このお話を読むにあたって


この話は、まいごのひつじの続きとなっております。
内容的には今度は伊作のお話です。
と言う事で、ここでも注意。

性懲りもなく、女性の月イチ恒例行事ネタです。
六年生の人権は、三丁目の林さんの家の池のミジンコに譲り渡しました。
いろんな意味で、ごめんなさい(土下座)。
苦手な方は、すぐさまUターン。
前回ほど甘酸っぱくはありませんが、何か、おかしな方向に突き進んでおります。

それでもいいよ、とおっしゃってくださる方は、スクロールしてどうぞ。







































 まいごのひつじたちはこまっていた。



 教えてください、先輩方。 
 貴方方はどうやって、この困難を乗り越えたんですか。
 あまりにも大きな壁に
 


 ちょっと挫けそうです。






「は? 僕に初花が来た時の話?」
 その日、新野先生は学園長先生と一緒に出かけていて、実質伊作が医務室の主と化していた。そこになだれ込んだのは、少々疲れ気味の鶯色ご一行様である。
「ええ、先輩達はどうしたのか聞きたくて」
 一番疲れているのであろう藤内が、溜息と共にそう呟いた。
 先日、めでたいのかめでたくないのかは分からないが、寝食を共にする仲間の一人、三反田数馬が女の子であることが判明した。それはそれで良い。基本的に数馬は優しい性格だし、ふんわりとした空気が癒しである事は確かだ。女の子であれば合点が行く。むしろ男だったら俺は男色の気があったのかと悩まなければならないくらいだ。
 その数馬と同じ女の子だと言う善法寺伊作に相談したくてここに来たのだけれど。
 この人、本当に女の子なんだろうか、と少し疑ってしまいたくなる。
 数馬はぷにぷにして柔らかくて守ってやらないと! と言うわけの分からない庇護欲をかき立てられるが、目の前の伊作はすっとしていて隙が無い。不運だと言われているが、少なくとも自分達より三つは年上になる。その伊作に、女の子の影は無い。
 (おい、作兵衛)
 (何だよ)
 (本当に相談に来て良かったのか?)
 (わからねぇ)
 薬箪笥をあれでもないこれでもないと整理しながら、「ちょっと待ってね」と言う伊作の声に分かりましたと返したけれど、やはり不安なものは不安だ。
「富松君」
「はい」
「悪いけど、留三郎呼んで来てもらえるかな?」
「え?」
「あと浦風君」
「はい」
「仙蔵呼んで来てくれる?」
「立花先輩を、ですか?」
「うん、それから二人で頑張って小平太と長次と文次郎を捕まえてきてくれる?」
 それは大きな問題だ。
 自分達の委員会の先輩達ならまだしも、暴君と呼ばれる小平太や忍術学園一忍者している文次郎などを連れて来いと言うのはあまりにも酷な話だ。
「ああ、難しく考えなくていいよ。イヤだって言ったら、石楠花の乱の話を僕だけでするって言えば良いから」
 石楠花の乱の話。
 石楠花といえば、五月の花だ。その花が咲いた頃に、伊作の初花の話が関係あるのだろうか。と言うより、伊作だけでは駄目なのだろうか。
「この話は、僕だけの問題じゃないんだよねぇ」
「え?」
「僕は話しても良いんだけど。他の五人が絶対誰にも話すな、って言ってるから」
 でも、と続けて。
「君たちは、その片鱗だけでも教えてもらったんでしょ? 伊賀崎君なんて二代目文次郎って言われるくらいには」
 その言葉に、孫兵は顔を赤くした。
 あれは、孫兵にとって不測の事態だったのだから。自分でも裏山まで走っていくとは思わなかった。あれ以来、何故か萌黄色の面々からは二代目と呼ばれて困っている所である。
「……あー、もう可愛いなぁ」
 ぎゅ。
 伊作は顔を真っ赤にした孫兵をぎゅっと抱きしめた。
「いいいいいい伊作先輩!」
「ホントに、あの五人も昔は可愛かったのにねぇ」
 鶯色の三年生を抱きしめたまま、面白くなさそうに伊作は頬を膨らます。
「あ、あの、俺、行ってきます」
「俺も!」
 このまま抱きつかれたらたまったものじゃない。と言うか他の先輩が怖い。申し訳ない話だが、生贄は孫兵だけで十分だと思いつつ、藤内と作兵衛の二人は立ち上がった。
「あ、お願いね。はい、神崎君と次屋君はお留守番」
 二人の後を追いかけそうになった左門と三之助の二人の首根っこを、伊作は素早く掴んだ。
 (早い)
 解放された孫兵はどきどきする心臓を押さえながら、その行動の素早さに驚く。不運だ不運だと言われている人。だから、忍者としてはどうなのかと思っていたけれど、流石は最高学年と言った所だろうか。あの左門と三之助の動きを完璧に把握している。それが出来るのは作兵衛だけだと思っていたのに。
「あー、伊賀崎君」
「はい」
「悪いけど、この縄、持っててくれる?」
「は?」
「ちょっと、色々用意しなきゃならないから」
 渡されたのは一本の縄。握った途端ぐん、と引っ張られる。
「力入れて持って置かないと、引っ張られちゃうよ」
 縄の先には、今にも走り出しそうな迷子予備軍。このままでは飛び出していって捜索されるのがオチだ。
 伊作から受取った縄をしっかりと握ると、伊作はお願いねと言い立ち上がる。
「ちょっと食堂に行ってお湯をもらって来るから」
 ここにある鉄瓶じゃ足りないしね。
 どうやら、お茶を入れるつもりらしい。
 確かにここには少なくとも十人以上の人間が入る予定だ。いくら大きいとは言え医務室の鉄瓶では湯が足りないだろう。
