こんなことって、アリですか。



 ねえ、神様!






 そこ、と指差された店は全国チェーンのファストフード店だった。いつもなら、仲間とよく行くハンバーガーを提供する店を選ぶ。しかし、彼女達が選んだのは、よりにもよって、一番近付かないドーナツを提供する店であった。二人は何が美味しいのか分からないまま、適当にドーナツを二つとアイス珈琲を選んで席に着く。
「食満先輩…」
「ん?」
「なんか、俺、夢見てるんですかねぇ」
「安心しろ、誰が見ても現実だ」
 周りを見れば女子高生ばかり。ちらちらとこちらを見るのは、おそらく、留三郎の顔を見ているのだろう。文句なしの男前である。さっき、すみれの君こと三反田数馬が顔を赤くしたのも無理は無い。その瞬間、失恋を決定付けた訳なのだが。だが、何か、本人たちがあずかり知らぬ方向に走っていっているようで、それを決定付けるのはちょっと早いかな、と思ってしまった。我ながら現金である、と作兵衛は思った。
「しっかし、女の子ってのは凄いな」
「え?」
「前から思ってたんだけど、ここぞと言う時の力は男より凄い」
 確かに。あの時のさくらの君こと善法寺伊作は、しっかりと留三郎の手を握っていた。そして、逆ナンパに見えるような勢いで自分達の事をこの場所に留めさせ、今、自宅に帰っているところである。
「でも、先輩」
「ん?」
「さくらの君に、会えてよかったですね」
「……おう」
 ちょっと照れくさそうに、留三郎は笑った。
 留三郎が探して探して会えなかった、さくらの君。そのさくらの君の名前と学校まで分かってしまった。留三郎が一目惚れするのが分かるくらいの、凄い人である。最初にその外見に飛びつくでもなく、怪我の治療がしたいという奇特な女の子。脱臼をいとも簡単に治し、そして今もまた捻った手の心配をしているらしい。そして、その上自分達を助けてくれた礼がしたいという、誠実な人だった。真っ直ぐな、性格。女の子なのに、女の子じゃない、そんな感じがした。女の子が苦手な留三郎の心を鷲掴みにする程の、最高の女の子。それが、善法寺伊作と言う人だ。
「お前こそ、すみれの君に会えたじゃないか」
「……ええ、まぁ」
「何だ、顔が暗いぞ」
「いや、なんか現実って残酷なんだなぁって」
「は?」
 気付かなければ良かったのに。留三郎は、あの水色の制服を見た瞬間諦めたのだろうか。自分が進むのは、鳥羽工で、数馬が通うのは白桜。そりゃ、女子高から見れば、評判の良くない男子校なんて害虫と一緒でしょうから。と作兵衛は思った。それでも、数馬が自分の事を覚えていてくれたのは、嬉しい。物凄く嬉しかった。中身はちょっと熱血で驚いたけれど、纏う空気は柔らかでふわふわで、作兵衛の心を捉えて離さない。作兵衛は、誰かと付き合った事などない。それは、男友達と馬鹿やっているほうが楽しかったのもあるし、女の子と言う生き物が不気味なものに見えていたからだ。知らない化粧品の匂い、短くなっていくスカート、脱色した髪、耳にピアス。何でそんな事をするのだろうと、疑問で仕方なかったのだ。それが可愛いと言う人間が多いので、おそらく、作兵衛の意見は少数派だろう。だが、数馬は違った。そのままの等身大の女の子だったのだ。無理をせず背伸びせず。年相応の可愛さと言うか何と言うか。ともかく、作兵衛の理想の女の子だったのだ。
 それを今、諦めようとしている。
 溜息を付いて飲んだアイス珈琲は、沈んだガムシロップの味がした。
「お前、俺の言った事きにしてんのか?」
「え?」
「いや、鳥羽工が白桜と折り合いが悪いって言う」
「………」
「そんなの、制服さえ着てなければいいと思うぞ」
「だって、先輩は……」
「ああ、俺はいろんな意味で…て言うか、悪い意味だがな。名も面も割れてるし。白桜には近付けない。でも、お前はそんな事は無いだろう?」
 鳥羽工の食満留三郎。確かに、いい噂は聞かない。そして、留三郎の噂をしているのは、派手な化粧の女子達だ。大人しい女子からは鳥羽工は怖いと言う噂しか流れてこない。
「無理ですよ」
「どうして?」
「三反田さんに、迷惑かけたくないです」
 迷惑をかけたくはないと言うのは確かな事。でも、それ以上にここから恋愛に発展する事など無理かもしれない、と作兵衛は思う。もしも、自分がもっと頼れる男ならば。いや、すっとして洗練された中身はおかしいけれど外見は完璧な立花先輩のようであれば、望みは繋げたかもしれない。けれど、それは無理な話。チビで愛想が悪くて乱暴者の自分の事を彼女が好きになってくれるなんて思えなかった。
「そうか…」
「はい…」
