それは、もう恋なんじゃない?





「よし、ナンパをしよう」
「……は?」
 目の前には広がる大海原。空にはとびっきりの太陽。そして、砂浜を埋め尽くす人の群れ。
 泳ぐ目的で来ているにも拘らず、何を言い出したこの馬鹿。
 作兵衛は海パンにパーカーといった格好の三之助を見上げると、似たような格好の左門の腕を引っ張りつつ間抜けな声をあげた。
 左門はと言えば、アイスクリームを買ってくると言って聞かず飛び出していきそうなのに。
 お前ら二人が違う方向走って行ってどうするんだよ! この人込みの中出会える確率は奇跡だぞ!
「なぁ、作」
「三之助」
「何?」
「寝言は寝て言え」
「そんな器用な真似出来るか」
「冗談は聞き飽きたぞ」
「冗談じゃない。それじゃ、俺、行ってくるから!」
「え、あ、ちょ、待て! 三之助!」
 三之助を追って行く為にうっかり左門の手を離すと、左門は三之助と正反対の方向に走って言ってしまう。
 残されたのは、顔を青ざめさせた作兵衛一人。
 ともかくあの二人は迷うのが特技の一つにあげられる。学校に行くのにも迷うくらいだ。この人込みの中どうやって探せばいいのか。
 頼りは二人の着ていたパーカーくらいだ。携帯電話はそこにある鞄の中に入っている。探しに行くにしても荷物を仮設のロッカーに預けていかねば。
「ああああ、もう! 何でこうなるんだよ!」
 ぐいっと三つの鞄を抱え上げて、ともかく仮設のロッカーに向かった。



「そこのお嬢さん」
 三之助が目をつけたのは、ビキニの少女である。年の頃は自分とそう変わらないだろう。きつそうな目と綺麗な白い肌。どこか爬虫類のような冷たさを持つその少女に声をかけずにはいられなかった。
 少女はこちらを見る様子も無く、腕を組んでじっと海を見ている。こんな声掛けには慣れているのだろうか。確かに、見栄えの良い顔立ちをしているが。
「ねえ、彼女」
 これでも駄目か。
 少女はあくまでも無視の方向で決め込んでいる。
 三之助はナンパと言うものをした事が無い。今日が初めてだ。夏だ祭りだナンパだと誰かが言っていたのを思い出してこうしてナンパしてみたのだけれど。
 こんなのの何が面白いんだろう。
 自分と話したくない人間と無理に話したって楽しくもなんとも無いのに。
 それでも何かしら楽しい事があるかもしれない。
 三之助と言う人間は前向きな人間だ。目の前の少女と話せればいいかな、なんて思ってしまう。
 白い肌に黒いビキニ。女の子と言うにはボリュームの無い薄い体。すらりとした長い手足。肩辺りで切りそろえられた髪が海風に靡いている。
「お姉さん、俺と少し話さない?」
 駄目で当たり前、と最後の足掻きに声をかけると、くるりと少女は三之助の方を向いて。
「男には興味ないから」
 冷たい調子でそう言うと、何かを見つけたのか颯爽とした足取りでその場を去っていく。
 その瞬間の顔に。
「やべえ、かも」
 ちょっとだけ、ナンパの楽しさを理解した。



