君を助けたいと思ったのは、無意識の必然 壮絶だ。 三之助は汗を拭ってそう思った。 基本的に「運営」やら「中央部」やら等と言う何かを動かす部署とは程遠い学生生活を送って来た三之助にとって、目の前でくるくると動く少女達の慌しさは、見た事の無い光景で。 孫兵に言われるまま、物を運んだり修繕したりと力仕事をこなしているが、それ以上に袴姿の少女たちは忙しそうだ。 女子校と言うものは、おっとりとした女の子の集団だと思っていたのに、中に入ってみればパワフルで男手なんて必要のない様に見える。 「すみません、次屋さん、これをあっちまで運んでください!」 「あ、はい」 流石に同じ場所を二十回以上往復すれば、その場所は覚える。まっすぐ言って右。作兵衛に迷惑をかけるわけにもいかないし、孫兵の手を煩わせるわけにも行かない。 女の子の力では往復五回はかかるであろう荷物をひょいと持ち上げると、三之助はすたすたとこの学校内で覚えた場所に向かう。 でも、何か、凄く違う。 壮絶な状態で覚えたのは、凄いなあと思ったのと同じくらいの違和感。 何だろう、何だろう、何だろう。 どさり、とダンボールを置いてその場所で腕を組む。 何が、違うのか。 左門みたいに見抜く力が欲しい。 本質を見抜く力が欲しい。 情報が多すぎて、多すぎて、多すぎて、大事なものを失っている感じが…… 「あ」 三之助は違和感の正体を漸く理解して、そのままその場所から走り出した。 作兵衛曰く「大事なこと」を目の前にすると、方向音痴より物事を見極める嗅覚が強くなるとか何とか。 がらり、と実行委員会が集まる場所、生徒会室と書いてあるその扉を開けると無言で部屋の一角に向かう。そこには、孫兵がいて。 「次屋、次はこれを持って……」 三之助の気配を感じ取ったのか、孫兵がそう言うかいなか。 ひょい。 「え………」 「あのさ、これって、伊賀崎さんがいないと駄目なこと?」 「え、その……」 その場にいた少女達は驚いて目を丸くする。 「つ、次屋!」 孫兵の太ももの辺りを持って担ぎ上げるように抱き上げた三之助に、孫兵の声は裏返った。 「もし、少し伊賀崎さんに時間が上げられるなら、上げてもらいたいんだけど」 「お前、何を言ってるんだ! 僕は実行委員長だぞ!」 「実行委員だとかそう言うのじゃなくて、休めるときに休まないと夜まで持たないんじゃないのか?」 「え……?」 感じた違和感。 それは、孫兵の顔色の悪さ。 肌は元々白いのだけれど、それを引いても白すぎた顔色。 「無理することと、頑張ることは違うって、作兵衛や左門が教えてくれた」 ぼーっとしていたり、何かと迷惑をかける事の多い自分。頑張らなければと思ってから回って。そんな時に、自分のしている事は頑張りじゃなくて無理なのだと二人が怒りながら教えてくれた。 迷子になったら迎えに行くから。 迷ったときは決めてやるから。 だから、お前はお前でいろと笑ってくれた友達。 その大事な友達の言葉を、頑張っているけれど無理が見える女の子に教えたくて。 「きっと、伊賀崎さんが倒れたりしたら、みんな困るから。だから、少し休憩しよう?」 「きゅ、休憩するから、下ろせ!」 「ふら付いてるから、駄目。あのさ、誰か保健室まで案内してくれないか? 俺、多分、迷うから」 保健室の場所を聞いて歩いても迷子になる自信しか無い。 抱えた孫兵の足は恐ろしいほど冷たくて、力が入ってないことなど一目瞭然。自力で歩ける内に気が付いてあげれば良かったけれど。 「……僕が案内する」 「そう?」 これ以上少女達に心配をかけるわけには行かないと踏んだ孫兵がぼそりとそう言った。 「分かった。じゃあ、ごめん。伊賀崎さん、保健室まで連れて行くから」 そう言って荷物を持つのと同じ軽やかさで、三之助は運営本部を後にした。 「ごめんな、伊賀崎さん」 運営本部は、比較的静かな場所にある。通り過ぎる少女達はまばらだが、それでも三之助と孫兵の姿を見て驚いていて。 場所を指し示すしか口を開かない孫兵に、謝罪を口にしてから。 「もっと、別の方法で運びたかったんだけど」 「……これ以外に、どんな?」 棘のある孫兵の言葉に、苦笑いを零す。 「俵を担ぐみたいにして運んだほうが良いかなって思ったんだけど、そうすると吐いたりするかもしれないし。かといって、お姫様抱っことかそう言うの嫌いだろうから。これで、我慢してもらえるかな?」 女の子を抱えるようにして抱える事を孫兵は嫌がるだろう。 