あなたが、微笑む色。





「藤内、ちょうど良かった」
 長屋の廊下で呼び止められた藤内は、くるりと振り返る。そこには、絶世の美女が薄く微笑みを称えて立っていた。
「立花先輩」
 どうしたんですか、その格好。
 いつものも萌黄色の忍び装束ではなく、二藍色の小袖を着て髪を下ろした仙蔵が赤い紅を引いた唇で、藤内の名を呼ぶ。
「今日の作法委員会だが、中止だ」
「え?」
「綾部に伝えようとしたんだが、捕まらなくてな。すまないが、お前から伝えてくれないか」
 しゃなりとした動きで顎に手を当てると、仙蔵は眉根に皺を寄せる。
 着ているのが小袖でなければ、どこかのお姫様かお嬢様だ。と、藤内は思った。
 仙蔵の女装と言うのは、女装の域を超えて既に女性にしか見えない。喉仏を隠して喋れないふりでもすれば、ころりと落ちる男は多いだろう。
 作法委員会の長であるのも納得が行く。
 自分達も女装の授業があるけれど、これ程上手く化ける事は出来ない。六年生と三年生と言う年齢の差もあるだろうが、顔の作りからして違うのだ。
 おそらく、今一番大事にしている女の子でも、ここまで綺麗にはなれない。
 先日、三年合同の女装練習があったが、その中でも群を抜くものは居なかった。問題外のろ組の三人や、将来は有望であろう孫兵。そして、その中で誰よりも可愛かった数馬。自分はといえば男らしさが表面に出ていると孫兵に叱られてしまった。仙蔵直々の化粧の技術がなければ補習は免れなかっただろう。
 正直、仙蔵が先輩でよかったと思ったのはその時だ。そして、中の良い面々の化粧を施していた時。ぐるぐるほっぺの左門や、大変明るい青色で瞼を塗った三之助。着物の着付けが出来ない作兵衛。孫兵は自分で出来たので、手を出す必要はなかったが、目まぐるしく化粧をしていたのを覚えている。その中でやっぱり楽しかったのは数馬の化粧だった。
 眉が太いし可愛くないからと言って化粧を悩んでいた数馬に、薄く白粉をはたいて、柔らかな色合いの紅を引いた。ただ、それだけ。
 それだけだったが、数馬がやっぱり女の子だなぁと再確認した。
「分かりました」
「あと、それから」
「はい?」
「伊作に、かんざしを選んでやってくれ」
「え?」
「お前なら信頼できる。頼んだぞ、藤内」
「先輩が選んだほうが…」
「小平太の化粧を私以外の誰がする」
 七松小平太。いけどん体育委員会委員長。野生児。男。
 あれを女装させるのは、かなり骨だ。
 確かに、仙蔵の程の腕がなければ、とてもではないけれど女性に仕立て上げるのは難しいはずだ。
「あの、先輩」
「何だ?」
「どこへ、行かれるんですか」
 仙蔵と伊作と言うなら少しは分かる。ここに留三郎が加わっても問題はないだろう。女装でどこかに潜り込むというなら、その面子でいい筈だ。
「山賊退治だ」
「女装でですか?」
「女子供ばかり狙う厄介なのが近くの山に出没してな。私と伊作だけでも良かったんだが、もしもの時の為に小平太を連れて行くことにした」
「食満先輩じゃ駄目なんですか?」
「小平太が倉庫に大穴を開けてな。それの修復にかかりきりだ」
 それは、ご愁傷様です。
 おそらく、作兵衛も借り出されているだろう。何せ、作兵衛は今や留三郎の右腕と呼ばれるほどになっている。額に汗して漆喰を塗っている友人の姿を思い浮かべて心の中で合掌した。
「頼めるな、藤内」
「はい」
 仙蔵もまた、自分を信頼してくれている。それに応えなければ。
「伊作先輩は、何色の小袖を?」
「一斤染の小袖が手に入ったのでな、それを着せてみた」
 仙蔵は、伊作に対して淡い色を好む。いつも柔らかな色調の着物を見ては、伊作なら似合いそうだと笑みを零していた。
「じゃあ、色合いが濃いかんざしの方がいいですね」
「そうだな。お前の感性に任せる」
「はい」
 藤内の返事を聞いて、仙蔵は足音を立てずくるりと振り返り着た道を帰っていた。
 さて、どんなかんざしがいいだろう。
 一斤染は薄い桃色だ。伊作の髪に似合うかんざしを選ばなければ。
 藤内は、軽い足取りで作法室に向かった。