「おっちゃん! バニラ一つ!」
「あいよー」
 麦わら帽子の店主がクーラーボックスからバニラ味のアイスキャンディを出すと、二百円を渡し左門はそれを受取る。
 やっぱりアイスはバニラに限る。
 これは左門の座右の銘であった。
 確かにチョコやストロベリー、抹茶も美味しい。
 だけど、アイスの王様はやっぱりバニラだ。
 そんな事を思っていると。
「え、売り切れ?」
「ごめんなー、お嬢ちゃん。他の味ならあるんだけど」
「そう、ですか」
 後ろから来ていた少女がしゅんとうな垂れて、クーラーボックスを眺めている。
「えーっと、じゃあ…」
「おっちゃん!」
「おう、どうした坊主」
「チョコ、一つ!」
「え?」
「ちょっと待ってな、このお嬢ちゃんが選んでからだ」
「おお、そうだった」
 はい。
 まだ包みを開けていないバニラのアイスキャンディーを少女に手渡すと、左門は笑う。
「え?」
「これだろ? 買いに来たの」
「そうだけど…」
「ぼくはチョコが食べたくなったから、やる!」
 最後の一本だったバニラ味のアイスキャンディ。それを買ったのは左門で。
「お、そうか。じゃ、ほら、チョコだ」
 店主が笑いながらチョコ味のアイスキャンディを渡すと、左門はそれを開けてぱくりと食べる。
「な、だからそれはあんたが食っていいよ」
「え、でも」
「まあ、お嬢ちゃん、この坊主の顔を立ててやれ」
 黒髪で目の大きな少女。ポニーテールにした髪が困ったように揺れている。水着は綺麗な水色のセパレートで、年頃の少女にしてはボリュームのある胸と腰から太腿にかけてのラインが眩しかった。
「あ、ありがとう……」
「気にするな! ぼくが間違って買っただけだ!」
 その時、自分を呼ぶ声がしたのか、少女は後ろを振り返る。
「早く行かないと迷子になるぞ」
 自分はおそらく既に迷子、だと思う。作兵衛に言わせれば、だが。
「あの、」
「ん?」
「いえ、あの、その、ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げる少女に、左門は笑顔を返して。
「大丈夫!」
 と親指を立てた。そうすると、少女は何度も振り返りながらその場を去って行った。
「あ、おっちゃん、これアイス代」
「いらねぇよ。俺のおごりだ」
「え、いいのか?」
「いいもん見せてもらったからな」
「いいもん?」
「坊主」
「ん?」
「男だな」
 店主はにこにこと笑いながら、ぽんぽんと左門の頭を叩く。
 左門は店主の行動に疑問符を抱きながら、久しぶりに食べたチョコ味の美味しさに、チョコも有りだな等と思っていた。



「あいつら、ぜってぇぶっ飛ばす!」
 がしん、と勢い良く仮設ロッカーに荷物を入れ鍵をすると作兵衛は据わった目で海岸を見た。
 見えるのは人の波、波、波。
 老若男女、ありとあらゆる人間がいるかのように見える。
 この中からあの馬鹿どもを探すのかと思うと、溜息を通り越して怒りしか零れてこなかった。
 全く、何がナンパだ何がアイスだ! 先に荷物預けて携帯持ってそれからにしろ!
 苛々と三つの携帯を首から掛けると言う間抜けな真似をしてその場所を後にしようとすると、不意に聞こえた泣き声。
 何だろうと思うと、仮設ロッカーの隅で何かまごまごしている人間がいる。
 迷子発見か? 迷子ならこの海の仮設事務所に届けなければ。自分は迷子と言う人間と縁が深いのだろうか。
 溜息一つで覗き込めば、自分と歳の変わりそうの無い少女が一人なにやら手先を動かしている。
「どうかしたのか?」
 作兵衛の声に驚いて少女が顔を上げると、少女は泣き顔で自分を見た。
「え、あの、なんでも、ないです」
「そうは見えねぇけど」
 よくよく見れば、少女の指先にはパーカーのファスナーと髪。どうやら、絡まったらしい。
「何だ、絡まったのか」
「あ…はい。あのすみません、何か髪が切れるようなもの、持ってませんか?」
「そんな事しねぇでも」
「え?」
 作兵衛はゆっくり手を伸ばして、少女がまごまごとしていた髪とファスナーを握る。そうしてするすると器用に髪を解くと、ファスナーから外した。
「わ……」
「髪の毛切るなんて勿体無い真似すんなよ」
 髪は女の命とは誰の言葉だっただろうか。ともかく女の子にとって髪は大事なものらしいと言うのは分かっていた。それを切るだなんて。
「ありがとうございます」
 どうやっても外れなくて…
 困ったように笑う少女は、特別可愛いわけではなかった。
 太い眉毛に丸い瞳。二つに分けて耳のした辺りで結んだすみれ色の髪。失礼と言えば失礼だが、ぷにっとした体型で、薄いピンク色のワンピースの水着が良く似合っていた。
 その水着を隠すようにファスナーを引っ張りあげると、少女は笑った。
 隠すなんて勿体無い。三之助でもあるまいしと思いつつ、そんな事を思ってしまう。
「あ、そうだ」
「はい?」
「ここら辺で、青いパーカーと緑のパーカー羽織った俺くらいの人間見なかったか?」
「え?」
 そこまで言って作兵衛は考えた。
 少女のパーカーも薄い緑だ。青と緑のパーカーなんて溢れかえっているのに。
「ああ、ごめん。ちょっと迷子を捜してて」
「迷子センターは?」
「いや、そんな年齢のヤツじゃねぇから。ごめんな、足止めして」
「いえ、こちらこそ…」
「あんた、気をつけろよ。ぼーっとしてそうだから」
 その一言が余計なのだと三之助にはいつも言われるのだが。
 三つの携帯を首から下げた状態で、作兵衛は少女に会釈して走り出す。今は迷子が先だ。遠くなる仮設ロッカーで手を振る少女をもう一度見てから海の方に走った。



