神様なんて必要ない ここに立っていられればいい。 一人じゃないから。 一人で立っているわけじゃないから だから。 天国より野蛮なこの場所で生きていく。 【天国より野蛮 最終章 空の青さに泣きたくなる】 いい、天気だった。 雲ひとつない、とは言いがたいがいい天気だ。 ロイはそのその空を執務室から見上げて思う。 罪と罰の天秤秤を。 ほんとうなら水平にならなければならない秤は、いつも罪のほうが傾いて重く圧し掛かる。 罰は与えられるべきではない罰だったり、罰さえ与えられない事もある。 罰を与えられない人間が、幸せなのだろうか。 罪を意識し、罰を与えられない人間が本当に幸せなのだろうか。 ロイ自身は、これ以上耐えられないと思った。 耐えられるわけがない。 自分が犯した罪を罰する人間がいないのだから。 あの少女は笑った。 失いたくないと。 こんなどうしようもない人間を失いたくないと必死で、命を賭けてそう叫んでくれた。 それに答えることが贖罪ならばいくらでも応えよう。 ロイはそう思う。 そして。 思い浮かんだのは、あまりにも幼稚な犯罪者。 あれは、純粋すぎた犯罪者。 善悪も分からず、罪の大きさも分からず。 傷つけることも分からず。 強者の論で人々を傷つけた裁かれることのない哀れな犯罪者。 「カール……」 よみがえるのは、懐かしい日々。 笑っているカールは、犯罪者ではない。 カール=シェスターなのだ。 ロイやハボックの知るカール=シェスターなのだ。 ……祈りは、届くだろうか。 遠い空を見て、ロイはそう思う。 ここで、彼の罪を贖える時が来る事を祈れば、神は救ってくれるだろうか。 いや、それはない。 神など存在してはいないから。 それならば。 誰よりも高い位置に上り詰めて断罪を下せばいい。 罪人だと認めさせればいい。 それだけのことだ。 ずっと思い描いていた野望に一つの願いが重なったに過ぎない。 ロイは、ぎゅっと胸元の辺りを握り締め空を見上げた。 「これ、どうする気ですか?」 「んー、食うかなぁって」 「誰がですか?」 「エド」 机の上には、甘い甘いフルーツタルト。 一応、そこにいる全員分はある。 1ホール買ってきたのだからそれなりの量はあるだろう。 ホークアイは綺麗にそれを切り分けると、一皿だけ別にし後はそこら辺にいた部下達に分ける。そして、その場所を後にした。 苦い苦いコーヒーと、宝石箱みたいなケーキ。 男ばかりで食べるには寂しすぎる。 開けっ放しの廊下。そこを通りかかったのは。 「おう、ちびっ子コンビ」 「……俺はエドワードじゃありません」 「まあいいや、こっち入れ」 廊下の向こう少し不貞腐れたようなトリンガム兄弟。 「ケーキ食うか?」 「いえ、結構です」 「お前はそういう気がしたよ。フレッチャー。こんな大人になっちゃいけないからな」 そう言いながらハボックは自分の前にあった宝石みたいなケーキをフレッチャーに渡す。 そうすると、フュリーが甘いカフェオレを二つ運んできた。 「…えらく馴れ馴れしいですね」 「嫌いか?」 「別に」 ハボックとラッセルはあまり面識がない。 昨日の喧嘩沙汰で顔を合わせたくらいだ。 それなのに、この馴れ馴れしさは何だろう。 ハボックは半眼で見上げるラッセルに苦笑しながら頭を掻いて。 「………何ていうか、お前似てるんだよ」 「エドワードにですか?」 「違うよ。アル。アルフォンス。まあ、そういう顔はエドワードそっくりだけど。アルフォンスに似てるんだ。あいつも……」 鎧じゃなかったらこんな風だったんだろうな。 そこまで言いかけて、ハボックは慌てて口を塞ぐ。 「鎧じゃなかったら、っていいたいんでしょう」 「…お前……」 「昨日、全部、聞きました。人体練成の事も、カール=シェスターの事も」 「ラッセル……」 「自分達があの二人の名前を背負うのに見合ってなかった。それだけの事です」 「………やっぱり似てますね」 ファルマンがぼそりと言う。 「ああ、似てる」 それに応えるようにブレダも言った。 「アルフォンス君と考え方が似てるんでしょうね」 温かいコーヒーを口に運びながら、フュリーは笑った。 「あいつら、実はアルフォンスの方が静かに攻撃的なんだよ。お前、そっくり」 「な……」 「エドワードに似てるかなと思ったけど、そう言う所年相応っつーかアルフォンスと同じって言うか」 ハボックは、きひひと銜え煙草のまま笑う。 