藤内を、数馬を、さりげなく守っている女の子。自分が守られる側に回ることなんて考えたくない筈。 格好良くて、優しい、女の子。 「……ちょっと休んでさ、元気になってまた動き回ればみんな心配なんてしないって。あの運営の女の子達、伊賀崎さんのこと大好きなんだな、って見てれば分かるから」 運営本部の少女達は、孫兵のことが大好きなのは見ていれば分かる。 あのまま倒れたりしたら、あの子達まで悲しんでしまう。 「階段下りたら、左」 「あ、うん」 孫兵の指示に従って階段を下りている三之助は気が付かなかった。 孫兵が、泣きそうになっている事を。 ――、そんな言葉を言ってくれた「男性」なんて今までいなかった、のに。 きらきら。 左門は、そんな言葉を思いながら周りを見る。 今まで見た事の無いきらきらとした風景が、新しい情報が流れ込んでいる。 少女達の袴姿は微妙に柄が違っていて、古いものから新しいものまで、たくさんの種類があった。 それに、校内は年季の入った場所が多く飴色に磨かれていてそれだけで綺麗だった。 でも、その中で一番きらきらしていたのは隣を歩いている女の子。 瞳がとっても綺麗な子で、その目の中に星がある、と左門はいつも思っていた。 綺麗な綺麗な星。 全部を真っ直ぐ見ることの出来る綺麗な星を持った女の子。 男のわりに、と言うか基本的に身長が低い左門と並んで同じくらいの身長だから、その瞳の中の星をいつも見ることが出来る。 左門の言う事は哲学みたいだ、と三之助は言う。 哲学なんて良く分からないけれど、きっと言っている三之助も分からないだろうけれど、作兵衛はなんとなく分かる気がすると頷いていた。 ともかく、左門の言う事は良く分からないと言う事なのだろう。 だけど。 途中から、その星が見えなくなった。 きらきらした星が、何かに飲み込まれたのか、瞳の中に星が見えない。 綺麗な星は、いろんな色を見せてくれていたのに、今は見えない。 一瞬立ち止まった左門に驚いたのか、同じように足を止めて。 「どうしたんですか?」 真っ直ぐに自分を見てきた瞳。 左門は、その瞳を見て思った。 ……、ああ、そうか。 ここに来た時から歩き続けている女の子。風紀委員長と言う役柄がそうさせているのかと思ったけれど、それは純粋に少女達への安心のプレゼント。 彼女が「大丈夫?」と声をかければ、他の女の子達は嬉しそうに笑うのだ。 それを見た彼女の星はきらきらと光って一番綺麗だった。 忙しい騒がしいこの学校の中で、彼女の強くて優しい部分は、女の子達にとって安心出来るもので。 だから。 「浦風さん」 「はい?」 左門は藤内に背を向けて、器用にそのまま藤内をおんぶするように持ち上げた。 「かかかかかかか神崎さん!」 上ずった藤内の声に、ちょっと驚きながら。 「すまない、三之助くらい背が高かったら抱き上げることも出来たんだけど」 「え?」 「同じくらいの身長だから、これが僕の精一杯だ」 筋力はあるものの上背の無い左門が「女の子」を運ぶ手段として最も適しているのは「おんぶ」だ。 流石に引き摺るわけにも行かず、突然で申し訳ないと思うけれど、これが一番手っ取り早い。 「浦風さんは、凄く凄く頑張ってるからな! 少し、休むことも必要だと思うんだ」 星が見えないのは、疲れているから。 左門は星が見える人間を二人知っている。 一人は、とっても明るい道しるべみたいな星。その星は、主に迷子になった自分に拳骨を落とすときに見ることが出来る。 一人は、強烈で優しい一番星。その星は、主にぽんぽんと頭を叩いてくれるときに見える。 その二人に星が見えないときは、疲れている時。 「お、俺……いや、私、その、疲れてなんて……」 「浦風さんが歩いた距離は、ざっと十キロ弱。それくらいを休まず歩いてるんだ。疲れるに決まってる。これからまだまだ頑張らないといけないんだろう? だったら、休むことも戦略的には必要だ!」 そう言って左門は休めるところを探す。 運営本部は休めないだろうし、だからと言ってそれ以外に。 「浦風さん、この学校の保健室はどこだ?」 休める場所の名前を思い出して尋ねると、戸惑った声が返ってきて。 「保健室?」 「ああ、保健室なら他の女の子もびっくりしないで済むだろう? それにびっくりされたら、僕が突然おなかが痛くなって保健室の場所を聞いたって言えば良い!」 「こ、この状態で?」 「え? これか? それなら、僕の迷子が酷くておんぶしたほうが早いって言われたって言えば大丈夫!」 