質問:こんな偶然、ありなんでしょうか 答え:あります。 「買っちゃった…」 「あのパワーは凄いよね」 雑貨屋から出てきた三人の少女は、他の数人の少女にばいばいと手を振って街を歩いた。 街の至る所がハートで溢れ帰る時期である。三人の少女の手に握られているのは赤い色の袋だ。女の子が今日と言う日に持っている赤い可愛いくラッピングされた袋と言うだけで中身は推測できる。 「友チョコ配っちゃったしなぁ…」 「だから、そんな手の込んだチョコ買うなって言ったじゃないか」 「でも可愛いものは可愛いし…」 マフラーに顔を埋めたポニーテールの少女は、袋の中身を思い出して仕方ないよと呟いた。 ストラップのくまのぬいぐるみが可愛くて、思わず買ってしまった。一緒についてきたチョコレートはトリュフで三種類の味が入っている。 「付き合いで買うんだから板チョコで良いんだよ、板チョコで」 どうせ自分で食べるんだから。 さらさらとした髪を肩の辺りで揃えた少女が、面白くなさそうにそう言った。 「でも、やっぱりバレンタインっていつも見ないチョコレートがあるから」 すみれ色の髪を二つに分けて三つ編みにしている少女は、しょうがないよと笑う。 そんな少女が買ったのは甘いチョコレートボンボン。色んな味が楽しめる一粒チョコの詰め合わせだ。 「藤内からはブラウニーを貰ったし、数馬からはフォンダンショコラ貰ったし。僕はそれで良いけど」 「それ言ったら、孫兵だって凄く美味しいチョコレート取り寄せてくれたじゃないか」 既に友チョコを渡し終えている三人にとって、このチョコは想定外。断りきれない女同士の付き合いと言う奴で買ってしまったチョコだ。 「でも、何か…自分で買ったチョコ自分で食べるって寂しくない?」 「難攻不落の藤姫様。渡したい相手でも居るの?」 ちらりと孫兵が藤内を見ると、藤内はいないよと言葉を濁すがあげたい相手がいるのは分かっている。 孫兵はそれが面白くない。 夏に海に行った後、藤内はどうにもそこで出会った男が忘れられないらしい。どんな悪い男に捕まったのだろうか。純粋培養の藤内に手を出した奴ぶっ飛ばす、の勢いで孫兵はいつもいた。 「孫兵はあげたい人はいないの?」 「藤内と数馬にあげただろ」 「そうじゃなくて」 「男にチョコレートなんて似合わないと思うんだけど。何、数馬もあげたい人いるの?」 それはまた面白くない事態だ。 天然娘の数馬にまで色恋沙汰などあってたまるか、と叫ばなかっただけ我慢した方である。 「ぼくから貰って嬉しい人なんていないよ。友チョコでも怪しいのに」 「数馬は少し自分に自信を持とうね」 藤内がよしよしと数馬の頭を撫でた。 「あ、信号変わっちゃった」 渡ろうとした信号が変わってしまい、三人は足を止める。 「お父さんにも渡しちゃったし…」 「渡す人いないんなら僕が貰うけど?」 「孫兵、くまのストラップだよ?」 「じゃあ、数馬にあげればいいじゃないか」 「数馬はうさぎのストラップがもう付いてるし」 そんな会話を三人がしていると、どん、と背中を押す感触。 「え……」 体が前に倒れる感覚。この交差点は車が歩道のぎりぎりを走る。 数馬が顔を覆った。孫兵が手を伸ばした。 間に合わない! だが、そんな藤内を助けたのは。 「あ、危なかった…」 後ろから回された、手。 ぺしゃん、とその場に藤内と一緒に座り込むのはおそらく少年。学ランに通された腕ががっちりと藤内を守っている。 「大丈夫か、あんた!」 頭の中が真っ白になった藤内の肩を叩いて、別の少年が藤内を覗き込んだ。 「あ、あの……」 「藤内! 藤内!」 「誰だよ! 藤内を押したのは!」 孫兵と数馬は泣きそうな顔で、座り込んだ藤内に抱きつく。 「無事みたいだな!」 後ろから声をかけられて、藤内は思わず振り向いた。 そこにいたのは。 「あ………」 嘘みたい、と小さく呟く。 そこにいたのは、あの時の。 「あれ、アイスの子…?」 「やっぱり、アイスの人ですよね…?」 気の所為か、何だか周りがピンク色のオーラに包まれているような気がしてならない。 そう思ったのは孫兵だけではなかった。 「おうい! とりあえずその手を離せ。その子が立ち上がれないだろう?」 「あ、そうか。すまない! 大丈夫か?」 「だ、大丈夫です…」 少年が手を離すと藤内に手を差し伸べる。その手を取って藤内は立ち上がった。 「とりあえず、ここ、交通の邪魔だからこっち」 低い声で孫兵が邪魔になら無い場所を指すと、はっと気づいたのかそこにいた五人はその指差す方向へ進む。 「藤内を助けていただいてありがとうございました。では」 「ではじゃないよ、孫兵!」 「何か良からぬ予感がするから帰る!」 「でも、あの人藤内を助けてくれたんだよ?」 藤内を連れて去ろうとする孫兵の手を数馬が必死で掴んだ。 「それに、俺、まだあの時のお礼言ってない!」 「あの時だって…?」 しまった。 藤内は自分が口にした言葉に気が付く。 