「おそい、数馬」
「ご、ごめん」
 ビーチパラソルの下では、アイスを食べている藤内とレジャーシートの上でくつろいでいる孫兵が、走ってきた数馬を見ていた。
「ご、ごめんね。思ったより、着替えるのに時間かかっちゃって…」
 孫兵は不機嫌極まりない。数馬はそんなに自分が帰ってくるのが遅かったのかと思うと。
「またナンパされたらしいよ」
 苦笑して、藤内が孫兵を見ると、孫兵はがじがじと親指の爪を噛んで。
「だから男って嫌いなんだ。僕は人間なら女の子が良い」
 孫兵は一言で言えば綺麗だ。街に出ればナンパされるし、スカウトだって受けたことがある。しかし、彼女の興味は生き物、特に爬虫類や虫に向けられている。
「そんな事言ってると、また女子に人気出ちゃうよ。蛇姫様」
 孫兵は女の子にも好かれる性質らしく、特にファンの間には蛇姫様と呼ばれている。それは、孫兵が何よりも彼女の半身である蛇のジュンコを大切にしているからであろう。
「難攻不落の藤姫が動いた事の方が影響あるんじゃないの?」
「ま、孫兵!」
「どうしたの、藤内」
「男なんていう低脳な生き物に、一目惚れしたんだろ」
「ちょ、待って、まだ、そんな…」
「さっきからそいつの話ばっかりじゃないか」
 それが、孫兵の不機嫌極まりない理由の一つらしい。
「へー」
「へーって、数馬いいのか? 藤内が男に取られるんだぞ?」
「でも、藤内が好きなら…」
「ちょっと待って、二人とも! まだ好きとかそんなのじゃなくて…」
 真っ赤になった藤内は、孫兵の言っている言葉が正しい事を証明している。
 藤内は、それは物凄くもてる。ナンパもスカウトも孫兵の倍を行くだろう。孫兵と一緒にいるとその確率は更に倍になって鬱陶しいくらいだ。
 そんな藤内は恋愛に疎く、誰も好きにならないと言う話だったのに。そんなこんな難攻不落の藤姫と呼ばれていた。
「藤内なんて知らない」
「孫兵〜、お願いだからちょっと待ってよ」
「いいもん。僕には数馬がいるから」
 孫兵はぐっと数馬の腕を引っ張るとその体をぎゅっと抱きしめる。
「数馬!」
「な、何」
「僕が選んだ水着に不服でもあるの?」
「え?」
「パーカーなんか着ちゃって、その水着は数馬に絶対似合うんだから!」
 今日の水着は、今回の海水浴にあたって孫兵が二人に選んだもの。絶対に似合うと踏んで選んだのに、これでは台無しだ。
「だだだだだってぼく、太ってる、し」
「太ってないよ、数馬は標準」
「健康体の証じゃないか」
 二人と並べば標準でも太って見える、と喉の辺りまで出た言葉を数馬は飲み込んだ。
 ぎゅっとパーカーを引っ張ると、さっきの少年を思い出す。
 あ、水着、見られた。
 思い出した途端、数馬の顔が赤くなる。
「どうしたの、数馬」
 どんどん赤くなっていく数馬に、藤内は不思議そうにその顔を見た。
「なななななな何でもない!」
「数馬の嘘って下手だよね」
「うん」
「本当に何でもないってば!」
 二人の興味津々な瞳に、数馬は泣きそうになりながら思いっきり手を振った。