 孫兵がこくりと頷くと、三人を残して伊作は医務室を後にした。
 残されたのは、かさかさと動く迷子予備軍とかなりの力を使って二人をそこに繋ぎとめている孫兵。
 早く帰ってきてくれ、作兵衛、藤内。
 そうしていると。
 すっぱーん!
 勢い良く、医務室の戸が開かれる。
 そこには、戦う会計委員長、潮江文次郎が真っ青な形相で立っていた。
「伊作、どういうつもりだ!」
「あ、潮江先輩」
「左門、何でお前がここにいる」
「えっとですね」
 左門はちょこんと正座をして、文次郎を見上げる。
「伊作先輩の話を聞こうと思いまして」
「お前らか!」
「ちょ、落ち着いてください、潮江先輩!」
 孫兵は縄を持ったまま、今にも噴火しそうな文次郎を宥める。
「話をされて困るのはお前だけだろう」
 涼しい顔をして、仙蔵が文次郎の後ろに立った。
「仙蔵!」
「あの時の話は主にお前の武勇伝だ」
「そっかー? 仙蔵も慌てた気がするぞ?」
 その仙蔵の後ろから小平太が顔を覗かせる。
「さ、作兵衛は?」
 どうやら、この三人は藤内の捜索範囲にいたらしい。肩で息をする藤内が、三人の後ろからするりと医務室に入ってきた。
「まだだ」
「そうか。上手くやってくれると良いんだけど」
 ぺたんと座ると、藤内は孫兵の手を見た。
「何で、縄?」
「先を見てみろ」
 先、とは縄の先のことである。縄の先には、正座をして文次郎に怒られている左門と無言で小平太を見上げる次屋の姿。
「迷子防止だ」
「すごいな、孫兵」
「違う、伊作先輩だ」
「え?」
「伊作先輩が飛び出す前に捕まえて、縄を結んでくれたんだ」
「伊作先輩が?」
「ああ」
 にわかに信じられないと言う顔をして、藤内は孫兵を見る。孫兵だって現場を見なければ信じていないだろう。藤内の気持ちは良く分かった。
「あの二人を迷子にさせないなんて。いろんな意味で、伊作先輩って凄い人なんだな」
「そうだな」
 数馬を泣き止ませて、迷子を未然に防ぎ、最高学年である六年生の面々を黙らせる力を持っている。それが女の人だと言うのだから、凄いとしか言いようが無い。
「…………」
「あ、長次」
 三之助と無言の会話を交わしていた小平太が、後ろの気配に気付き、くるりと振り返った。その後方で留三郎と作兵衛が走ってきていたのだが、二人とも凄い形相である。
「左門と三之助はいるかー!」
 医務室に入って来た第一声がそれだった。どうやら、迷子コンビを押さえておくのを忘れたらしく慌てて帰ってきたらしい。
「おお、作!」
「どうした?」
 先輩達の前で、ちょこんと座った左門と三之助。その姿に作兵衛はほっと息を付いた。
「作兵衛! いたか!」
「はい! いました! すみません、食満先輩!」
「良かったな、無事で」
 くしゃくしゃと作兵衛の頭を撫でると、留三郎は笑う。留三郎自身が慌てているわけではなく、作兵衛に付き合ったらしい。 
「しかし、石楠花の乱の話って」
「ああ、この後輩達にするらしいぞ」
 すっと鶯色の面々を指差し、仙蔵は涼しい顔でそう言った。
「誰が許可した!」
「諦めろ、文次郎」
「三年も前の話だ。そろそろ笑い話にしたらどうだ?」
「あ? 焦って衝立を持ち出した人間の台詞とは思えねぇな」
「裏裏山まで全力疾走をした人間にいわれたくねぇよ」
「はいはい、二人ともそこまで。ほら、入って入って」
 お湯を食堂まで貰いに行っていた伊作が帰ってきて、呆れた顔で入り口にたむろっていた萌黄色の面々の背を押す。
「伊作、どういうつもりだ! 今更あの時の話なんて!」
「だって、同じ状況下の後輩がいるんだよ? 少しは先輩らしいところ見せようよ」
 いやに上機嫌な伊作は借りてきた鉄瓶を置き、戸棚から湯呑を取り出して茶を注いだ。保健委員特製のお茶である。変わった匂いに、慣れない鶯色は目を丸くした。
「ほら、座って。はい、これ」
 何故か来訪者の多い医務室には、多量の湯呑みが常備されている。それを、順々に回しながら、伊作は笑った。
「さて、どこから話そうかな」
「もう話すのか?」
 心配そうな仙蔵の顔。
「うーん、あのね、この間数馬に話したらすっきりしちゃって」
「三反田に話したのか?」
「うん」
「うん、てお前、人には話さないって!」
「大人気ないよ、文次郎。あの時は緊急事態。女の子にとって初花って大事なんだよ? あれくると精神的に不安定になるし…」
「わー! わー! わー! わー!」
 聞きたくないとばかりに、文次郎は耳を塞ぐ。その他は涼しい顔だ。のんびりと文次郎に薀蓄を語る伊作を眺めている。しかし、文次郎の叫びは後輩である五人にとってもあり難かった。そんな生々しい話は聞きたくない。左門に関しては、何かを察した長次が耳を塞いでいる。その人選は間違いなかった。おそらく、性格的には小平太二号。その内、いけいけどんどん! と言いながら迷子になるのではないのだろうかと心配してしまう程に、その表情は石楠花の乱の時の小平太に似ている。
「伊作」
「何、留三郎」
「こいつらに話してやるんじゃなかったのか?」
「あ、そうだった」
 ついつい医学的な事となると、話が長くなるのが伊作の悪い所だ。
「どこから聞きたい?」
「えっと、とりあえず…」
 作兵衛がこほんと咳払いをして。
「先輩達が、何で、その伊作先輩の」
「ああ、初花に立ち会ったか? それは君達と一緒だよ」
「え?」
「だって、僕、あの時留三郎以外殆ど喋った事なかったから」
 そう言って、伊作は懐かしそうに話してくれた。