勘のいい孫兵の事だ。気付いてしまっただろう。 「……帰る」 「孫兵、孫兵!」 くるりと踵を返した孫兵の手を数馬と藤内が必死で掴むが、孫兵はてこでも動こうとしない。 「おい、あんたら」 「あ、ごめんなさい、ちょっと待ってください!」 数馬が振り返り、藤内を助けてくれたであろう少年とその友達を見る。 その時、神様っているのかもしれない。そう思った。 だけど、きっとこんな偶然直ぐに終わってしまう。悲しいけれど。 「孫兵、ちょっと待って。すぐ、終わるから」 藤内が、俯いて小さな声で言う。 「お願いだから、ちょっと待って」 そんな真剣な声の藤内のお願いを、孫兵は無視できなかった。気に食わないけれど、藤内のしたい事をさせてやりたい。そう思って、じっと藤内を見て、いいよ、と零した。 「あの……」 藤内は助けてくれた少年に、そっと手にしていた赤い紙袋を渡す。 「え?」 「ありがとうございました。こんなものしかないんですけど…」 ここで会えると知っていたなら、もっと美味しいブラウニーを焼いてくれば良かった。そうしてアイスのお礼も言えたのに。 くまのストラップがついたチョコなんて可愛いものを貰ってくれるか分からないけれど。 「ぼくに、くれるのか?」 「はい」 「ありがとう!」 藤内から受け取った少年はにっこりと笑う。 良かった。やっとお礼が出来た。 藤内も嬉しそうに笑う。 「…………」 その光景を見ていた少年の友達が、やったな、と、とん、と少年の背を叩いた。 そんな光景を後ろに、数馬が震えながら息を整えている事に気付いているものはいない。 落ち着け自分、落ち着け自分。 こんなぼくですが、勇気を下さい神様。お願いします! 大きく深呼吸をして手の中のものをぎゅっと握り締めて、数馬は少年の友達の前に立った。 「あ、あの!」 声が震えている。 覚えていてくれている訳が無い。でも、二度と会えるかどうか分からない。いい方向になんて転がらない。だったら、しない後悔よりする後悔を選んだ方がいい。 「覚えてらっしゃらないかもしれませんが、あなたのお陰で髪を切らずに済みました。ありがとうございます!」 そう言って、震える手で赤い紙袋を差し出した。 「あん時の…パーカーの子…」 「え……」 「今日は三つ編みにしてんのか。それなら絡まらないな」 覚えてくれていた。 一度しか会った事の無い自分を覚えていてくれていた。 「お礼、ちゃんと言いたかったんですが、これ、貰ってください!」 「え、俺でいいのか?」 「はい」 「……ありがと」 赤い紙袋を受け取って、友達はにっこりと笑う。 面白くないのは、孫兵であった。 難攻不落の藤内と天然娘の数馬をそそのかした相手と遭遇するとは。全くを持って面白くない。そして、さっきから自分を見ている男。どこかで会ったような気がするが気の所為だと思いたい。 ああ、本当に面白くない! そう苛立っていると、自分を見ていた男がすっと孫兵の体を寄せた。 「な!」 ちりりりりん! 孫兵の後ろからやってきたのは暴走自転車。ぶつかったら危なかっただろう。 「あぶねーなぁ」 「は、離せ!」 「あ、わり」 どうやら無自覚だったらしい。 孫兵の体を離すと、何事も無かったように少年の隣に立った。 面白く無さ過ぎる! 孫兵は赤い紙袋を助けてくれた男に投げつけた。 「え?」 「礼だ!」 中身は板チョコ。惜しくも何も無い。 「藤内、数馬! 帰るよ!」 「え、あ、孫兵! そ、それじゃあ、ありがとうございました!」 「あああああああああ、ありがとう、ございました!」 ずんずんと歩いていく少女三人を見送った少年達はぽかーんと口を開けた後、顔を見合わせる。 「これさぁ、チョコだよな」 「多分」 「今日はバレンタインだもんな!」 「左門、あの子と知り合い?」 「ああ、夏に海で会った事がある!」 「あの迷子になったときか…」 「あの子、とうないって言う名前なのか。友達になりたいな!」 「無理じゃねぇか。あの子達結構有名な女子高の制服着てたぞ?」 「そうか。ならその女子高に行けば会えるかもな!」 「ところでさっきから冷静な作兵衛君。君は何でチョコレート貰ってるんだ?」 「え?」 「涙浮かべて必死にチョコくれる女の子がいたなんて知らなかった知らなかった」 「いや、前にちょっと知り合った子で…その…」 「作兵衛、顔、真っ赤だぞ」 「名前はかずまちゃんだったかな。覚えた覚えた」 「そう言うお前こそチョコ貰ったじゃねぇか!」 「俺、今年、これが本命だって信じる」 「はぁ? 投げつけられたチョコをか?」 「だって、探してたし。黒ビキニちゃん。名前はまごへいちゃんかぁ…」 「三之助、気持ち悪いぞ!」 「いいじゃん、チョコもらえたんだし。大事に食うぞっと」 「ぼくも大事に食べる!」 「………」 「なあ、三之助」 「うん、妄想してるな」 2月14日。 たまに、奇跡は起こるのかもしれない。 2月14日の奇跡 戻る |