
「それとはまた違うものだと、君は良く知っている筈。噂の傷がどれだけひどいものか」
「………」
 確かに、男に乱暴された娘、などと言う看板はあまり良い響きではない。
 人々の好奇の目に晒され、あらぬ陰口を叩かれる。
 そんな事は、言わずもがな分かっていた。
「……でも、そんなに重いものなのか?強姦されるって」
「……重いわ、想像以上に」
「だって、被害者に非はないんだろう?だったら、別に隠さなくてもいいんじゃないの?」
「女性は君ほど豪胆に出来ていないのだよ、鋼の」
 納得いかない素振りを見せるエドにロイが冷たく言い放つ。
「女性にとって、乱暴されると言うのは死ぬ事と同じ意味を持つ。それ程に辛い事なんだ。子供の君には理解できないかもしれないが。……わかるかね?鋼の」
「……そんなにガキじゃねぇ。辛くても、普通に生きていけばいいじゃん。生きてるんだから。死んでないんだから。男に強姦された云々で自分の人生を悲嘆する女の方がおかしいと思うよ、オレ」
 パシ。
 そこまで言ったところで、ホークアイはエドの頬を叩いた。
「それ以上は女性に対する侮蔑よ、エドワード君」
「………」
「男の君には分からないかもしれない。それに、そう言う体験をした事のない私も言うべきでないのかもしれない。それでも、君の言葉は被害にあった女性を侮辱しているわ」
「……何だよ、強姦されたくらいで女の価値が下がるのか?同情して欲しいのか?」
「鋼の!」
「……そんなに気になるんなら、早く犯人捕まえればいいじゃん。無能の集まりじゃないんだろ、軍ってのは」
 不機嫌を通り越している気がした。
 静かな、怒り。
 エドは最後に吐き捨てるようにそう言うと、乱暴にドアを開けてアルを強引に引っ張ると執務室を後にした。
 残された、二人は。
「……ホークアイ中尉」
「何ですか?」
「鋼のは、余程被害者が気に入らないらしい」
「そのようですね……」
 当方司令部にまた一つ、頭痛の種が増えた事を痛感していた。





「ねえ、兄さん」
「何だよ?」
「あんな風に言ったら、可哀想だよ……」
 階段を下りる途中で、アルはぽそりとエドに投げかける。
「誰が?」
「被害にあった人たち……」
「確かに可哀想かもしれないけど、事実だろ?隠しておけるわけないのに」
「それでも……」
「なあ、アル」
「何?」
「強姦にあった女ってのは、悲嘆して泣き喚いて同情を請わなきゃならないのか?」
「兄……さん?」
 自分より何段か下にいる為、アルにはエドの表情は読み取れない。
「皆に匿われて同情されて……そんな生き方しなきゃならないのか?」
 声は、無機質。
 けれど。
「自分は強姦されたって戒めてなきゃ、いけないのか?」
 そう言い放った後姿は、ひどく小さく見えた。





 ねえ、どうしてだれもしんじてくれないの?
 ねえ、どうしてだれもみてくれないの?
 いったい、これはなに?






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