 三年前の、石楠花の乱の話を。




「………はい、終わり」
 留三郎の腕にくるくると包帯を巻いた伊作は、その腕を撫でてにこりと笑う。
「善法寺! 私の指がおかしい!」
「ちょっと待ってね、七松君。潮江君、手を見せて?」
 その日は、三年になって初めて一人で保健委員の当番を任せられた日だった。基本的に先輩達がいつも何らかの怪我をするこの学園では、医務室の当番は忙しい。だが、今日は滅多に無いのんびりとした日だった。さっきまでは。
「いい、自分で出来る」
「駄目だよ、腕からばい菌が入ったら大変だよ?」
「大人しく治療されたらどうだ、文次郎」
 留三郎の治療をじっと見ていた仙蔵が、次に手当てしてもらうであろう文次郎をちろりと見る。
「潮江と食満はまた喧嘩か!」
 楽しげな声で、小平太がぐっと身を乗り出した。
 さっきまでは平和で、先輩に教えてもらった特別な配合で作ったお茶を飲みながら、ぼーっと庭に咲いた石楠花の花を見ていたのだけれど、突然、三年い組の立花仙蔵が入ってきて。
「治療を頼みたい」
 と、何やら血の気の多そうな二人を引き摺って入ってきた。
 顔と名前だけは知っているだけの仙蔵に一瞬緊張した伊作だったが、引き摺られて来た顔にほっとする。
「食満。と、潮江君」
 三年の間ではかなり有名なコンビである。顔を合わせては喧嘩をし、派手な乱闘を繰り広げる二人。三年い組の潮江文次郎と、同じは組で長屋の同室者である食満留三郎。そりが合わないというか何と言うか。ともかく相性の悪い二人だ。
「…二人とも、そこに座って」
 その二人を見た、伊作がむっとする。仕事を増やされたからではない。怪我をしたからだ。いつもならかすり傷程度と思えるのに、今日は二人とも泥だらけで傷だらけだ。
「どこで、何したの?」
「ああ、一年生の掘った穴にはまったんだ」
 口を開こうとしない二人の代わりに、仙蔵がけろりとした顔で答える。
「一年?」
「知らないか? 今年の一年生に穴ばっかり掘ってる奴がいる」
 伊作もその事は知っている。何せ、その子の話では穴に落ちた第一号が自分だったのだから。
「ああ、綾部君の。それは、災難だったけど。なんでこんなに煤だらけなの?」
 傷だらけ泥だらけ、そして煤だらけ。何の状況も読み取れない。
「そこに、焙烙火矢を落としたのはどこのどいつだ?」
 文次郎がぐいと仙蔵に掴みかかるが、仙蔵は涼しい顔だ。
「不発だったろう?」
「あんなに煙が出てりゃ、不発でも迷惑極まりないだろうが!」
 今度は留三郎が、唾を飛ばしながら叫ぶ。仙蔵と言う人は、何故かこの二人に油を注いでしまうらしい。
 大人しくして欲しいんだけどな。
 そう思いつつ伊作は清潔な手ぬぐいで泥と煤を拭い、留三郎の怪我の治療を始める。どんな怪我でも細菌が入ったら大変だ。いつもは先輩達が笑いながら治療をしているのだけれど、今日は自分しかいない。保健委員も三年目。自分ひとりでも治療は出来る。
 そうして、留三郎の治療を終えたのだけれど、文次郎は傷を見せてくれない。
 信用されていないのだろうか。
 それはそうだろう。今まで殆ど医務室で見たことの無い顔だ。自分の腕を知らなくても仕方が無い。
「潮江君」
「うるさい!」
 びく、と伊作は肩を竦める。
 その様子を見た食満が、勢い良く文次郎の胸倉を掴んだ。
「善法寺は何も悪く無いだろ!」
「食満、大丈夫だから。ごめん」
「謝るな!」
 今度は、食満が怒鳴り声を上げる。その声にも、伊作はびくりと肩を竦めた。
「潮江ー、食満ー、善法寺が怖がってるだろ」
 医務室に良く姿を見せる小平太が、よしよしと怪我をしていない方の手で伊作の頭を撫でる。大概は先輩達が治療している為、いつも姿を見ているなのだけれど。
「七松君…」
「潮江が治療しないというなら、私のを見てくれ!」
 そう言って小平太はずいと左手を伊作に突き出した。
「何してたの?」
「バレーだ! ボールを受取る時、なんか指がぐきっていった」
「ああ、突き指だね」
