気付いていたんだ
 ずっと、ずっと
 窓の向こうから、見ていたんだ。






「お姉ちゃん!」
 大きな声と共に、扉を開ける栗色の髪。
「どうしたの?」
 その声を受けて、キッチンに立っていた亜麻色の髪がくるりと振り返った。
「どうしよう、ぼく、一生分の運使っちゃったかもしれない!」
「へ?」
 一体何があったのだろうか。
 宝くじに当たった? いや、そもそもこの栗色の髪の妹が宝くじを買う筈がない。それとも、事故にあって奇跡的に助かった? 奇跡的に助かるのはいつもの事。
 基本的に、自分達姉妹は不運と呼ばれる。どうでも良いところでひっくり返ったり怪我したりするのは日常茶飯事だ。
 その、自分達、いや自分よりは僅かだがマシな方だと思われる妹が運を使い切るなんて言う幸運とは何だったのだろうか。
「どうしたの、数馬」
 今日の料理はクリームシチュー。あとはことこと煮込むだけ。火を小さくして伊作は妹の数馬に近寄った。
「あ、あのね」
「うん」
「同じクラスに、なった!」
「え?」
「作ちゃんと、同じクラスになったんだ!」
 それは、なんて幸運。
 肩で息をしながら、満面の笑みを浮かべる数馬の顔を見て、伊作はその頭を撫でた。
「それで、運を使い切ったって?」
「うん! だって、去年なんてぼく八組だったんだよ? 作ちゃんは一組で階が違うから顔を見れる事だって奇跡的だったんだから。それなのに、同じクラスだよ? すごいでしょ!」
 数馬の柔らかな髪を撫でて、伊作は笑う。
 こんなことで喜べるって自分達はなんて単純なのだろう。今時の女子たちならば、こんなことで一喜一憂しない筈だ。それでも、嬉しい同じクラス。それはまた、伊作にとっても同じ事。
「僕も数馬に知らせたい事があったんだ」
「え?」
「ほら、とりあえず靴を脱いでから上がって。食べる用意してくれる?」
「あ、はーい!」
 自分がまだ玄関で、まくしたてるように伊作に喋っていた事を思い出した数馬は、靴を脱ぎ揃えると、とたとたと足音を立てて部屋に入る。そうして、制服から楽な服装に着がえると食器棚からいくつかの食器やグラスを出した。
 伊作の料理は世界一美味しい、と数馬は思っている。確かにプロの料理人に比べれば月とすっぽんかもしれない。それでも、伊作の料理は懐かしい味がする。温かい、味がするのだ。
 今日は数馬も好きなクリームシチュー。人参が星形なのは、六年前から変わらない。
「お姉ちゃん」
「何、数馬」
「今日は何シチュー?」
「ホウレンソウとベーコンだよ」
「ぼく、それ大好き」
 お皿を何枚かリビングの小さなテーブルの上に並べて、数馬は笑う。そうすると、伊作も笑ってくれた。
「数馬、そろそろパンを焼いてくれる? バゲットがあるから」
「はーい」
 フランスパンより短いパンをテーブルの上で器用に切り分けると、トースターに入れる。何も気がねしなくていいのならば、ガーリックバターを塗るところだが、明日は学校。我慢我慢と言い聞かせ、数馬は残りのパンを袋に入れた。おそらく、これが明日の朝食になる事は間違いない。
「出来たよ」
 今日はちょっと早い夕飯だね。そう言って伊作は笑う。
 確かに時間は午後六時を少し回ったくらいだ。いつもはもっと遅い。大体八時頃になるのが普通である。
「そう言えば、お姉ちゃん、バイトは?」
「ん、始業式はいろいろ忙しいだろうからって。今日はお休み」
 委員長になっちゃったしねぇ。
 そうころころと笑いながら言うのは、昔から変わらない。
 用意したさらにクリームシチューをよそうと、伊作は数馬に皿を渡す。数馬はそれを受け取るとテーブルの上に置いて、焦げ目が軽く付いたパンをバスケットに入れた。
「よし、じゃ、先に頂きますしちゃおうか」
「うん」
 エプロンを外した伊作は、椅子の背もたれにエプロンをかけると数馬の向かいに座る。そうして、二人揃って「いただきます」と手を合わせた。
「で、数馬」
「ん?」
 スプーンでシチューをすくって飲んでいた数馬の顔をじっと見て、伊作はパンに手を伸ばす。
「富松君、だったの?」
 それは、伊作が一番知りたかった事。他人の空似かもしれない。なんでもない、人かもしれない。それでも、数馬は中学に上がってからずっと彼の事を伊作の前では作ちゃんと呼ぶ。
「違う、かもしれない」
「え?」
「だって、今までは遠くで見てたから、理想とかあったと思うんだけど…間近にしたら違うのかもしれないって思った」
 それでもね、と数馬は言葉をつなげる。
「やっぱり、作ちゃんなんだ。声も顔も性格も。左門と三之助がいないのが不思議なくらい」
 一年に一度のクラス替え。その中に自分の名前と彼の名前を見つけた。教室に入ると不思議な感覚に襲われて。じっと中を探るとそこには、ずっと会いたかった人が笑っていた。
「そっか…」
「うん。だから、ぼく一生分の運、ここで使ったかなぁって…」
 数馬が誰よりも会いたいと願った人。その人の側にいれるなんてなんて幸せ? これから先起こる不運で賄えるかどうかも危うい幸せ。