 留三郎は、この不器用な後輩に自分を重ねてしまう。会いたかったさくらの君。名前も分からず、ただ、白いワンピースと亜麻色の髪を揺らして消えていった少女。探した。必死になって探した。恥も外聞も投げ捨て、幼馴染達にも手伝ってもらった。けれど、会えなかった。それから、三年。彼女との出会いは、唐突に現れたのだ。空から降ってきた、と一瞬思うくらいの錯覚。あの瞬間自分の視界には、作兵衛と亜麻色の髪だけしか無かった。助けなければ! そう思って抱きとめた三つの命。三年前のように脱臼はしなかったけれど、筋を確実に痛めている。そんな事など、気にせずにいて欲しかったのに。少しでも表情に出した自分が悪いのだが。せめて、あの水色の制服でなければ、少しは望みはあったかもしれないのに。情けない。三年間も思い続けた彼女を諦めるのには、まだ時間がかかりそうだ。
 男二人で失恋かな、なんて思っていると。
 いらっしゃいませー、と言う声と共に視界に飛び込んできたのは。
 きょろきょろと周りを見渡して、自分達を見つけるとにっこりと笑う。
「待っててくれたんですね!」
 息を切らして、伊作が二人に近寄ってきた。
 その格好は、あの水色の制服ではない。ただ、二人が想像していたものとは違う、ジーパンにTシャツ、その上からカーディガンと言うありふれた服だった。
 数馬も似たり寄ったりである。ただ、Tシャツは少しレースがついた可愛らしいものだったけれど。
「良かった、帰ってたらどうしようかと思いました」
 鳥羽工まで行く、と言われて帰るわけには行かない。鳥羽工にくると言う事は、猛獣の中に羊を放り込むようなものである。
「伊作先輩」
「あ、ごめんね、数馬」
 数馬はとたとたと後ろからトレーを持って歩いてくる。そのトレーには、アイスティーとアイスカフェオレが一つずつ。
「前、座ってもいいですか?」
 もちろんどうぞ、と言う言葉は留三郎と作兵衛には紡げそうに無い。無言で手で前の席を指すと、ありがとうございます と伊作が言った。
 どうしよう、今天国が見えるよ藤内。
 傍に藤内がいるのならば、間違いなくお前の頭がおかしいといってくれるだろうが、その藤内はここにはいない。ツッコミ不在である。
 目の前には、ちょこんと座った数馬と柔らかく微笑んだ伊作。諦めようとしていたのに、目の前に姿を捉えると、そんな気持ちどこかに行ってしまった。
「食満さん、それから富松さん」
「はい」
「あ、はい…」
「この度は、本当にありがとうございました」
 伊作が、すっと頭を下げる。それに続いて、数馬も頭を下げた。
「いや、そんな頭下げられるほどの事はしてねぇよ」
「いえ、落ちかけた僕と数馬を助けてくれたのは、本当ですから」
「だって、あのまま落ちたらあんたら二人怪我してたぞ」
 その留三郎の言葉に、伊作は微妙な笑みを浮かべて。
「いつもの事ですから」
「え?」
「よく階段から落っこちるんです。今日は数馬も巻き込んじゃって…」
「違います、先輩! 今日はぼくが階段踏み外したんです!」
 何だろう、この二人。
 伊作と数馬の会話を聞いていた留三郎と作兵衛は首を傾げる。白桜の生徒がいるなら、それは、保健委員会だからと言われるに違いない。
「この前も、階段踏み外して…」
 それを助けたのは誰でもない、作兵衛だ。
「富松さんに助けて頂いたんです」
 そう言えばと作兵衛は思う。あの時、いつも一段目を踏み外すと言ってなかったか? そう思いつつ前を見ると、じっと自分を見てくる数馬の瞳。
 ちょ、やば、可愛い!
 恋をしたら壊れるといったのは誰だったろうか。孫兵? 三之助? ともかく、それは正しいと思った。
 目を逸らしたいのに、上手く逸らせない。どうしようと思っていると、留三郎が溜息を一つ。
「そんなに落ちやすいんなら気を付けておかないと」
 顔に傷でも付いたらどうするんだ。
 ああ、やっぱり、食満先輩はかっこいい。
 顔に傷なんか付いても多分、二人の可愛さは変わらない。それでも、顔は大事なものだから傷が付いたりしたら可哀相だ。
 そんな事をさらりと言えてしまう留三郎は、やっぱり格好よかった。
「す、すみません」
 数馬が俯いて、唇を噛む。その背中を、伊作が何度かぽんぽんと叩いた。
「ともかく、今回の食満さんの怪我は僕たちの不注意です。治療は出来なくても、何かお詫びをさせて下さい」
「気にすんなって。こんなの、うちの高校にいたら日常茶飯事です」
「それを言ったら、僕らが階段落ちるのも日常茶飯事です」
 両者、譲る気無し。
 真っ直ぐな気質が似ているのだろう。どちらかが折れる事を知らない。二人は目を合わせたままじっと座っている。