 いつもニコニコと人好きのする笑顔で伊作を見てくれる小平太は、あまり怒鳴ったりしない。留三郎もあまり怒鳴らないのだけれど、文次郎が絡んでくると人が変わる。怖いというのが、伊作の正直な感想だった。
 とりあえず、そっぽを向いた文次郎を置いて、伊作は小平太の治療にかかる。塗り薬を塗りきつく包帯を巻いて指を固定すると、小平太の顔を見て無理に動かさないでねと言った。
 その時、すっと医務室の扉が開く。
 そこから顔を覗かせたのは。
「長次!」
 おなじろ組の小平太が嬉しそうに声をあげる。どちらかと言うと不機嫌そうな顔で、長次はちらりと小平太を見た。強面だが、その実ここにいる誰よりも優しいだろう。
「………善法寺」
「どうしたの? どこか怪我した? それとも具合が悪い?」
「………探していた、本が入った」
 長次は図書委員。良く医療関係の本を借りに行く伊作とは何度か面識がある。そして、先日勇気を出して長次に本の搬入予定を聞いたのだ。その答えを今持ってきてくれたらしい。
「ホント? じゃあ、明日にでも借りに行っていいかな」
「………ああ」
 明日は当番ではない。ゆっくり本でも読んで過ごそうかと思っていたところだ。嬉しい知らせに思わず笑みが零れる。
 僅かだった、繋がり。
 例えば、同じ組だったり、同室だったり、そりが合わなかったり。それだけの関係だった六人。その六人が集まったのは、今日が初めてだ。全員が全員と接点を持っていたわけではない。仲が良かったわけではない。その関係を壊したのは、誰でもない伊作だった。
「善法寺」
「何?」
「どうした、顔色が悪いぞ」
 そっと白い手を伸ばして、仙蔵が伊作の頬に触れる。その手の冷たさに、伊作は一瞬どきりとした。
「そう? どこも悪くは無いんだけど」
「何とかの不養生と言うからな。手当てが終わったら当番を代わってもらったらどうだ」
 ただ、何だか頭が回らない。くらくらするのは、何故だろう。風邪でも引いたのかな。自分の額を触ってみるが、熱は無くむしろ掌の方が熱い。
「善法寺、悪いのか?」
 小平太が心配そうに伊作の顔を覗き込んだ。
「ホント、何とも無いから。心配しないで」
 何とも無い、筈なのに。どんどんと血が下がっていく感じがする。貧血? いや、今までそんな症状は出た事は無い。じゃあ、これは何? 伊作は全身のだるさに、思わず顔を顰める。
「………善法寺」
 心配そうに長次が近寄ってきて、頭を撫でてくれた。
「そんなに、顔色、悪い?」
「土気色だな」
「…………」
 どうやら体調を崩したようだ。本格的に、これはやばい。保健委員でもない人間達に覚られるとはかなりのものだ。どうしよう、先輩達に代わってもらおうかな。でも、甘えるわけには行かないし。しかし、何の異変だろう。風邪には気をつけていたし、どこも怪我してはいない。
 そんな事をしていると、じんわりと下腹部に鈍痛が走った。
 あれ、下痢? 何か悪いもの食べた? それともお腹出して寝たっけ?
 思わず下腹部に手をやる。そうすると、小平太が首を傾げて。
「腹壊したのか?」
 と、きょとんとした顔で遺作を見る。
「うん、そうみたい」
 多分、腹を下したのだ。ああ、早く乾燥ナツメを煎じなきゃ。そんな事を思いつつ伊作は薬箪笥を見上げる。
 だが、何かおかしい。お腹が痛い。でも、何で頭がくらくらするの? 何か、本で読んだ気がする。何だっけ。えーっと、えーっと。
 そうしている間に、お腹はどんどん痛くなるし、困った事に気持ち悪くなってきた。
 食中毒?
 可能性のある菌の事を思い出してみるが、どれも当てはまらない。
 下腹部を両手で押さえる伊作を心配したのか、包帯だらけの留三郎と泥だらけ傷だらけ煤だらけの文次郎が近付いてきた。
「善法寺…?」
 留三郎が心配そうに、すとんと伊作の目の前に座った。
「大丈夫、だい………ったたたた!」
 いきなり、刺されたような痛みが下腹部を走る。
「おい」
 その声に、文次郎がずいと体を前にのめり出した。
「あははははは、何だろう。ごめんね、みんな。て言うか、治療終わったから、もう帰ってもいいよ。ああ、潮江君だけ終わってなかったっけ。ごめんね、ちょっと待てくれる?」
