桜が舞って、そうして始まりがやってくる。





「完全に浮いてるな」
 作兵衛の一言に、左門と三之助の二人は大きく頷いた。
 それを気にしているのはおそらく自分達だけで、校門の前はお祭り状態で何がなんだか。
 三人が浮いてるなと感じているのは、三人だけが詰め襟の学ラン姿だからだ。
 洒落たデザイナーズブランドの制服であれば違ったのだろうが、公立の高校にそこまで求めても仕方ない。
 屋台の一つでも出ていないのがおかしな熱気の中、校門の門柱の辺りをなんとか陣取り、ぼけっと時間を潰す。
 熱気の発生源になっていない三人は、おそらく付き添いの友人と思われているだろう。
 この場所で、ホワイトデーにとんでもない事をやらかした三人だとは気付かれていない。
 人間の記憶力なんてそんなものだ。
「うわ、はいからさんだ」
 校門まで来賓を迎えに来たであろう女子校の生徒の格好を見た三之助がそう言った。
 袴姿の女子生徒は、どこからどう見ても明治大正あたりの女学生の雰囲気を漂わせている。
 その女子生徒は、何やら高そうなスーツを身に纏った紳士を中へと誘導していた。
 女子生徒はしきりに紳士に謝っているが、紳士は苦笑しているだけだ。
 紳士にとっては、この惨状は毎年の事なのだろう。
「櫻会ってのはすげぇなぁ」
「うちの学校行事とは全く違うな!」
「由緒正しい云々ってやっぱり凄いよな」
 完全に物見遊山となっている三人だが、一応招待らしきものをされている。
 来賓ではなく、裏方、だが。
 裏方でも妙な格好で来る訳にもいかず、学生の正装である学制服で来ているが、待てどくらせど中から声はかからないし、携帯に着信もない。
 さて、どうしたものか。
 そう考えていると。
「や、やめて下さい!」
 校門はかなり広く、外車同士が余裕で三台はすれ違う事のできる広さがある。
 三人が立っている門柱より結構離れたところで、諍いのような、否、な不埒ものが沸いていた。
 やはり来賓を迎える立場にあるであろう女子生徒の腕を掴んだ、新人なのか玄人なのかわからない数人の少年。
 それを知らないことと流すものもいれば、止めようと息を巻くものもいる。
 それを皮切りに、結構な量の人間が校門の少女に詰め寄った。
 おそらく、左門は本能だ。
 少女が大変だと言う気持ちと、少女が泣いたら藤内が傷つく、と言うそれだけの思いだけで動いただけだ。
 三之助もまた本能だろう。
 見た目に反して三之助は正義感が強く、曲がったとこが嫌いだ。
 そしてまた、作兵衛は弱者に対して優しい。
 その三人が動かないわけがない。
「困ってるじゃないか!」
 身長は低いが、左門の握力は相当強い。
 少女の腕を掴んでいた男の腕を掴むと、男は小さい呻きを上げて手を離した。
「落ち着いた方が賢明だと思うけどなぁ」
 そう言いながら、三之助が女子生徒と詰め寄ってきた人間たちの間に隙間を作る。
 その間に作兵衛が女子生徒に校門の中に入るように促した。
 無意識の連係プレーと言うヤツなのかもしれない。
 泣き出しそうな少女に作兵衛は、校門には女子生徒を近付けない方が良い旨を「伊賀崎孫兵」もしくは「浦風藤内」に伝えてほしいと小声で頼んだ。
 それを聞いた少女は目を丸くして、作兵衛を見る。
 それはそうだ。
 蛇姫と藤姫の名前を知っている男など、ほぼいないのだから。
 作兵衛もそれに気が付いたらしく「富松作兵衛からだと言えば分かるから」と少女の背中を押した。
 少女はこくりと頷いて一礼すると、そのまま校内に走っていった。
 後先考えないのはいつもの事。
 この時、初めて三人が着ていた学生服と言う場にそぐわない格好が仇になった。
 一瞬、手を掴んだ子と話がしたかったのかな、なんて言う作兵衛の無駄な心配は明後日の方向に飛び出していくくらいの眼光が向けられた。
 その指には、蛇のリング。誰に会いたかったかなんて一目瞭然だ。
 その他大勢、と言っては何だがきちんと一人ずつ喋れば良いのにわーわーと騒ぐ男の声など聞き分けられる筈が無く、三人は右から左に全てを受け流している。
 ああ、うるさい。