彼女は優しいから、それに。 「浦風さんは、真っ直ぐで格好良い、みんなの一番星だから! 一番星はいっつもきらきらしてないと駄目なんだ」 きらきらしている彼女を見れば、みんな安心する。 それは、いつも一緒にいる二人も同じ。 「でも、星でもずっときらきらしていられないだろ? そう言う時は隠れたって良いんだ。隠れることは悪いことじゃないって、作兵衛と三之助が教えてくれた」 何でも真正面からぶつかっていこうとする左門に、言ってくれた事。 隠れることは卑怯でも何でもねえ、お前を大事に思うヤツを守るための手段だ! 隠れるって実は凄い事なんだぞ。それだけ、相手に隙を見せないって事だから。 けれど、それが自分らしさだからと二人は笑ってくれた。 「少しの間かくれんぼだっていいじゃないか。浦風さんを大好きなみんななら、ちゃーんとその理由を分かってくれる! ちょっとこの学校を歩いた僕が分かるくらい、この学校のみんなは浦風さんのこと大好きだからな!」 綺麗で、真っ直ぐな、星を持った女の子。 「で、保健室はどっちだ?」 「……真っ直ぐ行って右に」 「分かった!」 藤内の小さな指示を聞いた左門は気付いていなかった。 自分の背中で、藤内が真っ赤になって目を瞑っていることに。 ――、どうしてあなたは、俺の気持ちを分かってくれるんだろう。 女の子と侮るなかれ。 作兵衛は額の汗を拭って、ふうと息を付いた。 運動部の精鋭を集めたと言うこの舞台建築の現場は、共学の男子など真っ青の体育会系で全員がてきぱきと動いている。 それでも、要所要所や危険な場所は作兵衛が引き受けるようにはしていた。 せめて作兵衛のように動きやすい体操服のようなものであればまだ違っただろうが、袴姿が決まりらしくたすき姿で頑張っている彼女達に高いところや狭いところは可哀想だ。 自分がやると言う少女達に、服を引っ掛けたら大変だとか理由をつけて自分が難しいところを引き受けたけれど、彼女達の情熱は本物で自分が知識がなければ押されて負けていただろう。 それほどに、この学校にとって櫻会とは大事なものに違いない。 設計図は完璧ではないものの作りこまれたもので、強度が足りない程度だった。舞台になる場所には何やらひな壇のようなものも作るらしく、一体この舞台で何をするのだろうと少しだけわくわくしてしまう。 きっと、見たことも無いイベントが行われるんだろうな、と思いながら下に目をやると。 他の女の子が持とうとした角材を、いいよと笑って持ち上げる三つ編みの少女の姿。 この場所の責任者と言うのも手伝ってか、少女は誰よりも動いていた。 右から左へ、左から右へ、角材を持って、道具を持って、ちょこまかと。 その姿が、やっぱり可愛くて思わず笑ってしまう。 一生懸命な姿を笑うのはどうかと思うけれど、それでも、微笑ましくて。頑張っている少女が、可愛くて。 ちょっと自分でも気持ち悪いと思うけれど、作兵衛は緩んだ頬をむにむにとして後ろポケットにかけた金槌を手にした瞬間。 「三反田さん!」 悲鳴にも似た声。 何事かと思って視線をずらせば、そこには倒れた角材と数人の少女の姿。 その時の作兵衛の行動力は、誰もが驚くものだったろう。 結構な高さの場所から飛び降りて、じーんと痛む足の裏など気にする事無く走り寄る。 「どうした!」 「す、すみません、富松さん。驚かせて」 自分の声に怒気がこもっていた様に聞こえたのか、周りの少女達はびくりと肩を震わせて、三つ編みの少女も困ったようにか細い声でそう言った。 「何があったんだ!」 「あ、あの、先輩が、私を庇って……」 倒れている角材を見れば、立てかけていたものではない。そこに積んでいたものだ。 「富松さん、この子が悪いんじゃないんです。ぼくが、しっかりしてなくて……」 「違うんです! 私が、無理して角材を持とうとしたから……先輩に迷惑……」 じわり、と目に浮かぶ膜。 女の涙が苦手とか、そう言う事じゃなくて。 「庇いあいしてる場合じゃねぇだろ! 怪我は!」 「え?」 「誰か怪我してんじゃねぇのか!」 「富松さん……?」 「大事な舞台なんだろ? 綺麗な着物汚してまで、女の子なのにそんなに指先傷だらけにしてまで、作り上げたい舞台なんだろ! そんな大事な舞台を作るのに怪我人なんて出したら駄目だ!」 伝わってくる少女達の気持ち。 少しでも良いものを作ろうとする少女達の気持ちは、痛いほど分かる。 