 矢継ぎ早に言葉を紡いで笑う伊作の顔は、どんどんと青ざめていく。そこにいた五人は、その顔を見て心配するばかりだ。
「多分、腹痛だけだしなんてこと無いよ。乾燥ナツメを煎じれば何とか……」
 痛い。物凄く痛い。
 待て待て待て、この症状どこかで見たな。本でも見たし実物も、誰だっけ。えーっと、くのいち教室の子? え、あれ、それじゃ、いやいやいや、まだ早いし。でも、年齢的には問題無いのか。確認したいけど、厠にいける状況じゃないしな…。
 目の前には、本気で心配している五対の瞳。誤魔化せそうに無いが、彼等にその知識があるのかどうかが問題だ。と言うより、話したところでどうなるんだろうと伊作は思った。
 ああ、もう、お腹痛いな。この学園にいられるかな。
 どんどんと小さく丸まる伊作に、仙蔵が立ち上がり。
「善法寺、乾燥ナツメはどこだ?」
 煎じるくらいなら、私がしてやる。
 一応、怪我人を作った事に引け目は感じているらしい。大変ありがたい進言だが、今は乾燥ナツメが効くかどうかが問題だ。それより痛み止めではなかろうか。そうすると、少し調合が必要になってくる。
「立花君、ありがとう。でも、自分でするから」
「そんな事言ったって、善法寺動けないだろ?」
 小平太が伊作の背中を撫でて、仙蔵を見た。
「今は、立花に任せるのがいいと思う」
「いや、あのね、ちょっと待ってね。ああ、違う、あの、乾燥ナツメじゃなくて、その、何だ。えーっと、いや、それじゃなくてね、うーんと、うーんと」
 ああ、なんて不運。
 一人きりの時なら、何とかなったのに。
 こんなに人がいるんじゃ、隠し様が無いじゃないか。
「腹が痛いんじゃないな、お前」
「いや、腹は痛いんだけどね」
 留三郎が訝しむ様に、伊作を見る。
「いつも手当てしてくれる礼だ。何とかしてやるから、言ってみろ」
「え……」
「何を必死に隠してるのかは知らないけど、黙っててやるから、何がいるか言ってみろ」
 あれ? 食満ってこんなに優しかったけ? て言うか、察しがいい。
「あの、さ」
「おう」
 少しくらい甘えてもいいかな。
 伊作は少しだけ考えて、そんな事を思った。
「例えば、だよ」
「うん」
「くのいちじゃなくて、ここに女の子がいたらどうする?」
 その伊作の質問に、そこにいた五人がぽかんと口を開けた。それはそうだろう。腹が痛いと言っている人間が突拍子も無い事を言い出したのだから。
「まぁ、いてもいいんじゃないか?」
 そんなの個人の自由だし。
 小平太は伊作の質問に、きっちりと答える。留三郎と違う意味で優しいのかもれない。それを無責任だと怒ったのは文次郎だ。
「あ、やっぱそうだよねぇ」
 文次郎の意見は最もだ。女である身ならば、くのいち教室に入るのが筋である。学ぶ忍術も違うし、何よりくのいち事態が特殊なのだから。
「それが、お前と関係あるのか?」
「関係ないといいたいところなんだけどね、あいたたた…」
 腹にまた差すような痛み。とりあえず、まだ袴に染みは出来ていない。誤魔化せ……るだろうか。
 答え、多分無理。
 こんなに心配してくれている人たちに、失礼にあたる。伊作は、いろんな意味で誠実だ。それに応え様と腹の痛みとしながら。
「え、っと、多分、ね」
 男は度胸女は愛嬌! いや、女にだって度胸は必要だ。
「初花、だとは思うんだけど」
「はつはな?」
 聞きなれない言葉に、小平太が首を傾げる。きょとんとしているのは文次郎と留三郎の二人。目を見開いているのは仙蔵と長次。
「意味わかんないよね、えーっとね、なんて説明したらいいのかな。ちょっと僕にもわかんなくて、えーっと、立花、君?」
 白い顔が、みるみる赤くなっていく。
 あ、面白い。
 涼しい顔をしていた彼だから尚更、赤くなって行くのが面白かった。
「ちょ、長次」
 にい、と長次が笑う。
「やばい、長次が笑った!」
「中在家が笑うと、何かあるのか?」
 文次郎の言葉に、長次はけたけたと奇妙な笑い声を立てた。
「長次が笑ったときは、怒ってるんだよ!」
「何だそれ!」