 毎年櫻会とやらは、こんな状況なのか。風流な名前なのに。これでは、どこぞの花見客と変わりはしない。
 三人とも売られた喧嘩はお山の向こうに投げ飛ばすのがいつものことなので、胸倉を掴もうとした手をかわし、売り言葉を買わず、のらりくらりと全てを交わし続けていると、
 ざわりと人込みがゆれた。
 それは雄叫びというか絶叫に変わり、何が起こったのかと驚いていると、作兵衛の肩をぽんぽんと叩く手。
 振り返るとそこには、古き良き時代の中から飛び出してきた大和撫子が立っていた。
「と………」
 思わず名前を呼びそうになって、三人は作兵衛は左門の左門は三之助の三之助は作兵衛の口を塞ぐ。
「大変お待たせして申し訳ございません」
 息を整える様子を見せると、大和撫子はそれはそれは可憐に笑った。
 それを見た瞬間、昇天したのは初心者でツワモノたちはそれを何らかの形に残そうと必死だ。
 藤姫、藤姫、と叫ぶ声に返事をする事無く、藤姫こと藤内は三人の前にすっと手を滑らせて。
「どうぞ、お入りください」
 中へ入るように促した。
 言っておくが女子校だ。男子禁制の女の園、少なくとも櫻会の時に男、初老の男性や保護者以外の思春期の男子が入った事などない。
 それは、青天の霹靂だった。
 今まで決して崩れなかった校門と言う防御ラインが、危ういものに変わる……ような気がしただけだった。
 三人は促されるまま校門の中へと入る。
 その後に続こうとした男性をぴしゃり、と藤内が手で止めて。
「大変申し訳ございません。無関係の方が校内に入ることは校則で禁じられております。ご了承ください」
 凛とした声でそう言った。
 そうしてくるりと群集? 民衆? な彼らを背を向けると。
「責任者がこちらに来れず私が出向くことになりましたが、今日はご助力お願いいたします」
 三人の背中を押すように、その場を後にした。





「すっきりしたって感じだな!」
 藤内はそう言われて振り返る。
 すると、左門がにっこりと笑っていた。
「すごいな、あれだけ丁寧な言葉で威圧するなんて! やっぱり藤内さんは格好良いな!」
 女の子に向かって格好良いと言うほめ言葉はどうなのかと思うけれど、それは今の藤内にとっては間違いなくほめ言葉。
「あ、ありがとうございます…」
 可愛い、と言われ続けた藤内には新しくて嬉しい言葉。
 そんなことを言うのは、主に学校の少女達で男の人にそんなことを言われたことはなかった。
「藤内さんは風紀委員なんだな」
「え、あ、はい…そうです」
 藤内の肩には風紀委員と書かれている白いリボンが付けられている。
 今年最上級生になった藤内は、風紀委員長に抜擢された。ずっと風紀委員会に所属していた所為もあるけれど、藤内の知名度も手伝っているのも確かだ。
 藤姫の名前は、校内でも校外でも絶大な効果を持つ。
 元々の熱血漢の性格もあり、藤内は学園の少女達にとって頼れる存在なのだ。
「真っ直ぐな藤内さんにぴったりだな!」
 これが口説き文句でなく、素直な賞賛の言葉として出てきている左門の行く末が怖い。 けれど、そう思ったのは作兵衛も三之助も同じらしくうんうんと頷いていた。
「ああ、そう言えば名前を名乗ってなかったな!」
 左門は思い出したようにぽんと手を叩くと、藤内の手をさりげなく自然にナチュラルに、下心などマイナスの状態で握ると。
「ぼくは、神崎左門だ! 今日は宜しく頼む!」
 無邪気にぎゅっと手に力を込めた。
「あ、……浦風藤内、です」
 さらりと口から出た自分の名前。それを聞いた左門はびっくりして。
「ぼくらに名前を教えて良いのか? 大事なものなんだろう?」
 目をくるりと丸くして、本当に心配そうにそう言った。
「今日手伝ってもらうのに、名前を知らないと不便でしょう?」
 自分の名前一つで目の前の人の名前が手にはいるなら安いものだ。
 藤内は自分の名前によく分からない付加価値が付いているのが嫌いだった。
 名乗ることに問題はないけれど、それによって周りが被る被害が大きすぎる。
 そんな藤内の気持ちなんて知らなくても良いけれど、自分の名前を大事なものと言ってくれたのが嬉しかった。
