それは、遠い十一の番号。 「聞いてくれよ! オレ白桜の子と知り合っちゃった!」 全くを持って嬉しくない登校日。午前中だけだからと自分を奮い起こして来たのだけど、帰りのHRの前にそんな事を言った馬鹿が居た。 とは、作兵衛の気持ちである。 暑さには慣れているので、ぐで、となる事は無いが机に肘をついて、その馬鹿の話を聞いてみることにした。 「すげーじゃん、お前!」 「だろだろ! カラオケでナンパしたんだけど、その中にいたんだよ、白桜の子が!」 白桜の子だって人間だ。カラオケくらいは行くだろう。しかし、こんなのにナンパされて可哀想ににとその子に同情してしまう。 「目的はその子じゃなかったんだけどさ、その子に狙いを変えてさ」 「うんうん」 「見事、白桜の子のアドレスゲットいたしました!」 わーっと起こる歓声。同じクラスの男どもは狂喜乱舞だ。 「オレにも、白桜の子紹介してくれるよう頼んでくれよ!」 「オレも」 「オレも!」 「まあ、落ち着けって」 机の上に座っているクラスメイトは、はっきり言って作兵衛とはあまり接点が無い。食満留三郎を崇拝する作兵衛にとって、軽薄な行動はどちらかと言えば苛立つことが多く出来るなら係わり合いになりたくない人種だ。上っ面だけクラスメイトのふりをしていれば良い。そんな関係。 ちらりと沸き立つ男子を見ながら、作兵衛は携帯を出した。 何度も確認した。 赤外線通信をしたのだから間違いないのだけれど、暇があれば確認してしまう。 『三反田数馬』 確かに、アドレス帳の中にあって、番号もメールアドレスもちゃんと登録されている。 その話を、きちんと仲間達にはした。 孫兵は、良かったなと笑ってくれた。 藤内は、おめでとうと言ってくれた。 左門は、すごいな、奇跡みたいだと言ってくれた。 三之助は、頑張ったなお前、と言ってくれた。 ちゃんと、白桜女子の中等部の子であることは伝えている。 けれど、こんな風に浮き立つ人間はいなかった。 「あ、これ、その子の写メだけど見る?」 机に座った生徒は、誇らしげに携帯を開いて写真を見せる。 「何だ、二割増じゃん」 「そう、それだけがなー」 どうやら、そいつにとってその女の子はどうでもいい存在らしい。本当に可哀想に思えてきた。 自分なんて、白桜と聞いただけで臆してしまったのに。諦めようとしたのに。それが彼女の為だと思ったのに、彼女は友達になりましょうと言ってくれた。 もしかしたら、彼女は二割増の部類かもしれない。自分の美的感覚はあまりあてにならないので、可愛いと思っているのは自分だけかもしれない。 それでも、彼女は可愛いと思う。 ドーナツを嬉しそうに食べている姿は、物凄く可愛かった。 小さくちぎって口に運んでとろけるように笑った顔は、富松作兵衛青春メモリアルの一ページに刻みたかったくらいだ。 ほんとに可愛いんだよ、こんちくしょう。 思い出すたび、顔が赤くなってしまうほどに可愛かった。 それに、数馬の先輩でさくらの君と留三郎達が呼んでいた伊作も、とても可愛い人だった。意志の強いすっとした眉と大きな瞳。留三郎と意地の張り合いをしたあの勇気。あの二人が結婚をするというなら喜んで受付係を引き受けましょう。 並んでいて、とても絵になる二人だったからそんな風に思ってしまう。 それに比べて自分と来たら、あの可愛い彼女と並んで遜色ない男だろうかと悩んでばかりだ。 すみれ色した髪はふわふわしていて、一度でいいから触ってみたいと思ったりした。別にやましい気持ちはない。目がくるりと丸くて太い眉毛も愛嬌があって、しかも水色の制服がこれ以上無いくらい似合っていた。 来年、自分は鳥羽工の制服を着ることになるだろう。