「女の子に詫びを入れてもらう程のことはしてねぇよ」
「でも!」
「あんたには、脱臼治してもらったし」
 伊作は必死だった。そして、留三郎も必死だ。これ以上、関わったら駄目だと言い聞かせている。けれど、伊作は関わりを断ちたくない。そう言っているように見えた。
「俺達みたいなのと関わったら、ロクな事がねぇから。気にするなって」
「…………」
 本当は誰よりも探していた筈の人。もう二度と会わないほうがいい。それが、彼女達には一番だ。留三郎がそう言っている様に聞こえた。
 作兵衛はシロップばかりを飲んでしまったアイス珈琲を一口飲むと、ちらりと数馬を見る。
 諦めたく、ないな。
 だって、どこ探したってこんな女の子いないから。もう、天然記念物と言って良いのではないだろうかと思える女の子。関係を断ちたくない。恋人なんかになれなくても、せめて友達に。彼女を守れるような男になって階段から落ちる瞬間を助けてやりたい。そんなの、無理な話だろうけれど。
 そんな事を思っていると。
「あの、富松さん」
「え?」
「お詫びとか、そんなの関係なく、お友達になってもらえませんか?」
「へ?」
 思わず、間の抜けた声が出た。
「数馬?」
 伊作が驚いたように、目を丸くしている。
「あの、ぼく、その、男の人の友達っていなくて。だから、友達になってもらえませんか?」
 震える声だった。
「食満さん、も、その、お詫びとか関係なく、伊作先輩の友達になってあげて下さい」
「かかかかかか数馬?」
 伊作の顔色が赤くなったり青くなったりしている。
「駄目、ですか」
 数馬は、俯いていた顔を真っ直ぐ作兵衛に向けた。泣き顔である。困った顔で、泣きだしそうになっていた。
 もしかしたら、怖いのかもしれない。それでも、何か伊作の為になる事をしたいのだろう。
 なんて健気! ますます惚れた! 作兵衛の心臓はお祭り騒ぎ第二段である。惚れた相手にここまで言われて、頑張らないわけには行かない。ここは、兄貴分の為に一肌脱ぎましょう!
「…俺で、いいなら」
 喜びを覚られないように、ぶっきらぼうにそう答える。
「作兵衛?」
「いや、俺も、女の子の友達っていないし。三反田さんさえ良ければ」
 本当は好きなんですけどね。そんな事言える訳が無いけれど、友達と言う立場は美味しい。それが留三郎の為であるならば、万々歳だ。
「本当ですか!」
 ……神様っているんですね、先輩。
 数馬が笑った。それはもう、花が綻ぶように。困った顔と泣き顔しか見たことがなかった作兵衛には、それが何より眩しく見えた。
「数馬? 大丈夫?」
「大丈夫、です!」
 真っ赤になった数馬は、アイスカフェオレを一口飲むと、にっこりと笑う。その時、ぐぅと言うお腹の音。
「あ……」
 数馬が真っ赤になっている。時間はもう昼前だ。お腹が空いてもおかしくない。それを聞かれたのが恥ずかしかったのか、目に涙が溜まり始めている。
「良かったら、食う?」
 そう言って、作兵衛は自分の皿を差し出した。
 そこには、このチェーン店では有名なぽんで某とおーるど某が乗っかっている。あまり甘くないものを選んだつもりだけれど、数馬にあげるならもっと可愛いのを選んでおけばよかったと少し後悔した。
「いえ、そんな訳には…」
「嫌いなヤツだった?」
「ち、違います、けど…」
「じゃ、悪いけど食ってくれるか?」
「え?」
「俺、何選んでいいかわらからねぇで、適当に頼んじゃって。食べれるかどうかわかんねぇからさ」
「三反田さん、貰ってやってくれ」
「食満さん…」
「それから、善法寺さんも良かったらこいつ、食ってくれるか?」
「え?」
「頼んだ後に言うのもなんだけど、あんまり甘いのって得意じゃないんだ」
 作兵衛に引き続き、留三郎も苦笑いしながら皿を伊作に向かって差し出す。
「そんな、悪い、です」
「いいって。女の子ってこう言う甘いもの好きなんだろ?」
「…そう、ですけど……」
「じゃ、食ってくれ」
 詫びはそれで良いよ。
 留三郎は、そう言った。あくまでここで縁を切るつもりなのだ。
「分かりました、食べます」
 伊作はその強い視線を、留三郎に向けて。
「だから、友達になって下さい」
 友達から勧められたものを食べないわけには行かないでしょう?
 にっこりと笑って、そう言う。
「数馬、食べよう?」
「はい! 富松さん、頂きます」
「食満さん、頂きます」
 そう言って、二人はドーナツにぱくりと噛み付いた。
 その姿は、どこか小動物みたいで可愛い。
 食べている姿を眺めながら、留三郎と作兵衛は顔を見合わせて、照れ隠しのように笑った。