「あ、その、浦風さん。俺たちは今日は何をすれば良いのかな?」
 今にもスキップの一つでしそうな藤内に作兵衛が話しかけると、藤内はにこりと笑って。
「孫兵のところに行きましょうか。孫兵は実行委員長なんです」
 そう言った。





「すっげー! はいからさんだ!」
 がらりと扉を開けた瞬間、聞こえてきたのはそんな言葉だった。
 何かと思って顔を上げれば、軟膏男がきらっきらとした目で孫兵を見ている。
 突然の学ラン三人衆の登場に孫兵の周りにいた少女達が驚いた。
「ごめんね、藤内。迎えに行ってもらって。みんなも安心して。手伝いに来て貰っただけだから」
 柔らかな笑みを浮かべたあと、ふっと三人を見て「今日は宜しく頼む」と無表情に近い顔で言った。
 意識はしていない。ただ、敵意が働くのだ。男性と言うものに嫌悪しか持っていない孫兵は、基本的に敵意を剥き出しにする。
 無表情になるのはその所為だ。
 今日も大事な数馬の為でなければ、そして同胞である藤内の為でなければ、この学園に呼ぶことはなかった。特に軟膏男など投げて捨てたいくらいだ。
 きらきらした目で自分を見て。
「すっげぇなぁ。やっぱり格好良い」
 そう言う軟膏男など……
 格好良い?
 驚いて軟膏男を見れば、感心したように孫兵を見ている。
「どう言う意味?」
 思わず尋ねると、きょとん、とした後。
「まごへいちゃんのはいからさん姿は格好良いだろうなぁって思ってたから」
「は……?」
「校門に来た子達、みんなはいからさんだったから、まごへいちゃんもはいからさんだったら格好良いと思ってたら、やっぱり格好良かった」
 綺麗だと言われる事はある。
 格好良い、と言うのは主に少女で男性から投げかけられたことは無かった。
「……女の子にずいぶんな言葉だな」
 嫌みの一つでもと思って投げかければ、さらに軟膏男はきょとんとして。
「だって、まごへいちゃん、背筋ぴんってしているし、たっぱあるし、声もハスキーだし、人と話すとき絶対に一度は目を見るし、周りにいる女の子の不安を取り払って上げようとしてるし、それに……」
「もういい」
 たんたんと出てくるほめ言葉に孫兵は眉間に皺を寄せてそう言った。
 この男の観察眼は侮れない。人の本質を見抜くのが上手すぎる。無自覚に無意識に人の本質を見抜いてしまう。
「それから、ちゃん付けはやめろ」
「え? 女の子なのに?」
 ずっといらいらしていた事をぶつけると、またきょとんとする。
 それに関しては、作兵衛がすっと手を挙げて。
「それ、こいつの癖なんだ、ごめん……」
 申し訳なさそうにそう言った。
「小学校の時に、先生に男の子はくん、女の子はちゃんを付けて呼びましょう、って言われたのを忠実に守ってるだけで…」
 そんなバカな。
 この年にもなって、そんなバカなこと。
 そう思ったけれど、きょとんとした顔をみると馬鹿なことではない気がした。 
「……富松作兵衛達は、敬称が付いてないだろ」
 そんなはずはない。
 もう一度否定するつもりで言ったけれど、返ってきた答えは。
「それは、俺たちがいらないからって教えたからで……」
「だったら、僕のも教えれば良いだろう?」
「え、でも、俺、まごへいちゃんの名前知らないし。まごへいちゃんはまごへいちゃんだし」
 思った以上に道理が通じる相手と言うか、見た目に反して良い子過ぎる軟膏男に孫兵は、いらっとしたものと同時に少しの安心を覚えて。
「伊賀崎孫兵」
「へ?」
「僕の名前は伊賀崎孫兵だ。好きなように呼んで良いからちゃん付けはやめろ」
 自分の名前を口にした。
 ざわり、と周りの少女達が驚いたのは仕方ないことだ。
 孫兵は自分の名前を人に教えない。自分の名前がどれだけの効力を持っていて影響を与えるか知っているからだ。
 そんな孫兵の名前を聞いた軟膏男は。
「あ、俺、次屋三之助。軟膏じゃなくて、三之助」
 忘れてたと言わんばかりに自分の名前を名乗る。
「次屋だな」
「三之助で良いよ。みんなそう呼ぶし」
 無自覚で無意識で、おそらく他意も下心もない三之助の言葉。
「女の子だから伊賀崎の方が良いのかな、作兵衛」
「せめて、さんを付けろ。伊賀崎さん、な?」