そうした時、自分は隣に並べるだろうか。今から、そんな心配をしている。 ちろりと携帯を開いている生徒を見ると、そいつは確か獅堂に進むとかで顔もいい。部活はサッカー部でエースストライカーだとか。 自分とは全く違う華やかな経歴を、少しだけ妬ましく思った。 それでも、鳥羽工に通う意思は固い。あの学校は専門的な知識も学べるし、大学進学だって可能だ。不況のこの時代、学歴よりも手に職を付けたい。そんな作兵衛の思いを今では仲間達も知っている。腐れ縁の仲間は、大事な財産だ。誰一人、作兵衛を困らせるような真似はしない。 白桜と言うブランドに興味はあるが、紹介しろなんて言わなかった。むしろ、応援してくれた。 それなのに、自分といえば未だ連絡を取れないという駄目さに涙が出そうになる。 その時、担任が入ってきて帰りのHRを始めた。 作兵衛もその男子も慌てて携帯を鞄の中に放り込む。違反とはされていないが、学校での使用は禁止されているのだ。 短い担任の言葉と、少しの宿題。それを受取って一日が終わる。だが、誰も帰ろうとしないのは白桜の連絡先が欲しいあまりだ。女子はといえば、それを面白くなさそうに眺めておしゃべりをしている。 アホらしい。 よし、帰りにアイスを買って留三郎のところに行こう。バニラは好きじゃないと言っていたので、何かさわやかな奴を箱買いして言った方が良さそうだ。誰が来るか分からないし。 鞄を持って立ち上がった作兵衛は、あくびをしながらドアに向かう。 その時震えた、鞄。 おそらくマナーモードにしていた携帯が鳴っているのだ。 誰だろうと思いつつ開いてみると、そこには『三反田数馬』の文字。しかもメールではなく、電話の方だ。 慌てて通話ボタンを押すと、「あの…」と控えめな声が帰ってきた。 彼女の、声だ。 心臓が一気に早鐘を打ち出す。 落ち着け、落ち着け作兵衛。ともかく、教室を出てからそれからだ。 『富松、さんですよね?』 「三反田さん? どうかしたのか?」 『あの、その…こんな事、お願いできるのが富松さんしかいなくて…』 自分しかいない。その言葉に眉間に皺を寄せると、作兵衛は教室から素早く飛び出し廊下の突き当たりで立ち止まった。 「なんか、あったの?」 『……確か、富松さん、東第三中学校でしたよね…』 「そうだけど」 『そこに、沢田さんって方いらっしゃいますか?』 沢田。クラスメイトに一人いる。よくある苗字だし、他のクラスかもしれない。それに、同級生とは限らない。 「いるとは思うけど、名前とか分かる?」 『サッカー部の方だと聞いたんですが』 ……まさかとは思うが。 「三反田さん、最近カラオケに行った?」 『いえ、行ってませんが…その…』 良かった。あの携帯の中にある写真は彼女じゃない。けれど、あのアホみたいなのが関係しているのは確かだ。 「何か、言われた?」 『いえ、その、同じ委員会の子が…』 泣きそうな声だった。今傍にいるなら、ハンカチを差し出してあげるのに。あれから、作兵衛は毎日ハンカチを持ち歩くようになっていた。 「……その子、違う学校の子とカラオケに行っただろ」 『え! なんで分かるんですか!』 驚いたような彼女の声に、作兵衛は溜息を一つ。 「それで、連絡先を教えて欲しいって頼まれなかった?」 『はい…』 よし、半殺し決定。 「三反田さんの連絡先は、その子に教えてないよね?」 『頼まれたんですけど、怖くて…』 留三郎先輩、今名前をお借りしていいですか。ついでに、立花先輩。あと、お名前だけを知っている要注意人物潮江先輩。お二方の名前をお借りします。 