その後姿に、そっと。








 夕暮れが綺麗な時間帯。
 今日は作兵衛が忙しくて夕飯なんて作っている暇が無かったから、角のおばちゃんの店に留三郎と作兵衛は向かっていた。
 おばちゃんの作る惣菜は、二人にとって母の味に近い。
 母親は、二人が小さい頃に亡くなった。父親は、留三郎が高校に入ると同時に突然死。二人の保険金で何とか生活しているが、それでも足りなくて留三郎は夜間バイトを続けている。
 そうなると、家の中の事をするのは必然的に弟の作兵衛で。洗濯も掃除も出来るけれど、料理だけは時間的にそう出来るものではなく、こうしておばちゃんの惣菜にお世話になっている。母親が死んでからずっと、と言っても過言ではない。
「留坊、作坊、いらっしゃい」
 店に着くと、おばちゃんがにこやかに出て来て二人の名前を呼んだ。
「おばちゃん、今日のお勧め何?」
 留三郎が聞くと、おばちゃんは手羽先の揚げ物を甘辛いタレに絡めたものを「これ」と言いながら手早くプラスチックの容器に十本詰めて、それと一緒に千切りにしたキャベツとマカロニサラダを入れてくれた。
 お勧めを聞いたときには、有無を言わさず献立を組み立ててくれる。それがまるで母親のようで、何だかむず痒いけれど嬉しい。
 この商店街は、留三郎と作兵衛にとっては庭のようなものだ。
 魚屋に肉屋、八百屋に電気屋。惣菜の店やまだまだお世話になる訳にはいかない酒屋。商店街の人たちは、何かとこの兄弟の事を気にかけてくれていた。
 両親を亡くして、誰の手も借りず頑張る兄弟。その兄弟を小さな頃から知っている人たちだ。手を伸ばさずにはいられないのだろう。
「あ、おばちゃん、それとコロッケ二つ」
「はいよ」
 いい匂いに気が付いた留三郎がそう言うと、店の奥のフライヤーから揚げたてのコロッケを二つ紙に包んで持ってきてくれた。コロッケを夕飯のおかずにする時もあるけれど、こう言う時は大概その場で食べてしまう事を知っているおばちゃんの心遣いだ。
 コロッケを受け取って留三郎は作兵衛に渡そうと横を見れば、作兵衛はこちらを見ていない。
 珍しい。
 この匂いに作兵衛も気が付いている筈だ。なのに、作兵衛の視線はコロッケではなく別の所に向いている。
 何か珍しいものでもあったのだろうか。
 そう思って作兵衛の視線を追う様に同じ方向を見ると。
「あ………」
 自分と同じ学校のセーラー服。その背中には、ポニーテールにした綺麗な亜麻色の髪が揺れている。その後姿には見覚えがあった。
 保健室で逃げている自分を匿ってくれたクラスメイト。脱色したと思った髪は地毛だと笑っていた。
 それ以来、何故か教室で姿を探すようになった。両親がいない、と言う話は聞いている。それが気になったのもあった。けれど、それ以上に気になったのは彼女の笑顔。いつも笑っている彼女の笑顔はどこか寂しげに見えたのだ。
 自分でも変な感覚だとは思っている。それでも気になるのはしょうがない。不意に姿を探している自分に何か違和感を覚えながらも、それでも彼女―善法寺伊作を探していた。
 その彼女の隣に、長身のスーツの男が一人。何やら楽しげに笑っている伊作にははっきり言って似合わない年齢の男。父親と言うには若すぎる、兄と言うには年が離れすぎている、そんな年齢で、一見すると如何わしい感じが否めない。
 ……彼女が誰を好きになろうが関係ない。
 そう思うのに、何故か眉間に皺が寄った。
「留坊、どうしたんだい?」
「え?」
「ああ、いさちゃん見てたのかい」
 留三郎の視線に気が付いたおばちゃんが、にやにやと笑いながら留三郎を見た。
「いさちゃん…?」
「知らないのかい? 確か、留坊と同じ学校だった筈だけど。善法寺伊作っていう子だよ」
「おばちゃん、知ってんの?」
 思わず、おばちゃんの方を向いた留三郎に、おばちゃんは知ってるよ、と柔らかな笑みを浮かべる。
「小さい頃からこの商店街に来てたからね。知ってるよ」
「え……」
「偉い子だよ。六年位前に両親を事故で亡くしてね。それ以来、妹のかずちゃんの面倒を見ながら姉妹二人で頑張ってるんだよ」
「かずちゃん?」
 その言葉に、作兵衛が驚いたようにおばちゃんを見た。
「ああ、そう言えばかずちゃんは作坊と同じ学校だったね。知ってるのかい?」
 作兵衛の通う中学校は、作兵衛が入学した時に近所の中学が合併して出来たもので校区の範囲が広がり、かなりの小学校から生徒が集まっている為生徒数は相当なものだった。
 クラスだけでも十クラス有り、同じ学校でも知らない可能性が高い。
「それって、善法寺数馬の事…?」
「そうだよ。何だ、二人ともいさちゃんとかずちゃんのこと知ってるのかい?」
「兄貴、善法寺のお姉さんの事知ってんの?」
「同じクラスだよ。じゃあ、あの善法寺の隣を歩いてるのは妹か」
「多分。同じクラスの子」
 作兵衛の視線は、自分の知っている善法寺伊作ではなく、隣に歩いている栗色の髪の少女を見ていたのだろう。伊作と男ばかり見ていて、伊作の隣の少女に気が付かなかった。   
 だが、そうなると、ますます二人の隣を歩いている男が気になる。
「おばちゃん、あの二人の隣に歩いてる人、知ってる?」