「おまえらなぁ!」
「遅かったな! 作!」
「おー、作!」
 二人を発見したのは、迷子センターの前。危うく「富松作兵衛君、お友達二人が迷子センターで待っています」と放送される所だった。迷子になったのはこの二人なのに、それではあまりにも分が悪すぎる。
「思いついたまま行動するのはやめろ。いいな」
「え、別にそんなことして無いぞ」
「三之助、お前は思考まで迷子になってるのか?」
 作兵衛は三之助の頬を掴んで引っ張った。
「まあ、気にするな!」
「気にするなって、お前、アイス買いに行ったんじゃないのか?」
「行ったぞ」
 左門はアイスはバニラだと言って聞かない類の人間だ。それが、チョコレートのアイスを食べている。
「じゃあ、何でチョコアイス食ってんだ?」
「チョコが旨いから」
 左門とは時々会話が成り立たない。作兵衛は頭を抱えながら首に掛けていた携帯を二人に渡すと、その場で頭を抱える。
「ともかくさ、ナンパとかアイスとか無茶なこと言って飛び出すな…」
 泳ぐ前にどっと疲れた。もう泳がなくて良い。そんな事を思っていたのに。
「なあ、作」
「何だよ」
「探したい子がいるんだけど」
「はぁ?」
「ちょっと行って来るわ」
「三之助、人の話を聞いて三秒で忘れるのは動にかしろ!」
「え?」
「お前一人でナンパして何がどうなるって言うんだ!」
 三之助は割合男前ではあるが、飛びぬけて話術が上手いわけでもなく、女の子をスマートに誘えるとは思わない。何をリベンジしに行きたいんだ、お前! とその腕を思いっきり引っ張ると作兵衛は離さねぇぞ? と口の端をあげて笑った。
「だって、あの子、この中にいるんだ」
「何、ナンパでも成功したのか?」
「うんにゃ。面白くない、あれ」
「じゃあ、何で」
「……何でだろ」
 首を傾げる三之助はさっきの少女が頭から離れない。どこか爬虫類めいた綺麗な女の子。あの子と話してみたい。それだけ。
「よし、ぼくはアイスを買いに言ってくる!」
「腹壊すからやめとけ!」
 今度はまた三之助とは正反対に走り出しそうな左門の腕を引っ張った。
「だって、もしかしたら」
 あの子が、アイスを買いに来るかもしれない、なんて。
「もしかしたら、何だよ」
「もしかしたら……あれ?」
「お前まで思考が迷子になるのはやめてくれ」
 誰でも良い。俺に縄をくれ。この二人括っとくから。そんな荒んだ作兵衛の指先に甦ったのは、さっき仮設ロッカーで出会った少女の柔らかい髪。
「なあ、三之助」
「何だ?」
「作が、また妄想してる」
「してるな」
 二人の腕を引っ張ったまま固まってしまった作兵衛を見て、三之助と左門は顔を見合わせた。





 理屈ぬきで、恋なんじゃない?







恋が始まるお年頃










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