分からないほど子供じゃない
 だけど
 守れるほど大人でもない



 真実なんて、まだ必要ない





 【市場に行こう 2 消えない欠片】





 エドは、無口だった。
 いや、無口に近い状態。何かをずっと考えているような。
 集中してしまえば、アルの声以外聞こえなくなるのだけれど、今回はそれとは違っている。
「兄さん?」
 アルの声も届かない。
 アルは読んでいた新聞をテーブルの上に置き、窓辺まで行くと窓枠に腰掛けていたエドの肩を叩く。
「どした?」
 驚いたようなエドの顔。
 肩を叩かれるまで、気づかなかったらしい。
 そんなエドを見て、アルは一つ嘆息を付くと。
「そろそろ司令部に行った方がいいんじゃない?」
 首をかしげながら、エドにそう促した。
「ああ…もう、そんな時間か」
 ちらり、と時計を見てエドは窓枠から降り、傍にあった赤いコートを取る。
 所用とは言え、雑務云々で数日イーストシティに滞在を余儀なくされてしまったのだが、エドはそれがひどく不服らしい。
 イーストシティを騒がせている、連続婦女暴行事件。
 それが、どんな理由かわからないがエドの癇に障っているようだった。
「……良かったね、兄さん」
 そんなエドの様子を気にして、アルは苦笑しながらエドに新聞を差し出す。
「何が?」
「例の連続婦女暴行事件の犯人、捕まったんだって」
「へぇ…」 
 新聞の一面を飾る記事。
 気にしていない素振りを見せながら、エドはアルから新聞を受け取り一面を見る。
 そこには犯人と思われる男と軍服を着込んだ男達が写った写真と、「東部の連続婦女暴行犯逮捕!」の見出しが大きく掲載されてた。
「…なんだ、おっさんじゃん」
 40代後半、と言ったところだろうか。
 こけた頬と虚ろな色をした目、よれたシャツが、いかにも「犯罪者」ですと言う風情をかもし出している。
「人は見かけで判断しちゃいけない、って言うけど……いかにも、って人だよね」
「ああ……そうだな」
 エドは連続婦女暴行犯をちらりと横目で確かめると、新聞をテーブルの上に置く。
「さ…大佐の自慢話でも拝聴に行こうか?」
 啖呵を切ったばかりである。
 嫌味の一つでも覚悟しておくか。
 そんな気持ちで、エドはアルを連れて宿を後にした。