「その子の相手に、友人を紹介したいんですが獅堂の立花先輩からアドレスは教えるものじゃないと言われていまして、ってメールを返す様にしてもらえるか?」 『え?』 「それで駄目なら、鳥羽工の食満留三郎と犬見の潮江文次郎が貴方に話があるみたいなので、連絡先教えていいですか、って送るように言って」 彼女の平穏な暮らしを守らなければ。その為に、尊敬する先輩の名前を借りても怒られないだろう。怒られたらその時だ。 『はい、分かりました』 「あと、絶対三反田さんの連絡先、教えたら駄目だからな」 『はい、ありがとうございます』 震えている声が、穏やかなものに変わる。 『ごめんなさい』 「え?」 『初めての電話がこんな事で…もっと、楽しいこと、お話できたら良かったのに』 そう言えば、初めての電話である。慌てていたが、初電話である。藤内が喜んでくれそうな状態である。 「気にすんなって。また、何かあったら連絡してくれていいから」 『富松さんって』 「何?」 『優しいんですね』 それは君限定です、とは言い辛く「困ってる時はお互い様だろ」と妙に掠れた声で言ってしまった。 「一応、その件が片付いたらメールもらえる? こっちも確認しておきたいから」 『はい、じゃあ、一度切りますね』 「ああ、それじゃあ」 ぴ。 通話ボタンを切ると、作兵衛はその場に座り込む。 初電話。電話越しの声も、可愛かった。しかし、まさか初電話でこんな事になろうとは。 もっと、かしこまった感じの電話かメールだと思っていたのに。自分しか頼れないと言ってくれたあの声は、本当に嬉しかった。 自分に信頼を置いてくれている。もしかしたら、思い上がっているかもしれない。それでも、彼女は自分を相談相手に選んでくれた。唯一の男友達の自分に。 その時、嘘だろ! と言う叫び声が聞こえた。 それは間違いなく、あのアホだろう。 確認しておかなければと、作兵衛は携帯を鞄に入れ教室に戻る。そうすると、さっきまで自信満々だったクラスメイトが顔を青ざめさせていた。 「どうしたんだよ、沢田」 「獅堂の立花仙蔵の知り合いみたいだ…」 「うぇ、マジかよ!」 こんな時に何だが、作兵衛は本当に有名なんだあの人と思ってしまった。あの人と知り合いで怖がってもらえるなら、自分もその手を使うか? なんて思いつつ自分の机から忘れ物を取るふりをする。 そして、メールの着信音がまた一つ。その後、沢田は顔色を失った。 「さ、沢田?」 「やべ、オレこの子と縁切る!」 「何で!」 「鳥羽工の食満留三郎と犬見の潮江文次郎がバックについてやがる」 「何だって!」 それまで沸き立っていた空気が一変した。 どうやら、メール作戦は上手く言ったらしい。クラスメイトは作兵衛が留三郎に勉強を教わっていることを知らない。これで、彼女とその友人の平穏は保たれそうだ。 作兵衛は満足そうに笑うと、教室を後にした。 宛先:富松作兵衛 件名:ありがとうございました 友達が、無事に断れました。 変な誘いばっかりで困っていたみたいなので良かったです。 こんな時まで頼ってしまって申し訳無いのですが、富松さんの声が聞けて嬉しかったです。 不謹慎ですね。ごめんなさい。 今度お話しするときは、富松さんのこと聞かせてくださいね。 近い内に、お礼をしたいので良かったら会ってやってください。 三反田数馬 遠い十一の番号。 だけど、@マークなら。 君への初メールはどうしたら喜んでくれるのか。 そればかり、考えています。 @君 −−−−−−−−−− 富→数ですよ。参考資料電/車/男の本。 友人達とわちゃわちゃするのも書きたいんですが、初電話と言う甘酸っぱい設定を活かしたくこんな事に。 哀れなのは沢田君ですね、はい。 戻る |