 思考が迷子な三之助の言葉に、作兵衛がため息を一つ付く。
「分かった、えーっと伊賀崎さんと、浦風さんと、かずまちゃん」
 指折り数えて名前を確認した後自分でも違和感に気付いたらしく、はっとして。
「かずまちゃんがいないよな?」
「そうだな! かずまさんがいないな!」
 左門と三之助はとんでもない方向音痴だが、自分の感情にはストレートで。その上行動力もあるので、迷子に拍車をかける。
 二人が、探しに行こう! と走りだそうとした瞬間、作兵衛がその首根っこを掴んだ。
「てめぇら! ここは他校! 俺たちは部外者! 俺でさえ分からないんだから走り出すなつーか、勝手に行動するなバカ!」
 首根っこをぎゅっと締め上げて、作兵衛が叫ぶ。
「え、でもかずまさん……」
「いいか、彼女は迷子じゃないしここは彼女の学校だから彼女は安全だ。むしろ、俺たちが迷子になる。わかるな?」
 ここでこの二人を放してしまえば、大変な事態になる。手伝いに来たのに、手伝って貰わなければならなくなる。それでは本末転倒だ。
「ああ、そうだ。藤内、数馬はあそこにいる?」
「うん、さっき見かけた」
 孫兵は周りの少女達に「ちょっと席を外すから」と声をかけると、こっちと藤内と一緒に三人をその場所から連れ出した。





「……あれ、女の子の仕事?」
「しょうがないだろう、女子校なんだし。それに、主に運動部の精鋭を集めてるから」
 三之助の疑問に、孫兵がむっとして答える。
 確かに女子校で女の子しかいなくて先生も女性でとなれば、設営も女の子の仕事だろう。
 だがしかし、流石に大工仕事はどうかと思う、と思った三之助は紳士なのかもしれない。
 金槌を持った女の子達はたくましくて素敵だが、格好が全員はいからさんだ。動きにくそうなことこの上ない。
「手伝って貰おうと思ったのはここなんです」
 藤内が困ったように笑うと、左門はなるほどと首を縦に振った。
 左門は気付いていないが、かっちこちに緊張した藤内は敬語を使っている。
 学校内では殆ど敬語を使わないが、自然と口から出ていたのは敬語だった。 
「そっか。で、かずまちゃんは?」
 三之助が名前を呼ぶと。
「これで良かったかな?」
 聞き覚えのある声が向こうから謎の建築現場に走ってきて、手にしていた角材を金槌を持った少女に見せている。
「かずま、さん?」
 左門がくるりと目を丸くすると、藤内が、ちょっと戸惑ってから。
「数馬、力持ちなんです。だから、毎年設営部署の担当で、今回は責任者で……」
 そう言ったが早いか、作兵衛が走り出したのが早いか。
 作兵衛は走って数馬に近付くと、ひょい、と手にしていた角材を持ち上げた。
 いきなり軽くなった事に驚いた数馬が振り返ると。
「え……?」
 いる筈のない作兵衛の姿に、目を見開いた。
 幻覚を見たのかと思った、とは後の数馬の言葉だ。
「あ、え……え?」
「女の子じゃ辛いだろ。それから、金槌貸してくれないか」
 金槌を手にしていた少女も驚いて、そのまま金槌を作兵衛に渡してしまう。
「釘が曲がると、強度に問題出るから」
 作兵衛は受け取った金槌でとんとん、と斜めに刺さった釘の角度を調整して、真っ直ぐに打ち直した。 
 数馬は状況を把握できていない上に、軽くパニックを起こしかけている。
 おろおろとし始めた数馬に孫兵と藤内は近付いて。
「数馬」
「孫兵、藤内、どういう事? なんで、とまつさん?」
「ごめんね、黙ってて。今年は舞台の建築が大変だからと思って外部に応援を頼んだんだ。知っている男の人って少ないから」
 パニックを通り越して顔面蒼白な数馬は、今にも泣きそうで。
 可愛く見られたい、と思っている数馬の気持ちは痛いほど分かる。角材を持って来た姿を見られたのは、泣き出したいくらいの衝撃だろう。
 けれど、孫兵と藤内は確信している。
 それくらいで、富松作兵衛と言う男が数馬を「可愛くない」なんて思わないだろう、と。
「これ、何かおかしいな。設計図ってある……えーっと、かずま、さん?」
 金槌を持って全体の構造を見ていた作兵衛が振り返ると、そこには泣きそうな数馬。
 やばい、早まったか!
