こんな時まで不幸だなんて。 僕が一体何をした! 伏木蔵がひっくり返した薬箪笥を整理するのは二回目だ。前は自分が夜食までひっくり返して大変だった事を覚えている。 そんなこんなの真夜中の委員会。舟を漕いでいるのは、乱太郎と伏木蔵の二人で、薬箪笥の中の薬の選別を伊作が必死でしている。その隣で、数馬と左近が自分たちが分かる薬をあれでもないこれでもないと、これまた必死で選別でしていた訳だが。 不運に不運は重なる。 舟を漕いでいた乱太郎が、不意に寝惚けて水薬をまとめて持ったまま立ち上がった。その瞬間、はっと意識を取り戻した伏木蔵が立ち上がる。 がっしゃん。 水薬がぼたりと床に落ちた。辺りに散乱したのは、水。 水薬はまた作ればいい。そう思おう。薬を守った伊作と数馬は勇敢だった事は確かだ。奇跡的に他の薬は無事である。 「ご、ごめんなさい!」 意識を取り戻した乱太郎が、慌てて伊作と数馬に近付いた。 「伊作先輩、数馬先輩! とりあえずさらしです!」 手ぬぐいでは間に合わないだろう。そばにあったさらしの山からさらしを取ると、左近が伊作と数馬の体にかける。二人の体は水薬塗れだ。 「大丈夫ですか?」 責任を感じているらしい伏木蔵が、伊作の顔を覗き込む。そうすると、伊作は大丈夫だよと笑った。 「先輩達は早く着替えてください!」 薬が皮膚には害が無いとは言え、このままでは衣服に染みを作ってしまうし、何より風邪でも引かれたら大変だ。左近は目の前にいた数馬の襟元を掴んで、ぐいっとその胸元を開く。その行動に、数馬は慌てて左近の手を握った。 「だ、大丈夫だから! 左近!」 「何が大丈夫なんですか! 水薬をこんなに被って!」 早く着替えさせなければ。左近の意識はそっちに行ってしまって、他の事は目に入らない。伊作のほうも似たり寄ったりで、乱太郎と伏木蔵が必死で忍び装束を引っぺがそうとしていた。 「ほ、ほんとに、大丈夫だから!」 「いいえ、着替えるまでこの手を離しません!」 忍び装束は無いが、寝巻きなら幾つも替えがある。ともかくそれに着替えさせなければ。 「乱太郎! 着替えを出してくれ!」 「はい!」 左近の呼びかけに、乱太郎は立ち上がり押入れから長持ちを取り出す。その中から二枚簡素な寝巻きを取り出すと伊作と数馬の傍に走り寄る。 「ほら、数馬先輩!」 ぐい、と数馬の胸元を完全に開けると、今度は袴の紐を緩める。 「左近!」 「何ですか! 黙っててください!」 こうやって忍び装束を脱がせるのは得意だ。それは、左近が一重に保健委員だからだろう。おそらく、伊作や数馬も得意な筈だ。そうして、するすると上衣を脱がしてしまう。前掛けだけになった数馬は涙目で、自分が悪い事をしているようだ。 男色の気なんて無い筈なのに、どきどきしてしまう。 「あー、ほら、巻いてるさらしまで!」 前掛けの下に巻いているさらしまで変色している。 「伊作先輩、このさらし取っちゃってください!」 気が付けば伊作も数馬と同じような姿だ。もしも、脱がしたのが四年か五年なら伊作は力に任せて捻じ伏せているだろう。弱いと思われがちだが、意識が無く暴れる患者をその手で押さえ込むだけの力は持っている。だが、相手は一年。井桁模様が眩しい子供達。伊作が可愛がっている保健委員だ。力で捻じ伏せるなんて出来る筈も無く。 「乱太郎、伏木蔵、落ち着いて!」 「先輩が、先輩が、うわぁぁぁぁぁん!」 「僕らの所為でぇぇぇぇぇ」 半狂乱。乱太郎と伏木蔵は凄い力で伊作の体に巻いているさらしに手をかける。 「ちょ、乱太郎、伏木蔵! それは駄目!」 数馬が二人を止めようと思わず立ち上がろうとするが、左近がさらしの端を引っ張っているのでごんと頭を床に叩きつける形になってしまった。 「数馬先輩、動かないで下さい!」 「で、でも!」 「ほら、さらし取りますよ!」 「いい、いいって左近! 自分でやるから!」 「左近、落ち着いて!」 眠たい時の人間の思考はどこか飛んでしまう。おそらく、左近の状態はそれだ。伊作が左近を止めようとして声をかけるが、届かない。 