「と、ともかく、善法寺、はつはなって何? 長次が怒る事なのか?」
「…どう、だろう。やっぱり、怒られる、かな」
 初花の意味を知っているのは、おそらく仙蔵と長次の二人。さっきの短い会話でどうやら伊作の正体が分かったらしい。
「ご、ごめんね、中在家君。とりあえず、僕、自分でも、どうしていいか分からなくて、その、ごめん、なんだ、えーっと」
 もう、説明するのも面倒臭い。
 伊作は、開き直った。
「あのね、僕、もう赤子が産めますよって事なんだけど」
「え?」
「うん、つまりね、まぐわったら子供出来るんだけど。って言えば分かる?」
「善法寺」
「何?」
「俺は、耳が悪くなったのか?」
 留三郎が、口の端を吊り上げて笑う。
「ごめん、聞こえなかった? あのね、僕、子供産める体になったって事、みたい」
 伊作も運が悪いが、残された五人も運が悪い。
 女の子のそう言った瞬間に立ち会うのは物凄く貴重な体験だが、思春期突入したばかりの少年達には刺激が強すぎる。
「善法寺って…女の子、だったのか?」
 どうやら漸く察したらしい小平太が、首を九十度に曲げてぽつりと言った。
「うん、そう。ごめんね、まさか、僕も、ここで初花が、来るとは、思わなくて。て言うか、ごめんね、不運、うつったみたい」
 お腹が痛い。頭がくらくらする。そのままそこにへたり込みたい。だが、五人がいるのならばそうは行かなくて。
 最初に立ち上がったのは長次だった。立ち上がったかと思えば、物凄い勢いで医務室の戸を開け、走っていく。
 ああ、怒ってたのか。
 伊作はぼんやりとそんな事を思う。もう、思考が上手く纏まらない。
「ちょっと待っていろ!」
 仙蔵は足をもつれさせながら、長次の後を追っていくように走り出した。
「あれ、潮江、食満?」
 小平太がぶんぶんと二人の目の前で手を振るが、二人は放心状態である。
「善法寺、初花って、月水の事なのか?」
「そう。その言葉は知ってたんだ」
「授業で習った気がする。て言うか、善法寺が女の子だとは知らなかったぞ」
「隠してたからね。でも、みんなそう思ってくれてたんなら嬉しい」
 たまごとは言え、忍者を欺いていたのだから。もしかしたら、先生達は気付いていたのかもしれない。それで、保健委員を進めたのかもしれない、と思った。
「まあ、今日で終わり、っぽい、けど…たたたた」
 初花がこんなに痛いものとは思っていなくて、どうしていいやら、分からない。こんな状況が続くならもう無理かもしれない。
 すぱーん!
 勢い良く開いた扉。そこには、走って行った筈の長次が立っていて。
「中在家、君?」
「長次?」
 もう、笑ってはいない。ただ、その手に何かを持っている。
「どうした、の」
「…………これ」
「え?」
「…………温めれば、良いと聞いた」
 長次がそっと伊作に手渡してくれたのは、温石。石を温めて布で包んだものだ。
「え…」
 思わぬ反応に、伊作は目を丸くさせる。
「なんだ、長次。それを取りに行っていたのか」
 にこにこと笑う小平太に、長次はこくりと頷いた。
「善法寺、腹が痛いんだろう? それ、当てておけばきっと良くなるぞ!」
「その前に、身なりを整えろ!」
 すぱん!
 今度は桶やら何やらを持った仙蔵が飛び込んできた。珍しいことに、肩で息をしている。
「私達が戸の前にいるから、お前は着替えて体を拭く事が先だ」
「立花、君?」
「湯はあるな」
「うん、あるけど」
「ならば薄めて使え。水を持ってきた。それから、これを着ろ」
 そう言って手渡してくれたのは、綺麗な桜色の小袖。
「え、でも、これ…」
 女の子であることを覚られたく無い伊作にとっては、一番必要の無いものだ。
「先生たちには許可を取ってきた。一週間ほど、全員女装の授業だ」
「!」
「木を隠すなら森だからな。着付けは出来るんだろう?」
「うん…」
「ならば良い。ほら、文次郎、出るぞ!」
 固まったままの文次郎を引っ張って、仙蔵は医務室を出る。それと共に、長次が留三郎の襟首を持って引っ張っていった。
「私も外で待っているぞ!」
 小平太がすっと医務室の戸を閉めてくれた。