「それなら、僕も使っちゃったかもねぇ…」
「え?」
「あのね、今日のクラス替えで、留さんと同じクラスになっちゃった」
 確認したのは自分の名前。そして、彼の名前。教室に入れば何一つあのころと変わらない彼がいた。
「伊作先輩も?」
「もー、数馬。生まれてから十五年経ってるんだから、そろそろその伊作先輩は止めてくれないかな」
「だって、伊作先輩は伊作先輩じゃないですか」
「でも、数馬のお姉ちゃんなんだからね、僕」
「分かってます。けど…」
 過去の片鱗が少しでも垣間見れた時、数馬は伊作を「伊作先輩」と呼ぶ。どこかでスイッチが切り替わるのだろうか。
「でも、なんて言うか、凄い偶然、ですよね」
 ちぎったパンを口に入れると、数馬は笑う。
「そうだね、ずっと眺めるだけだったからね」
 同じ学校に入って、見つけたのは自分の記憶より少し幼い姿。見つけた瞬間に駆け寄ろうとしたけれど、それはためらわれた。もしも、相手に記憶がなければ、ただのナンパにしかならない。そうして声をかけられないまま丸二年が過ぎ、気が付くと同じ学校で過ごせるのは一年しか残っていない。その一年を同じクラスで過ごしていける。なんて幸運だろう。そう思わずにはいられなかった。
「でもね、お姉ちゃん」
 数馬のスイッチが切り替わる。
「作ちゃんの名字、富松じゃなかったんだよ」
「え?」
「食満作兵衛だったんだ…」
 不思議な事が起こってるでしょう? そう言って数馬は首をかしげる。
 食満、と言う名字は全国的に見て珍しい。と言うより、その名前を持つ人間を伊作は一人しか知らない。
 食満留三郎。
 五百年の間風化する事もなく、伊作の心の中にいる名前だ。そして、今日、同じクラスになった他人の空似で片付けたくない人の名前。
「でも、数馬」
「何?」
「他にあの時の記憶がある人間がいたら、僕らの間柄だって何、だよ」
 善法寺家の姉妹。姉の伊作と妹の数馬。間違いなく姉妹だ。あの頃は先輩と後輩の間柄だったのに。
「ぼく、伊作先輩の妹として生まれてくるなんて思いませんでしたよ」
「僕だって数馬が妹になるなんて思ってもみなかったよ」
 その上、お互いに過去の記憶を共有しているなんて。
 過去の、記憶。どこかの深い森の奥。その学園はひっそりと佇む忍の為の学校。自分達はその学校の生徒で、忍者のたまごだった。共に笑いあい競い合い成長して行った仲間達。先輩や後輩なんて言う関係ではあったけれど、赤の他人だった筈。間違いがなければ。
 それなのに、今その記憶を持って生まれ変わってみれば伊作と数馬は姉妹となっていた。同じ保健委員。それだけが二人をつなぐ物だった筈なのに。
 それと同じように、同じ委員会と言うだけであの二人も兄弟になったと言うのだろうか。食満と言う名字を持つ留三郎と作兵衛の二人も。
 こうなると、ますます話をしてみたくなった。
 過去の記憶があると思えない。それでも、友達にはなれないだろうか。前のように、昔のように。
 男女の友情は難しいと言うけれど、駄目だろうか。
 クラスが同じと言う幸運だけをくれた神様は、最後までちゃんとフォローをしてくれない。あとは自分でなんとかしろと言う事だろうか。
「ともかくは」
「お友達、からかな」
 奥手な数馬が男子に声を帰られるとは思わないけれど。誰とでも隔てなく付き合える伊作に深い友情を培えるかどうかわからないけれど。
 それでも。
「お姉ちゃん」
「何?」
「ぼく、頑張る」
「え?」
「約束したんだ。だから、作ちゃんと友達になる」
 男子は怖い。そう言って伊作の後ろにいつも隠れていた妹が、たった一つの約束を守るために、勇気を振り絞ろうとしている。自分も負けてはいられない。覚えていない約束かもしれないけれど、あの時、約束したのは確かな事。
「じゃ、僕も頑張らないとね」
 ゆっくりとシチューをすくって伊作は口に運ぶ。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「シチュー、お代わりして良い?」
「いいよ。たくさん作ったから」
 その言葉に数馬は笑みを零すと椅子から立ち上がりキッチンの方へ向かった。
 その背にすみれ色の髪が揺れる事はないけれど、栗色の髪がふわふわと揺れている。
 大事な、妹の数馬。
 この幸運が彼女に幸せをもたらしてくれますように。
 そう願わずにはいられなかった。






 突然の幸運は
 今までの不運の代わりと





 神様が呟いた







貴女に祝福を










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始めてみました、姉妹編。
しかも転生パロという事で、右斜め当たりをすっ飛んで行きました。
これからどう転がって行くのか自分でもよくわかりません。
珍しい事に留←伊と富←数です、はい。
この設定で一緒に遊んでくださる方募集中(笑)。



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