 どうしよう。
 目の前には、たくさんのかんざし。
 平打、玉かんざし、櫛に前差し。蒔絵が施されたものもある。それは、どれも豪奢すぎて伊作には似合わない。
 漆の赤、蒔絵の金、べっ甲の琥珀。
 どれをとっても、伊作のあの髪に合わせる物が無い。
 仙蔵ならば、どのかんざしでも上手に組み合わせるだろう。上品なものを選べば、それこそお姫様のように見えるに違いない。
 自分の感性が悪いのだろうか。
 よく考えろ、自分の周りで。
 孫兵にはべっ甲が似合いそうだ。落ち着いるけれどその淡い輝きは、すっとした孫兵の白い肌に似合う。
 作兵衛なら平打ち。あまりいじらないほうが似合う気がする。
 左門は玉かんざし。あのさらさらとした髪に映えるだろう。
 三之助には、その髪の性質を生かして蒔絵のものが似合うのではないだろうか。
 じゃあ、数馬は?
 あのふわふわのすみれ色の髪は、それだけで綺麗だ。どんなかんざしもくすんでしまう。つげの櫛を一本挿すだけで十分な気がした。
 …自分の感性がおかしいわけではない。他の人間ならこんなにも思いつくのに、伊作に似合うかんざしだけが思いつかない。
 すっとして、凛として。女装した伊作を見たことは無いけれど、きっと良く似合うはずだ。女性なのだから。
 あのちょっとくせっ毛な亜麻色の髪を櫛で梳かして、それから纏め上げる。そうして、飾るのは金色銀色朱色漆黒琥珀。どの色だろう。
 思いつかない。きっと急いでいる筈。
 焦る藤内は、何度もかんざしを手にとって置く事を繰り返す。そうしている内に、何だか泣きたくなった。仙蔵が信頼してくれているのに、自分は何も出来ない。作兵衛や数馬は見事に先輩の右腕としてやっているのに。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 そんな藤内の目の端に映った色。
 その色を見つけて、藤内は。
「見つけた……」
 ふにゃりと笑って、それを手にした。