 いつもとかわらないのは
 いつもとちがうことだと
 しっていたはずなのに





「おめでとうございます、大佐」
「おや、鋼の。来ていたのかい?」
「えーえー。連続婦女暴行事件のお陰で、オレの用事まで手が回んなかったみたいで。今、書類を受け取ったところだよ」
「それは悪かったね」
 司令部の受付を過ぎたところで、ばったりとロイと出くわしてしまった。
 会いたくなかったのに、とエドは心の中でごちる。
「犯人、捕まったんだな」
「ああ、これで世の女性達の不安を取り除くことが出来る」
 犯人が捕まったのが余程嬉しかったのか、ロイは屈託の無い笑顔をエドに見せた。
 確かに、犯人が捕まらなければそれは軍部への批判となり信頼を失う事になる。
 それに、被害者が増える一方だっただろう。
 ようやく、と言う形でも犯人逮捕に繋がったのは朗報以外の何ものでもない。
「そ、じゃ、頑張ってね」
「君もな」
 急いでいるのだろう。
 ロイは軽く手を上げると、その場から足早に立ち去っていく。
「不安、ねぇ……」
 エドは言わなかった。
 表立って出ている「婦女暴行」事件だけが事件ではないのだと。
 それを言うほど大人でもないし、言ったところで何かが変わるわけでもない。
 イーストシティを騒がせていた「連続婦女暴行事件」は片付いたのだから、それでいい筈だ。
 きゅ、と右手で拳を作りエドが足を踏み出した瞬間。
 ごん!
 物凄い勢いで、人にぶつかってしまった。
「ってぇ……」
「大丈夫かい?」
 差し出された、手。
 青色の軍服の袖が、エドの視界に入る。
「おい、カール。何やってるんだよ」
「ごめん、ジャン。子供にぶつかっちゃって……」
 聞き覚えのある声。
「子供……、お、エドワード!」
 差し出された手の持ち主の後ろから、見覚えのある金髪の青年が顔を出して。
「ハボック少尉……」
「何だ、こっちに来てたのか?」
「あ、うん……」
 エドの言葉の語尾が震えていたことに、誰が気づいただろうか。
「ジャン、この子は?」
 ハボックの隣に立つ青年が、しげしげとエドを見る。
「ああ、こいつ?お前も知ってるだろう?最年少国家錬金術師」
「…ああ、君が噂の鋼の錬金術師か!」
 納得したように、柔和な笑みを浮かべて青年は再び手を差し出す。
「初めまして」
「え……えっと……」
「あ、エドワード。こいつ、な。カール・シェスター。こんなんでも少佐だったりするんだ」
「こんなんでも、は余計だよ、ジャン」
「こんなんでも、だろ。ま、ちょっと付き合いの長い友人なんだがな」
 カール、と呼ばれた青年。
 背丈はハボックとそう変わらない。
 しっかりとした体躯をしているが、細身な印象を与えるのは耳の辺りでカットされた銀髪と縁なしの薄い眼鏡の所為だろう。
 容姿は、一言で言うなら、美青年。
 切れ長の瞳と、通った鼻筋、薄い唇。
 理知的でクールな印象を与えがちだが、柔和な瞳の光と丁寧な物腰が、彼を人当たりの良い人物にしていた。
「シェスター少佐!」
 エドの背後から声がする。
「ロイ先輩…じゃ、なかった。マスタング大佐!」
 かつかつと軍靴を鳴らして、ロイが廊下の向こうから歩いてきて。
「…こちらに来たなら、真っ直ぐ執務室に来いと言っているだろう!」
 エドを間に挟むような格好で、ハボックとカールに向かって叫んだ。
「すいません、今着いたばかりで…」
「そうそう、一躍時の人だもんな、シェスター少佐」
 にやり、と笑いながらハボックはカールの肩に腕を置くとからかうようにそう言う。
「時の人…?」
 自分より頭一つ大きな軍人達の会話に割り込むように、エドがぼそりと声を漏らした。
「ああ、君はまだ知らないのか。鋼の。君がかなり不満を抱えていた連続婦女暴行事件だがな……その犯人を捕まえたのが、このシェスター少佐だ」
 唇の端を吊り上げるようにして笑うと、ロイはシェスターの肩を叩く。
「そんな立派なものじゃないですよ」
「いや、君のお陰で助かった」
「ロイ先輩……じゃなかった、マスタング大佐たちが包囲網を狭めてくれたお陰ですよ」
 にっこりと笑いながら、カールは眼鏡をすっと上げて。
「じゃないと、居場所なんてわかりませんから」
「それがすごいんだよなぁ……」
 ハボックは、カールの言葉に素直な賛辞を零す。
「……大佐」
「何だね?」
「……この人と、知り合い?」
 気のせいか、エドの口調がいつもより幼い。
 しかし、それにロイが気付く筈もなく。
「ああ、士官学校時代の後輩だ」
 いつものように笑って、エドにそう答えた。
「紹介しよう、シェスター少佐。彼が…」
「鋼の錬金術師、エドワード・エルリックですよね?」
「おや、もう紹介済みか」
「いえ、さっきジャンに聞いたところです。…初めまして、鋼の錬金術師殿」