どうしよう。 それは、伊作と数馬共通の思い。このさらしを取られるのは物凄く大変な事だ。この秘密を握っているのは萌黄色と鶯色のみ。それだけで十分なのに。振りほどこうとする手は、可愛い後輩達。どうにかできるものではない。 「さ、左近!」 「何ですか!」 「これ以上さらし取ったら、左近が驚く事態になると思うからやめたほうがいいと思う」 「何に驚くって言うんですか!」 数馬の忠告も届かない。 その時。 「うわぁぁぁぁぁぁぁん!」 井桁模様の大合唱。泣き声をあげて、二人は固まっている。その声に、左近が伊作を見た時には、既に遅し。 「な、ちょ、え……」 言葉が出ない。数馬ががくりとうな垂れて、頭を抱えた。 左近が目にしたのは、豊かな胸のふくらみ。男の先輩に無い筈の、それ。それが、伊作にはある。 「先輩が、女の子になっちゃったぁぁぁぁぁ!」 「私が水薬をかけたばっかりにぃぃぃぃぃぃ!」 そんな効力のある水薬が、この医務室にあっただろうか。いや、無い。でも、もしかしたら化物の術の為に伊作が作っていたと言う可能性も捨て難い。 「先輩、そんな凄い薬作ったんですか…?」 左近がぽつりと呟くと、伊作は困ったように笑って。 「違うよ。ごめんねぇ、乱太郎、伏木蔵。二人に迷惑かけて」 そう言いながら、きゅっと乱太郎と伏木蔵の二人を抱きしめた。もちろん、上半身裸で。 「僕、最初から女の子だから気にしないで」 「いさくせんぱい?」 「どういうことですか?」 柔らかな胸に顔を埋める形になった乱太郎と伏木蔵が、上目遣いで伊作を見る。二人の脳内は疑問符が大量発生しているに違いない。 「黙っててごめんね」 そう言う笑い方は数馬に似ている。 伊作先輩が女の子だったなんて。こんな事態、忍たまの友にだって書いてやしない。今まで男の人だと思っていた人が女の人だったらどうすればいいんですか。誰に聞けばいいんですか。 「ご、ごめんなさい!」 乱太郎が真っ赤になって伊作の体を押すが、伊作は乱太郎を放そうとしない。伏木蔵共々抱きしめた腕を解こうという気は無いようだ。 「でも、これ、一応秘密だから、誰にも言わないでね」 確かに、伊作が女の子だと言えば学園中がびっくりしかねない。そして、その忍者になると言う道も閉ざされてしまうかもしれない。 高速で首を縦に振る乱太郎と伏木蔵を見て、伊作は左近を見る。 「左近も、ね」 「は、はい!」 尊敬する先輩が女の子だった。でも、その尊敬する気持ちは変わらない。秘密だというなら、その秘密を墓まで持って行こうと思った。 それにしても、伊作の姿は目の毒過ぎる。くのいち教室の女の子たちより、成人の女性に近い。その女の子が、小さな井桁模様を抱きしめている図はどこかそわそわしてしまう。井桁模様が羨ましいと声をあげる人間もいるに違いない。 真夜中で良かった。誰もいなくて良かった。そう思っていると。 「左近」 名前を呼ばれ、は、と気が付く。そう言えば、自分は目の前の人を着替えさせようとしていた筈。手には、巻き取ったさらし。伊作の真実に驚いて忘れていた。 「すみません! 数馬先輩。これに、着替えてください」 乱太郎に出してもらった寝巻きを渡そうと、さらしを置いて数馬を見ると。 「数馬、先輩?」 自分の体を抱きしめるようにして、数馬が左近を見ていた。 「それ、返してくれる?」 「え、でも洗濯しないと」 それ、とは数馬の体に巻いてあったさらしである。それには水薬の染みが出来ていて、洗濯しなければ落ちないだろう。 「返して?」 「駄目です。それに、体を拭かないと」 伊作の事ですっ飛んでいたが、目の前の数馬も水薬を浴びているのだ。ぬらした手ぬぐいを用意しなければ。そう思いつつゆっくりと視線を数馬の体にずらすと。 目の錯覚だ。そうだ、錯覚だ。 胸の谷間とか、見える筈が無い。そんなもの、伊作だけで十分だ。確認したいけれど、その部分を見る勇気が無くて思わず明後日の方向を見てしまう。 「伊作先輩」 「何?」 