「お前たち4人は変なところで思慮深いんだよ」 ケーキを食べていいものか分からないフレッチャーにフォークを渡し、ハボックが二人の頭を撫でる。 「いきなり撫でないで下さい!」 「……撫でたくなるんだよ。お前たちみたいなガキ見てるとさ」 「…………」 「おお、そういやぁまだ名前を名乗ってなかったな。俺はハボック。一応少尉だ。こっちがブレダ少尉、こっちがファルマン准尉、んでもってフュリー曹長」 「おい、オレを忘れるなよ」 「おお、そしてヒューズ中佐な。こっちとは会った事があるんだっけ」 衝立の向こうでコーヒーを啜っていたヒューズが顔を出し、二人に手をひらひらと振る。 「……それがどうしたんですか?」 「ん?……えーっとな、その、すまなかった」 「え?」 「お前が裁きたい相手……カール=シェスターな。オレの親友なんだ」 「!」 「止められなくて、悪かったな。この罪はどんな事をしてでも贖うから」 「死んででもですか?」 「死が最大の贖いだとは思ってないだろう。きちんと物事考えて話さないと痛いしっぺ返しを食らうぞ」 「……………」 「兄さん」 話に入れずもくもくとフルーツタルトを食べていたフレッチャーは顔をあげラッセルを見ると。 「この人たち、頭が回るよ。エドワードさんと話すくらいの心意気で行かなきゃ言い負かされると思う」 「フレッチャー!」 その言葉に、周囲はどっと笑った。 「だって、ホントのことだもん。今まで周りにいた大人の人たちと違うよ?」 それなりに修羅場を潜り抜けてきた軍人達。 笑うまでにどれだけの時間がかかったのだろうか。 そして。 エドワードを、ラッセルたちの大事な人たちを傷つけた人間を親友だと認めその罪を贖うことを決めるのにどれほど時間が掛かったのだろうか。 ラッセルはまだ自分の事を子供だと思う。 そして、この大人たちと対等に渡り合ったエドワードを凄いと思った。 「フレッチャー」 「何?」 「それ、食べ上げたら帰ろうな」 「うん」 そう言ってラッセルは淹れて貰ったカフェオレを一口口に運んで。 「ありがとうございました」 そう、誰に言うでもなく青い軍服の集団に頭を下げた。 「あ、フルーツタルト!」 「エドワード君、好きだったわよね」 「甘いものは大概好きだけどな」 ホークアイは医務室のカーテンで区切られた場所にいたエドワードにケーキを届けると小さく微笑む。 横に座っていた鎧はがしゃんと小さく音を立てて頭を下げた。 「もう、大丈夫?」 「うん、発作もおさまったし。何時までもこんなもんに脅えててもしょうがないしな」 笑いながらホークアイから皿を受取ると、エドワードはすっと小さく切って少しずつ口に運ぶ。 「……中尉、オレ、思うんだけど」 「何?」 「オレが一番逃げてたんだよな。何もかもから。いやなことには全部蓋をして」 「エドワード、君?」 「もし、おれがガキの時あいつを訴えてたら、ラッセルだって被害者の一人にならずに済んだわけだし、こんな大騒動にはなってなかったと思うんだ」 「そんな…」 「そんな事って、おもっただろ?そんな事じゃないんだ。黙ってたことがオレの罪なんだ」 「エドワード君」 「どれだけ辛くったって、一言言えばよかった。お前が悪いって。それを言わないのは、人間の罪の一つだと思う」 「……………」 「今更背負う罪が増えたところでなんともないけどさ。だって、それが人間だろ」 「!」 「罪なんていつかは贖われる。罪を贖うために人間はいつだって生きてるんだから」 15歳の子供の言葉とは思えなかった。 幾つの罪が、この子供の背中には、がらんどうの鎧にはあるのだろう。 何を贖おうとして、鋼の体を持ち突き進んで行こうとしているのだろう。 ホークアイはただだまったまま、二人を交互に見つめた。 「ホークアイ中尉、罪って幸せと隣りあわせなんですよ」 「え?」 「だからきっと、いつか、みんな幸せになれると思うんです」 「アルフォンス君」 「そう、ボクと兄さんは少なくとも信じてる。罪を背負うから、それを自分で贖うから人間は幸せになるんだって」 だから。 可哀想だとは思わないで下さい。ボクも、兄さんも。 体をなくしたことも。 幼い頃に卑劣な犯罪にあったことも。 可哀想だと思って欲しくない。 全てを自分達で贖うと決めたから。 そうして幸せになるのだと。 決めたのだから。 