 にっこりと柔和な笑みを浮かべて、カールは少ししゃがむと右手をエドに差し出した。
 ふわ、と広がる麝香の香り。
「………っ」
 一瞬、息が出来なくなる。
 体中を這い回っていた何かが、心臓にたどり着いてしまった。
 そんな、感じ。
 触れてはいけない中枢に、触れてしまった。
 そんなはずはないと言い聞かせる理性が、途切れてしまった。
 間違いない。
 間違いない。
 間違うはずもない!
「あんた、さあ」
 声が震えそうになるのを必死でこらえて、エドはカールを見据える。
「はい?」
「あんた、実は犯人と同種なんじゃない?」
「え?」
「あんたも、婦女暴行、やらかしてんじゃない?」
「!」
 それはとんでもない暴言だった。
「鋼の!」
 諌める様に、ロイが名を呼ぶ。
「だってさぁ…どんだけ範囲が狭まったってそうそうわからないじゃん、居場所なんて。それがわかったんだろ?…同じことやったからじゃねぇ……」
 ばしん。
 ロイの平手がエドの頬に飛んだ。
「それ以上は、シェスター少佐に対する侮辱罪だと思いたまえ、鋼の」
「大…佐……」
「君は、確かにこの事件を快く思っていないかもしれない。けれど、犯人を捕まえた人間を侮辱していいと言う理由にはならない筈だ。違うかね?」
 ロイの言うことは正論だった。
 エドの言っていることは言いがかりでしか過ぎないのだから。
「シェスター少佐のお陰で、どれ程の女性が救われたと思っているんだ!」
 犯人が捕まったお陰で、どれ程の女性が怯えずに暮らしていけるのか、と。
 見上げたロイの瞳は、確実に怒っていた。
 それが間違った子供を諭す親の心境だとしても、怒りに満ちていた。
「いいんですよ、大佐」
 柔和な笑顔を浮かべて、カールはエドの顔を覗き込む。
「君達くらいの世代には、少し不可解な事件だったんだろう?」
 ぽん。
 そして、頭を軽くあやすように叩いた。
「すまない、シェスター少佐」
「わりぃ……カール」
 こいつ、まだ、ガキだから……。
 そんなハボックの声が、遠く聞こえる。
 エドは、一瞬偽善と言う言葉を思い出した。
 偽りの優しさだと、何かが認識してしまった。
 わかってくれない。
 わかってくれない。
 だれも。
 おとななんて。
 ぐんじんなんて。
 みんないっしょ。
 とどかない。
 とどかない。
 きこえない。
 きこえない。
 にげられない。
 ここから。
 どうやっても。
 どこにも。
 どこにも。
 どこにも!!!!!!!!
「………っ」
 息が出来なくなった。
 エドは胸を押さえて蹲る。
「鋼…の?」
 突然しゃがみこんだエドに驚いて、ロイもしゃがみ込みその背中を叩く。
 びくん!
 その瞬間、エドの体は大きく震えて。
「おい!」
 ハボックもしゃがんで、その肩を叩いた瞬間。
 パシィン!
 エドの右手で、ハボックの手は払い除けられた。
「…エド、ワード?」
 ハボックに不意に向けられたエドの視線。
 それは、間違いなく。
 ……憎悪。
 全く息が出来ない状態で胸を掴み、それでも尚強い憎悪を瞳に宿してエドは。
 ハボックを見ていた。
「とにかく、医務室へ…」
 カールが慌ててエドを抱きかかえようとすると。
「触れないで下さい!」
 後ろから、声がした。
「アルフォンス君…」
 エドを待っていたらしい鎧の少年が、姿を現して。
 小走りに近付いてくる。
「すいません、医務室にはボクが連れて行きますから……大佐達は兄さんに触れないで下さい」
「触れないでって、お前……」
「じゃないと、兄さん……悪化しちゃうから」
「え?」
「詳しいことは今度お話しますから。だから!」
 アルはエドの周りにいた人間を遠ざけると、そっとエドの背中を撫でる。
「兄さん、大丈夫?ボクだよ、アルフォンスだよ?わかる?」
「ァ……ル?」 
 息を吸い込むようにしてアルの名前を呼ぶと。
「………っ!」
 その鎧の体にしがみつくようにして、エドは小さな泣き声を零した。
「…うん、わかったから。もう大丈夫だよ……」
 アルはエドの視界にロイたちが入らないようにすると、小さな体を抱きしめる。
「大丈夫、ボクがここにいるから……」
 幼い子供をあやすように、その背中を撫でて。
「大佐」
 低く沈んだ声で、一言。
「当分、兄さんに…軍部の人、会わせないで下さい」
 そう言い放った。





 きがつかなくてもいい。
 きづいてほしくない。
 だけど。
 いたくて。
 いたくて。
 わすれたいのに!
 たすけて。
 たすけて。
 そのてをはなさないで?









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