乱太郎と伏木蔵が用意したさらしを胸に巻きつけながら、伊作はにっこりと笑って左近を見る。 「本当に、水薬に変なもの混ぜてませんよね?」 「混ぜてないよ。本当に」 耳まで赤くなっている左近に気が付いた伊作は、そろりと数馬の名前を呼ぶ。 「数馬」 「はい…」 「もう、しょうがないから諦めようね」 「はい……」 「乱太郎、伏木蔵」 「はい!」 「数馬に、これと同じくらいのさらしを用意してあげて?」 「え?」 くるりと器用にさらしを巻き上げると、伊作は微笑む。何でですか、と乱太郎と伏木蔵の声が重なった。 「数馬にも必要なものだからだよ」 その言葉に、項まで赤くなった数馬が頷く。 達観している伊作と違い、数馬はまだまだ発展途上。先日秘密を知る人間が出来たばかりだ。そうして、守ってくれると約束した人間も出来たばかりだ。 「数馬先輩…」 左近が明後日の方向から視線をずらす事が出来ず、数馬の名前を呼ぶと。 「その、あの、…すみません」 無理矢理、さらし取ったりして。 気が付けばよかった。 さらしを取ろうとする事に、抵抗した数馬。お互いに、やめさせようとした伊作と数馬。おそらく、二人は知っていたのだ。お互いが女の子だと言う事を。 知らなかったのは、自分達三人だけで。 きっと、この医務室に流れ込んでくる緑色たちは知っていたのだ。だから、暇があれば顔を見せていたに違いない。 ああ、何だかむかつく。 自分達は学年が下で、でも、放課後を一番多く過ごした人間で。そんな関係だったのに、気付かなかった自分が憎い。乱太郎や伏木蔵と同じ扱いだった自分の存在が悲しい。 そう思いつつ、視線を元に戻せば数馬の胸の谷間と涙目の上目遣い。 これ、なんて不運? いや、なんて幸運? 新しいさらしを持って数馬に近寄ってきた井桁模様は、きゃぁ!と悲鳴を上げる。そうして、また涙の大洪水。 「数馬先輩まで女の子になっちゃったぁぁぁぁぁ!」 「ち、違うから、乱太郎」 「僕らが水薬ひっくり返したからぁぁぁぁぁぁ!」 「伏木蔵、何でもないから」 おいおいと泣きながら、乱太郎と伏木蔵はさらしを手渡す。そうすると、数馬はありがとうと笑った。やっと、笑った。 左近は井桁模様の二人の首根っこを掴むと、ずるずると引き摺り医務室の戸の前に立つ。 「あの、僕達、外にいますから。着替えてください」 精一杯の、今、出来ること。 涙と鼻水が止まらない井桁模様を先に廊下に放り出すと、自分もその後を追って医務室から出る。 そうして、ずるずると戸にもたれかかった。 「左近先輩?」 「おい、お前ら」 「はい」 「伊作先輩と、数馬先輩のこと、誰にも言うなよ」 「わかりました」 きっと、秘密にしておきたかった事。自分達は、幸か不幸かそれを知ってしまった。目を閉じれば、笑った伊作と涙目の数馬の姿が甦る。 自分達が強くならなければ。 そう思いつつも、何故か数馬の姿が脳裏に焼きついて離れない。噛み付くような鶯色の視線を思い出す。 ああ、もう、医務室出入り禁止にしてやろうかな。 そんな事を思いつつ、左近は親指の爪を噛む。 「左近先輩…」 そうすると、伏木蔵が近寄って来て、 「何だよ…」 「先輩は、数馬先輩が女の子でよかったと思ってると思います」 にやりと笑う伏木蔵。 「な、何でだよ…」 「凄いスリルとさすぺんすぅぅぅ〜」 こいつはどこまで知っているんだろう。 侮れない。 自分でも気が付いたかどうかわからない、この淡い気持ちの名前を伏木蔵は知っているのかもしれない。 とても大好きな先輩が、違う意味で大好きになった事。その事に気が付いているかもしれない。 心配そうに辺りを警戒している乱太郎を見てから、左近は赤くなった顔を膝の中に埋めた。 てのひらに、ひとひら すみれのはなが、おちてきました。 てのひらにひとひら −−−−−−−−−− 保健委員は知っている、の段。 別名、左近の始まり。 そして、何でも知っている伏木蔵(笑)。 この後、二年と三年の間がVS状態に。 需要はなくとも、供給し続けてやるさ! 私だけ、需要はある! 戻る |