「二人とも……」 「だから平気。ごめんな、中尉。心配ばっかりかけて」 「……いいのよ、気にしないで」 強い子供たちだと思う。 あまりにも最初に犯した罪が重すぎた。 麻痺したのかとも思う。 だが、このことたちの言うのは正論だ。 罪を犯したものが幸せになれないなんてことはない。 罪を認め贖えば、その先には小さくても幸せは待ち構えている。 「……なぁ、これ食べたらラッセルたち送りに行っていい?」 「え?」 「今日ゼノタイムに帰るんだろう、あいつら」 「うん」 「だったら、一応は送ってやらないとな」 最期の一口を食べ上げると、エドワードはベッドから降りてブーツを履く。 「もう、体の方には何の問題もないからな」 よっと。 そういいながらエドワードは起き上がった。 「さ、行こうぜアル」 「うん」 残されたホークアイは二人の背中に敬礼をして、二人を見送った。 「色々とご迷惑をお掛けしました」 晴れ渡った東方司令部の玄関の前。 ラッセルはぺこりと頭を下げ、ロイに礼を言う。 「いや、こちらこそ力になれなくて申し訳なかった。 裁くことも出来ない、カール=シェスターのことも役には立てなかった。 ラッセルたちにとっては無駄足に過ぎなかったのだ。 「……また、何かあったら来たまえ。その時力になれるようであれば尽力しよう」 「いえ、もうお世話になる事は」 「あるんじゃねーの」 ロイの後ろから姿を出したエドワードが、口の端を上げて笑っている。 「エドワード!」 「よう、ラッセル。もう帰るのかよ」 「……ああ」 「あのさ」 「なんだ」 「昨日は悪かったな。お前には迷惑かけた」 エドワードは、笑いながらそう言う。 ラッセルはその言葉に目を見開き、エドワードを見た。 「なんだよ、ラッセル。んな顔して……」 悪かったのは自分。 ラッセルはそう思っていた。 自分が全て傷つけたのだと思っていた。だが。 一瞬だが、適わないと思う。 この人間には適わないとラッセルは思った。 「兄さん」 くい、とフレッチャーがラッセルの服の裾を引っ張る。 「あれ、渡さなくていいの?」 「………」 「ねぇ……」 「………いいよ」 「良くないよ。何のためにお店の人に選んでもらったのさ!」 そういいながら、フレッチャーはラッセルが隠しておいた小さな花束をエドワードに差し出した。 「え……」 「…侘びだよ、侘び。女にはそう言うのを送るんだろう!」 真っ赤になったラッセル。 小さな花束。 綺麗なサルビアの花。 「え…あ、おい、ちょっと待て」 いきなり手渡されたエドワードはそれをどうしていいか分からず花束とラッセルを交互に見る。 そうするとフレッチャーは。 「兄さんの精一杯の厚意ですから受取ってください」 「フレッチャー!」 「だって兄さん、そうでしょ?」 小首を傾げながらフレチャーは言う。 「……俺は行くから!」 そう言いながらラッセルはくるりと足を反対方向に向ける。 どうやらかなり恥ずかしかったらしい。 その時。 ちょうど進行方向にいたアルフォンスがさっと左手を上げる。 そうすると。 それに答えるようにラッセルも左手を上げて。 ばしん! 力強い、なめした皮の手袋と素手がぶつかり合う音がして。 「約束だから」 そう言ってアルフォンス笑う。 「約束だからな」 そう言ってラッセルも笑う。 その光景に見ていた人は目を丸くするばかり。 二人だけの秘密。 エドワードもフレッチャーも知らない、二人だけの秘密。 二人は眼を合わせて一度笑いあうと、お互い別の場所へ視線を向けた。 ラッセルは進むべき前の道へ。 アルフォンスは一番大切な人へ。 ここは、きっと天国なんかじゃないけれど。 空の青さに泣きたくなる場所。 罪と幸せが交差する場所。 それぞれの思いを胸に、ロイとエルリック姉弟は去っていく背中に小さく手を振った。 サルビアの花束を、手に。 「いつかボクが元の体に戻れたら」 「戻れたら?」 「一緒に国家錬金術師になろう」 「え?」 「国家錬金術師なら少佐レベルの地位だから…」 「カール=シェスターを殴れる」 「そういう事」 「じゃあ、分かった。二人で国家錬金術師になろう」 「ラッセルの方が先に取らないでよ」 「お前こそ、鎧の間に取るなよ、アル」 二人の間で交わされた、秘密の、幸せへの道 いつかはこの場所が、天国になる。 それでも僕らは、きっと。 空の青さに泣きたくなる。 あとがき→■ |