 良くない妄想は、作兵衛の十八番と言うヤツで。物事を悪いほうに悪いほうに考えてしまう。
 思わず助けたつもりだったけれど、迷惑だっただろうか。いや、それよりも自分が怖いんじゃ……
「あ、あの、俺、その、富松作兵衛って言うんだ! 別に、かずまさんに迷惑かけるつもりもなくて、その、ごめん……」
 何を言っていいか分からず、とりあえず名乗って謝った。
「手伝うつもりで来たんだけど、その、いきなり出てきてごめん……その、あの、そう言う服って動きにくそうだから、つい……」
 体が動いてました!
 直角に頭を下げる作兵衛に数馬は尚更におろおろとして、見ている方が辛くなってしまう。
 限界だろうか。自分たちが手を貸した方が良いだろうか。
 途中参入組の孫兵と藤内と違って、数馬は純粋培養の「お嬢さん」だ。もしかしなくても、作兵衛が怖いのかもしれない。
 ふっと、動こうとした二人の足を止めたのは。
「折角可愛い格好なのに、汚れたら大変かなって……思いました、スミマセン……」
「かわ……いい……?」
 作兵衛の言葉に、数馬が袴を掴んでいた手を緩める。
「あの、うん、その……すげぇ似合ってるのに、汚れて着替える事になったら勿体無いなって……」
 さらりと作兵衛の口から出た言葉に、いつもの作兵衛だなぁと三之助と左門は首を縦に振った。
「にあって……?」
「あ、えっと、変な意味じゃなくて、伊賀崎さんとか浦風さんとか着てるの見て、かずまさんも着てたら似合うだろうなって、思って……」
 それは本当の事。ハーフアップにした藤内とぱっつんおかっぱの孫兵もはいからさんな格好は似合ったけれど、彼女ならもっと似合うだろうと思ったのだ。
 長い髪を、あのパーカー姿の時のように二つに分けて三つ編みにしてリボンをつけて。そんな事を考えたら、目に入った姿は想像そのままで心臓が高鳴った。
「これ、を? ぼくが?」
「あ、うん……やっぱりお嬢さん、って感じでイメージ通りで似合うなあって」
 その時作兵衛は自分が口にしていた己の妄想に気が付いて、ぎゃぁぁぁ!と叫んだ後その場で土下座をする。「す、すみません、ホント、変な意味じゃなくて、いや、可愛いのはホントで、いや、あの、その、かずまさんかわいいっすね! ホントにね!」
 やけっぱちとばかりに矢継ぎ早にまくし立てた作兵衛の前に数馬は膝を付いて。
「あの、その、ぼくは、三反田数馬、です」
「え……?」
「あの、え、と、名前……」
 泣きそうな顔で笑った数馬に見惚れた後。
「あ、俺、富松……」
「作兵衛さんですよね? 先ほど、名乗られたので」
「あ、そう。そ、それで、俺、ここを手伝っても良いのか…な?」
「出来れば、お願いします。これ、設計図です」
 数馬が懐から出したのは、コピー用紙を畳んだもの。それを作兵衛は恐る恐る受け取って、中身を見る。
 全く、本当に、あいつは数馬の王子様だな!