「この舞台に上がるやつらが、誰か怪我したって言ったらどんな気持ちになると思う? 自分達の為にって、そんな哀しい気持ちにさせたいのか!」 すっと、作兵衛は息を吸い込んで。 「気持ちは分かるから、三反田さんやここにいる全員がこの舞台を作り上げたい気持ちは分かるから、危ないことや難しいとこは俺に任せてくれ。自分が出来ないことを無理してすることはねぇよ。自分が出来ることを精一杯やりゃあいいだろ?」 熱くなると口調が悪くなるのは作兵衛の悪い癖だ。 「ここにいるやつらの頑張りが伝わらないような真似だけはしねぇから、頼む!」 作兵衛のその言葉に、ひっとしゃくりあげる声が聞こえた。 それに気が付いた作兵衛ははっとして、「悪い!」と頭を下げる。 ここにいるのは女の子で、いつも怒鳴っている二人ではない。怒鳴られると言う事に耐性すらないかもしれない。 それなのに、自分の感情を抑えることが出来ず怒鳴ってしまった。 「ありがとうございます、富松さん」 お礼を言われて、作兵衛は顔を上げた。そこには、三つ編みの少女が笑っていて。 「孫兵が、連れてきてくれて、本当に、良かった」 「え、あの、でも、俺、その、怒鳴って……」 泣いているのは一人や二人ではない。じんわりと涙を浮かべている少女達はかなりの数だ。 「いっつも、この場所は裏方だったから。富松さんの言ってくれたことが、嬉しかったです」 そう言う三つ編みの少女も涙を浮かべている。 確かに、こう言った仕事は裏方だ。目立つことではないけれど、根幹で大事な部分だ。 作兵衛もこう言う役割が回ってくることが多かったから、分からなくも無い気持ち。 「一つのものを作り上げるのに、裏方とか表方とか関係ねぇよ。俺には、ここにいる人たちがさいっこうに格好良く見える」 「え?」 大事な友達がくれた言葉。 頑張ってる姿が見えないやつの方が格好良いに決まってる! 頑張れば良いじゃん。頑張らないヤツより頑張ってるヤツの方が格好良いし。 地道に頑張るって何だろう、から回ってるだけじゃないか、なんて思ってた作兵衛にくれた言葉。 「女の子に格好良いとかごめんな。でも、ここの頑張りがなかったら、櫻会は成功しない。そうだろう? 本当なら自分が頑張ったって叫びたい筈なのに、それも主張しないで頑張ってる姿はさいっこうに格好良い!」 開き直ってそう言えば、泣いていた女の子達の顔に朱が走って。その上、困っていた彼女までにっこりと笑って。 それが照れくさくて座り込んでいる笑った彼女に手を差し伸べると。 「あ、あれ……?」 「どうした?」 「その、腰が抜けて……」 「三反田先輩、大丈夫ですか?」 「大丈夫、大丈夫……っ!」 そう言うのと同時くらいに作兵衛の体は動いていて、ひょいと、それこそ角材を持つくらいの動きで三つ編みの少女を抱え上げる。 「と、富松さん?」 「三反田さんは少し休憩した方が良いと思う。ずーっと動きっぱなしだからさ。木陰より、保健室の方がいいかもしんねぇ」 所謂お姫様抱っこ状態になっている数馬に、保健室はどこにあるのか確認すると、くるりと他の少女達を見て。 「あんな事言った矢先に悪いんだけど、ちょっと保健室に行って来るから。その、難しいのとか危ないのとかは残しといてくれ。絶対仕上げるから!」 困ったように笑った作兵衛は気が付いていなかった。 数馬の顔が、これ異常ないくらい真っ赤で泣きそうになっていた事を。 ――、この人はどうしてこんなにも優しいんだろう。 三人の女の子が緑色のジャージ姿の男子に抱えられて保健室に行ったのは、ほぼ同時刻だった。 「ちょ、ね、誰推し? 私は蛇姫のとこ! すっごいよー、あんな少女漫画展開そうそう無いって!」 「それでしたら、浦風さんのところなんて、微笑ましくて微笑ましくて!」 「いやいや、乙女のとこじゃない? 男気溢れてて、思わず乙女をお願いしますって言いそうになったもん」 きゃいきゃいと少女達の会話に上るのは、緑のジャージ達が見せた行動。 それは、驚きと賞賛を持って受け入れられていた。 「でも、名前が分からないよね」 「特徴は緑色のジャージだけですもね」 「だったらさ、つけちゃえばいいじゃなのかな? 姫制度もそれが始まりだって言うし」 素敵な女性を称える言葉として生まれた姫制度。 それは、名前も知らない人を呼ぶ為に出来たと聞いている。 「じゃあ、こんなのはどうかしら?」 ――、この時、緑色のジャージ衆が自分達にとんでもない名前が付けられたことをまだ、知らない。 櫻日和の昼 戻る |