「あ、これ、連絡先です」
 店から出る前に、そっと渡された紙を折ったもの。
 紙には名前と携帯番号、そしてメールアドレス。綺麗な、字だった。
「いや、こんなの貰うわけには…」
「だって、友達でしょう?」
 伊作の笑顔に勝てないと悟った留三郎は、持っていたシルバーの携帯を出して、そこにある電話番号を押す。そうすると、持っていた鞄から伊作が水色の携帯を取り出して、番号を確認して笑った。
 その隣で赤外線通信をしている数馬と作兵衛の二人。
 こうして、これから周りをやきもきさせる奇妙な友人関係が出来上がったのである。





 先輩!
 何、数馬?
 薄荷さんに会えて良かったですね。ああ、もう薄荷さんじゃなくて、食満さんですけど。
 数馬こそ、富松さんがいちごさん、なんでしょ。
 そう、ですけど。
 数馬が友達になりたいって行った時、びっくりしちゃった。
 ぼくも、 びっくりしました。
 いざって言う時の行動力は数馬の方が高いもんねぇ…。
 そんな事無いですよ
 ううん、数馬は凄い。
 伊作先輩の方が、凄いです。
 そんな事無いよ。
 だって…
 だって?
 何でもありません。
 (かわいいなぁ、数馬。これはもう、富松君と両思いになってもらわなくちゃ!)
 (伊作先輩が探してた人なんだから、絶対に食満さんと両思いにしてみせる!)





 あなたは、この世にはいないと思っていました。
 いつも、気まぐれで、意地悪で。
 だけど、今日ばかりは





 あなたに、感謝します








ありがとう、神様










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お友達になりました(笑)。
頑張ったのは伊作と数馬です。留三郎、根負けしました。作兵衛、良かったね!
ともかく四人がお友達になったので、これからいろいろとあるのかと。
伊作と数馬は今度からエルメスと呼ぼうと思いました(by電/車/男映画版)。



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