 残された伊作は一人、ぽつんと座り込んでいる。何が起こったのかはよく分からない。ただ、長次や仙蔵が助けてくれたのは、確かな事。
 何でだろう。
 回らない頭で考えていたが、動くより他は無い。
 とりあえず、体を拭いて、小袖に着替えて。そんな事をしていると。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
 文次郎の雄叫びと共に、文次郎! と叫ぶ声が聞こえる。それと同時に、留三郎の咆哮。何事かと思っていると、急に静かになった。
 何だろう、怒ったのかな。
 そう思いつつ、そっと戸を開いてみた。
「終わったのか?」
 ちらりと伊作を見る仙蔵がいて、その隣に長次と小平太が立っている。留三郎と文次郎の姿は、無い。
「ともかく、お前の話を聞かせろ。全部はそれからだ」
「あ、あの、さ。立花君」
「仙蔵でいい」
「え?」
「名も知らぬ者の心配をしたら怪しまれるだろう。七松、中在家! お前達も名前で呼ぶからな」
「おお、それはいい! 私も皆を名前で呼ぼう! 善法寺は…女の子だから、いさっくん!」
 そこで何が女の子なのか分からないが、小平太はすこぶる楽しそうだ。その小平太を見て、長次がこくりと頷く。
 その時、初めて、涙が零れた。
「どうした、いさっくん! 腹がまだ痛いのか!」
「うん、そう、みたい…ごめんね」
 優しくされたことが、嬉しかった。きっと、嫌われるか蔑まれるかどちらかだと思っていたのに。
「善法寺ぃぃぃぃぃぃ!」
 ぎいぎいと音を立てながら、廊下の向こうから何かが迫ってくる。なんだろうと見ていたら、それは。
「これ、部屋に置いていいか!」
 留三郎と、何故か大きな衝立。
「え、え?」
 話が見えない。と言うか、誰もが留三郎の事を目を丸くしてみている。
 どこから持ってきたのか知れないその衝立を医務室の前まで持ってくると、留三郎はその場に座り込んだ。
「ああ、似合ってるな、その色」
「え?」
「どうせなら、髪も結えばいいのに」
 肩で息をしながら、にっこりと笑って伊作を見る留三郎。その留三郎に、何を言っていいか分からず、伊作はぽかんとしてしまった。
「なぁ、留三郎」
「何だよ、お前、名前で呼ぶのか?」
「そう言う事に、さっきなった。これ、どこにおくんだ?」
 小平太の質問は最もである。
「いや、長屋に。この前、修繕したヤツなんだけどさ」
「あの、食満?」
「お前は、まだ苗字で呼ぶのか?」
「え?」
「名前でいい。俺も伊作って呼ぶから」
「あ、ありがとう。あ、あのね、とめ、さぶろう」
「うん」
「ここ、医務室、だよ?」
「え?」
「長屋じゃ、ないよ」
 そこまで言って、また腹が痛くなってきた。その場で蹲る伊作をゆっくりと長次が背中を押して中へと連れて行ってくれる。
「あ、ありがとう」
「とりあえず、留三郎。お前はそれを長屋に置いてから、文次郎を探して来い」
「うぇ、どう言う事だよ」
「全速力で走って行った。おそらく、裏山の方向だ」
「何で俺が」
「あいつの死ぬ気に対抗できるのはお前だけだ」
 小平太を使いにやってもいいが、そのまま一緒に裏裏山まで走っていきそうで怖い。仙蔵の言う事は正しかった。
「わかったよ、おい、伊作!」
「何?」
「後で、話、聞かせろよ?」
「……うん」
 伊作の返事を聞いて、留三郎は立ち上がるとまたその衝立を引き摺っていく。
「さて、それでは髪でも結いながら話を聞こうか」
 ほんの少し頬に朱が差した仙蔵は、すたすたと医務室に入っていった。
「あの、いさっくん」
「どうしたの、なな…こへい、た」
「鼻血が出た!」
「え…」
「何か詰めるものをくれ」
 だらだらと鼻から鼻血を出した小平太は落ち着いているが、伊作は慌てて治療の為に小平太の手を引いた。それを見ていた長次が、溜息を付いて懐紙を差し出してくれる。だが、止まらない。
「止血剤、いるかなぁ…」
 痛みは続いている。けれど、伊作は不思議と怖くなかった。もう、大丈夫。何故かそんな気にさせてくれる面々に、ゆっくりと笑って見せた。