「ああ、あの人。見た目は強面だけどね、二人の後見人の弁護士さんだよ」
「弁護士…?」
「そう。いさちゃんとかずちゃんの二人は身寄りが無くてね、その時あの弁護士さんが二人が二人が成人するまで面倒見ますって出て来て。そりゃあ、最初は商店街中が反対したんだけどね…今じゃ、雑渡さんも立派なこの商店街の一員だよ」
 雑渡。
 その言葉に、少しだけこめかみに痛みが走る。
「そこの二階に事務所があるよ。黄昏法律事務所って書いてあるだろう?」
 おばちゃんの指差す先の窓には、黄昏法律事務所の文字。ここが庭の二人だったが、その存在に初めて気が付いた。
「そんな事より!」
 おばちゃんは、良く冷えた麦茶をコップに注いで二人に手渡すと。
「あんた等二人、あの姉妹を助けてやんなさいね!」
 そう力強く言った。
「え…?」
「女の子二人で頑張って生きてるんだから。あんた達と境遇は変わらないよ。同じ学校なら手助けしてやんなさい」
 助けたいのは山々なのだが、作兵衛には問題がある。何せ、自分が泣かせた女の子だ。そのお陰で、彼女の友人達から威嚇され近付く事さえ困難な状態である。手助けしようにも近付けないのならどうしようもない。
 髪の事は本当で、姉である伊作と数馬の髪は良く似ていた。
 本当はもっと喋ってみたいし、友達になれたら、と思う。
 それでも、マイナスからスタートした自分達の関係は、いつまでたってもプラスにならない。なる訳が無い。
 押し黙った作兵衛の頭を留三郎はぽんぽんと叩いて。
「出来るだけ、助けるようにするよ」
 そう言って、麦茶に口を付けた。
「作兵衛、善法寺の妹と何かあったのか?」
 家路を急ぐ道。押し黙った作兵衛に、留三郎がそう声をかけると、作兵衛はううともああとも付かない声を出して。
「俺、善法寺の事泣かせた事があって…」
「何だ、お前の事を好きとか言ってくれたのか?」
「兄貴じゃあるまいし。ちょっと、全面的に俺が悪いんだけど、それで…」
「嫌われた?」
「いや、嫌われては無いと思う。ほら、この間食ったすげぇ美味いカレーパン、あれ、くれたの善法寺だし」
「え、あのすげぇ美味いカレーパン?」
 先日、作兵衛が貰ってきたとんでもなく美味しいカレーパンを食べた。この店か聞くように頼むと、手作りだったと聞いて驚いたばかりだ。
「うん。それに今度あげパン作ってくれるって約束したし」
「それなら別に問題は無いだろ?」
 あのカレーパンを作ったん人間が作るあげパン。それはきっと美味しいだろう。自分の分もと言いかけたが。
「いや、それが、善法寺の友達を凄く怒らせてさ。近付けない……」
 そんな状態の弟に頼むことではない、と留三郎は言葉を飲み込んだ。
「ホントは、すげぇ、善法寺と話してみたいし。でも、ちょっと無理かなって」
 珍しい事があるものだ。
 女の子と滅多に話さない作兵衛が、女の子と話してみたい、だなんて。彼女が出来たと聞いた時も驚いたが、あれは確か作兵衛からの興味じゃなかった筈だ。
 後姿しか見ていないけれどどんな女の子だろう。伊作の妹と言うからには美人なのだろうか。作兵衛の彼女はとても美人だったので覚えているが、それ以上なのだろうか。
 そんな事を考えていると。
「兄貴」
「ん?」
「兄貴は、善法寺のお姉さんと仲が良いの?」
「…いや、仲は良くないな。ただのクラスメイト」
 ただの、クラスメイトだった筈の少女。
 出来る事なら、話してみたい。きっと、彼女なら問題なく話してくれるだろう。だが、留三郎は敢えてそうしなかった。自分と話して、彼女の評判を悪くしたくなかったから。
 女癖が悪い自信はある。
 別に誰彼構わず、と言うわけではない。大概の場合相手から告白されて、断る理由が無い場合は受けて、そして「食満って酷い」そう言われて終わって、また新しい相手から告白されるだけだ。
 だから、泣かせた女の数は両手の指だけでは足りないだろう。
「……あれだな」
「何?」
「友達から、始めましょう、って言うしかないな…」
 おばちゃんが善法寺姉妹と自分達が一緒の学校で知り合いだと知ったと言う事は、商店街中も知る事だろう。そうなれば、きっと善法寺姉妹にも自分達の事が届くに違いない。
 幸か不幸か。
 近付く為の理由は出来たけれど、何か腑に落ちなくて。留三郎と作兵衛の二人は黙って足を進めた。






「ふーん、食満留三郎と食満作兵衛、ね」
「どうしたんですか、所長」
「何でもないよ」
 回覧板に挟まれたメモを見て、昆奈門は天井を仰いで目を閉じた。









 ずっと見ていた気がする。
 何故かそんな気がした。







貴女の後姿を










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風呂敷広げました。
留三郎と作兵衛が頑張って近付く為の罠を張り巡らせてみたり。
雑渡さんは最初から弁護士として出て頂こうと思っていたので。
頑張れ、(主に)留三郎!
そして、作兵衛にも変化が訪れるんだよ! きっと!



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