 孫兵が苦々しくそんな事を思っていると。
「伊賀崎さんは凄いな! 作兵衛に任せるのは適任だぞ!」
「あー、確かに」
 孫兵をきらきらとした瞳で見る左門と三之助の姿。
「どう言う事?」
「作兵衛は、大工って言うかああいうの得意なんだ。将来の夢は建築士だからな!」
「そうなんですか?」
「うん。あいつの作った椅子とか、使いやすいし」 
 数馬から受け取った設計図を見た後、なるほど、と頷いてから。
「伊賀崎さん、角材の追加頼めるか?」
「構わないけど……」
「これだと、筋交い入れないと辛いと思う。これ、何に使う舞台なんだ? ものによっては、強度を上げる必要性があるんだけど」
「姫が座るんです」
 作兵衛の言葉に数馬が笑って。
「姫?」
「この学校の伝統みたいなもので。孫兵と藤内も座りますよ」
 後で、お話しますね。
 そう言った数馬の顔を見て、作兵衛はやや戸惑った後。
「あの、笑わないで貰えるかな…」
 意を決したように言った。
「え?」
 自分に笑わないでくれと言うのだろうか。数馬がそんな事を考えると。
「その、男手が必要だからって言う事はそれなりの体力勝負だろうと思って、下に着込んできたんだ」
 体操服。
 消え入りそうな声で、そう言った。
「た、体操服?」
「あ、うん…その、こんな洗練された学校に着て来るようなものじゃないんだけど……その」
「そんな事まで考えてくれたんですか?」
 その瞬間、ぴんぴろりんと作兵衛に対する数馬の好感度が上がったのは言うまでもない。
「笑いません。それより、そこまで考えてくださったのが嬉しいです」
「ホント、凄いものだから、……笑っても、うん、仕方ないかなって」
 格好良いところを見せたいけれど、他校の公式行事に参加するなら、それなりの格好でなければならない。
 ダサいのは公立高校の運命と諦めて、作兵衛は学ランを脱ぐ。
 その下は、鮮やかな緑がまぶしい、通称「芋ジャー」と呼ばれる裾と袖にゴムが縫い付けられたトレーナータイプのジャージの上下だった。
 胸には眩しく「富松」の文字。
 ホントに凄いな、と孫兵が思っていると隣で学ランを脱いだ三之助も同じジャージで、胸には「次屋」の文字。
 そして、何故か膝には可愛いくまさんのアップリケ。
「次屋」
「何?」
「その、膝の……は?」
「あ、これ? 破いたら母ちゃんにくっつけられて。分かりやすいから良いかなって」
 三之助は身長も高く、しっかりとした体躯だ。その膝にくまさんおリリカルなアップリケ。ギャップ萌えを通り越して。
「かずまちゃんが笑わないのに、笑うってひどくない?」
 孫兵はその場に座り込んで、笑ってしまった。
「あの、左門さん」
「何だ?」
「左門さんは、なんでハーフパンツなんですか?」
「ああ、切った!」
「切った!」
「裾が長くて邪魔だからな! 勢い良く切った!」
 勢いがあり過ぎるというか、決断力があり過ぎると言うか、藤内が驚くのも仕方ない。
「作兵衛さんたちって、誠実な方たちですね」
 芋ジャーの恥ずかしさで真っ赤になった作兵衛に、数馬は思ったことをそのまま伝える。
「え?」
「だって、そんなきちんと公式の場で通用する服をちゃんと考えてくれるなんて」
 ますます、好きになってしまいました。
 そう言い掛けて、数馬は慌てて口を覆う。
 そんな肝心なところは隠してしまった数馬の一言が嬉しくてにやけそうになるのをこらえると、作兵衛は孫兵たちに近づき。
「あ、あのさ。俺、多分ここから動けなくなるから、伊賀崎さんと浦風さんに二人を頼んで良いか? 多分、そのジャージなら目立つし、側に置いとけば何かと役に立つから」
 迷子防止、とばかりに二人の首から携帯をぶら下げた。
「いいか、人様には迷惑かけるなよ? 伊賀崎さんと浦風さんに迷惑かけるなよ?」
 本気の目でそう釘を刺して、孫兵と藤内に「お願いします」と頭を下げる。
 どちらがどちらを担当するかなんて、言わずとも分かる。
 藤内は元気良く答え、孫兵は笑いすぎて目の端に涙を浮かべた後仕方ないと頷いた。
 そんな二人を見た数馬はにこりと笑って、久しぶりに訪れた幸運に。
「うれしいなぁ」
 ぽつりと、呟いた。





 ――こうして、長い長い櫻会の一日が幕を開けたのである。







櫻日和の朝










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