 これが、六年生、特に潮江文次郎を青くさせている石楠花の乱である。





「と、言うわけなんだけど」
 ずっと、お茶を啜って伊作は笑う。
 その間、文次郎は冷や汗が止まらないし、留三郎もどこか遠くを見ていた。小平太はにこにことしたままで長次と頷きあい、仙蔵は涼しい顔をしていて、鶯色はただぽかんとするばかり。
「じゃ、じゃあ、そのまま女装の授業を?」
「うん、そう。あの頃は対処の仕方なんて知らなかったし。長次が調べてくれたんだ」
 こくりと頷く長次に、そこにいた面々はある種尊敬の念を抱いた。
「すごかったよ、あの後。文次郎は一週間毎日切腹しに通ってくるし」
「それ、は!」
「止めるのが大変だったよね、仙蔵」
「ああ。それに、小平太は何故かその日から一週間ほど鼻血を出すしな」
「おお、あの時は物凄く困ったぞ!」
 鶯色の面々は言葉が出なかった。
 自分達はと言えば、何もかも伊作に頼りっぱなしで数馬を助けることなんて出来ていない。調べることも、守ることも。今の所、魔手は迫っていないが、その内自分達だけで数馬を守らなければならなくなる。萌黄色は卒業の色だから。
「あの、食満先輩」
「ん?」
 藤内が困ったように手を挙げる。
「あの、俺にも衝立、もらえませんか」
「ああ、浦風は三反田と同室か」
「はい」
 自分が自主練習をしている時に、数馬はきちんと寝巻きに着替えてくれているが、それでは申し訳ない。かと言って、一緒にいるのはいたたまれないし。最近、藤内は疲れてきていた。
「そうだな、作兵衛」
「はい!」
 何故か作兵衛の声が裏返る。
「適当に衝立を探しておいてくれ。俺も探してみるから」
「分かりました!」
 藤内の疲労は作兵衛にも分かっていた。けれど、部屋を変わるなんて言えない。自分には、左門と三之助と言う見張るべき相手がいる。それに、数馬と同室なんてとてもではないけれど、耐えられそうに無かった。
 自分達は運がいい。
 鶯色は誰もがそう思う。もしも、この先輩達がいなければ自分達はどうなっていただろう。きちんと対処が出来ただろうか。今もこうして自分達の世話を焼いてくれている。
 甘えてばかりはいられない。
 強くならなければ、そして、絆を深めなければ。
 目の前の、萌黄色の様に。
 そこに。
「あ、あの……」
 泣きそうな顔で数馬が入って来た。
「どうしたの、数馬」
 数馬は医務室に入った瞬間、びくりと身構える。これは、鶯色の面々に対しても同じ事。まだ、信頼しきれていないらしい。
 何か、あったのか。
 すっと、孫兵は他の四人の顔を見た。だが、それはただの杞憂で。
「伊作先輩に、お話が…」
 困り顔が、いつも以上に困っている。
「……ん、分かった。はいはい、みんな退室ね」
「え?」
「君達が数馬を大切にしてくれるのはわかるよ。でも、ここは僕の出番みたいだから」
 伊作は萌黄色の忍び装束の背中を押しながら、にっこりと笑う。
「まだ、頼って良いんだよ」
 その言葉に、萌黄色の面々は静かに頷いた。
「はい、じゃ、解散ね。留三郎、衝立、お願いするね」
「分かった。おい、会計委員長、衝立買わせろ」
「却下だ!」
「ならば作法の力を使って…」
「学園長先生のを私が壊そうか!」
「……それは、やめておけ」
 わいわいとそんな事を言いながら出て行く先輩の姿に、将来の自分達を重ねる。
 伊作に、女の子の影は無い。それは、この人達が守っているからだ。この人達が守ってきたからだ。自分達もそうなりたい。そう、心から願った。
「数馬」
「ごめんね、みんな」
「構わないぞ! 数馬が笑ってくれるほうが嬉しいからな」
 左門の言葉に、一瞬作兵衛が赤くなる。
「あれ、作ちゃん」
 三之助がにやりと笑うと、作兵衛は無言でその足を蹴った。
「数馬、今日、作法委員会で遅くなるから先に寝てていいよ」
「うん、わかった」
「数馬」
「何、作ちゃん」
「今度、救急箱、作ってやるから」
「え?」
「必要、だろ?」
「うん!」
 その数馬の笑顔に、四人はとりあえずのところ、幸せを感じていた。
 今は、多分それで十分なのだ。
 萌黄色にはまだ遠い鶯色。でも、自分達が萌黄色を着る時には、その時には。
「さ、数馬。おいで」
 あの人のように、優しく笑っていて欲しいと、思った。





 どうしたの、数馬
 あ、あの、その……
 ん、何か歯切れが悪いね。
 伊作先輩は、胸、大きいですよね。
 そうなのかな、よくわからないけど。
 あの、それで、えっと…
 数馬、胸が大きくなりたいの?
 違います! あの、その、胸が
 胸が?
 胸が……
 うん?
 その、膨らんで来て……
 ………わかったから、泣かない泣かない。
 でも、……
 胸なんて、さらしで巻けば潰れるから大丈夫。教えてあげるから。
 ごめんなさい…。
 直ぐ謝るのは、数馬の悪い所だよ。こんな時は頼ってくれた方が嬉しいんだから。
 伊作先輩…
 まぁ、実は巻き方は留三郎に習ったんだけど。
 え?
 何度やっても上手くいかなから、留三郎が巻いてくれて
 え? え? え?
 今はちゃんと巻ける様になってるよ。だから、教えてあげられるんだ
 (食満先輩ってすごい人だよ、作ちゃん…)






 ひつじたちはゆううつなゆめをみた
 かわいいひつじをまもるためになにをすればいいの?
 そんなことはいまでもわからない
 でも
 やさいいおおかみたちにおそわった、やさしさを





 たくさん、たくさん、あげたいと思います。








ひつじたちのゆううつ










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六年と三年の話。
冷静な伊作と慌てるその他。調子に乗って書いてみました。
女の子らしい話といえば話なんだけど、可愛くねぇな、おい。
私の精一杯の留→伊は詰め込んだんだけど、足りてないのは分かっています、はい。




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