「すみせん、入ります」
 最近慣れた医務室の戸を開けて、藤内は中に入る。
 そこには、一斤染の小袖を着た女性が一人。じっと自分を見て、花が綻ぶように笑った。
「浦風君」
「すみません、遅くなって」
「構わないよ。まだ、仙蔵は小平太を追いかけてるから」
 いい加減諦めればいいのに、とはどちらへの台詞だろうか。それに、他の保健委員が来てないからね。そう言って伊作は笑う。
 何だか物凄く落ち着かない。
 いつも、伊作の傍には数馬がいて、もしくは他の保健委員がいて、伊作と二人っきりになったのは初めてである。
 しかも、小袖姿。
 一斤染は伊作にとてもよく似合っていた。流石、仙蔵の見立てである。それに、薄くはたいた白粉にうっすらと染まった頬。そして、桜色の紅を引いた唇。
 ああ、この人、やっぱり綺麗な人なんだ。
 改めて、そう思った。
 いつも萌黄色の忍び装束で座っている姿しか知らなかったから、余計にそう思う。仙蔵がお姫様なら、伊作はまるで比売神のようだと思った。
 町娘、と言ってしまうには視線を逸らせない。ふんわりとした空気と、滲み出る慈愛。中世的な顔立ちで微笑んでいる姿は、どこか崇拝してしまいたくなる。
「あ、あの」
「ん?」
「いろいろ、考えたんですけど、これ…」
 仙蔵が小平太を追いかけているとは言え、急ぎである事は間違いない。自分の感性を信じるのみ。そうして、藤内が差し出したのは。
「……これ?」
「はい。先輩に似合うものを探したら、これしか思いつかなくて」
 赤い唐葵の花。それを、一輪。
 かんざしばかりを見つめていた藤内の目に飛び込んで来たのは、鮮やかな赤色。
 庭に咲いていた、唐葵の花。
 真っ直ぐ空へと伸びるその唐葵の赤を、一斤染に合わせてみる。柔らかな色彩に、鮮やかな色。
 迷っている暇なんて無かった。
 藤内は、それを一輪摘み取ると慌ててこの医務室まで走ってきたのだが。
 これで、良かったのだろうか。
 今更になって焦ってしまう。仙蔵にも怒られそうだ。かんざしを選べと言われたのに、花を持ってきてしまうなんて。
 自分の馬鹿。
 藤内がそんな葛藤をしていると、伊作は差し出された唐葵の花をゆっくりと自分の髪に挿した。
「ほう、よくやったな、藤内」
 背後から、声。
 そこには、口角を上げて笑っている仙蔵と何とか女性に見える小平太が立っていた。
「立花先輩」
「唐葵か。ふむ、悪くない」
「仙蔵、これで大丈夫かな」
「藤内が選んだものだ。間違いがあるわけが無い」
 仙蔵は、ぽんと藤内の頭を叩いてにやりと笑う。
「お前はかんざしより花の方が似合う」
 作られたものじゃなくて、そこにあるもの。生を持ったものが、伊作には良く似合う。
「おー、いさっくん、可愛いぞ」
 足を開いて立っていた小平太の膝を仙蔵がぺしりと叩く。
「お前は女装している意味が分かっているのか」
「わかっているぞ!」
 そのやり取りを見ていた伊作は笑いながら、ゆっくりと藤内の頭を撫でる。
「ありがとう、浦風君」
「いえ、お礼を言われる程の事じゃないです」
 何だろう、どきどきする。
 数馬の小袖姿を見た時には何とも無かったのに、なのに、小袖姿、しかも自分が選んだ花を髪に挿してくれた伊作と言う存在が、気になって気になって。
 胸の奥の一番深いところを鷲づかみにされたような気分になる。
「さて、行くか」
「ちょっと待って、まだ、保健委員が来てないんだ」
 新野先生も居ないし。
「あの、俺でよければ」
「浦風君?」
「今日、数馬が当番でしょう? もう直ぐ来ると思いますから、留守番してますけど」
 さっきここに来る途中、見かけた数馬の姿。真面目な彼女の事だ。すぐに来る筈。
「それは、ちょっと…」
「いや、ここは藤内に頼もう」
「え?」
「時間が迫っている。この阿呆を捕まえるのに時間がかかりすぎた」
 確かに、夕闇はもうそこまで迫っている。六年生と言えど、その足ではとっぷり夜が更けてしまうだろう。
「奴等の出る時間帯に行かなければ意味が無い」
「そうだね。ごめん、浦風君。頼めるかな」
「はい」
 数馬が来るまでの留守番。それくらいなら容易いものだ。
「行くぞ、伊作、小平太」
「うん」
「おう!」
 そう言った三人の顔は、一瞬で忍のものに変わる。そうして、急ぎ足でその場を後にした。
 残されたのは、藤内一人。
 医務室の戸を閉めて、その前に座り込んだ。
 …早く、数馬来ないかな。
 そうすれば、こんなに早鐘を打つ心の蔵も落ち着くのに。
 何故か瞳に焼きついた伊作の微笑が、藤内の心をざわつかせていた。







 貴方に似合う色を探しています。
 貴方に似合う花を探しています。




 貴方が、微笑んでくれる色を、ただ。








あなたのいろ










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藤内→伊作編。まだ淡すぎて恋とは呼べない。
唐葵は、今で言う立葵の事です。
室町時代に簪が無かった事は重々承知ですが、申し訳ございません。
やりたかったんです(開き直り)。




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