富松作兵衛、十二歳。
 この度、とんでもなくおかしな病にかかりました。









「ちょ、作兵衛!」
 教室の扉からぼろぼろになった孫兵が顔を出し、何事かと近寄ると。
「お前、何で今日に限ってほっぽってるんだ!」
「何を?」
「迷子だ迷子! 生物委員会が総出で探してるんだ!」
 ほっぽった迷子。それは三年ろ組名物、神崎左門と次屋三之助のコンビの事だ。
「うぇ、あいつらいつの間に! て言うか、何で生物委員会がさがしてるんだよ!」
「菜園で毒虫と一緒に迷子になってるんだよ!」
「!」
 それは、まずい。
 間違いなく毒虫とご対面になる筈である。決断力の有る方向音痴と無自覚な方向音痴を混ぜるとこれだ。いつもは自分がついていて、あっちでもないこっちでもないとやっているのだが。
「しかも、菜園は保健委員が薬草摘みに来てて」
 がたん。
 その瞬間、作兵衛の動きは早かった。
 手にしたのは、長めの縄。そして、しっかり被りなおした頭巾。
「行くぞ」
「頼む」
 迷子から目を離した自分も悪いが、菜園に保健委員がいるというのも気になる。何せ天下の不運委員だ。何かあって迷子たちに巻き込まれるか分からない。巻き込まれるのは自分だけで十分だ。
「あ、孫兵」
「何?」
「一応、食満先輩探してこの事伝えてくれるか?」
「え? 何で?」
「うん、多分分かるから」
 あの人なら、絶対何があっても来てくれるはずだ。保健委員が絡んでいるのならば。 
 おそらくは意味なんて分かってないだろうが、こくりと頷く孫兵を横目に作兵衛は教室を飛び出した。
 ホントに、全く、何で、こんな日に限ってぼんやりしていたんだろうと思う。いつもなら、被害妄想が激しいと言わんばかりに迷子コンビに目を光らせているのに。それなのに、今日は全然別のことを考えていた。
 あの日から、離れない。
 視界を染めた、すみれ色の髪。
 出来るだけ、出来るだけ慎重にあのすみれ色を同じ学年で探すのだけれど、中々目に入ってこない。
 目に入るのは、運良く医務室に行けた時だけだ。
 医務室には、亜麻色の髪の保健委員長とすみれ色の髪の数馬がいる。いつもは三反田、と呼んでいるが、心の中では数馬と何度も話しかける準備をしているのだが上手くいかない。
 こうなってくると、あうんの呼吸の委員長達が少々憎くなってくる。それだけの年数一緒にいたと言うことだろうが、自分は出会ってまだ半月も経っていない。それでも三反田、と呼べば笑ってくれる瞬間が好きなのだ。
 どうか、無事で。
 どうか、無事で。
 そんな事を願っていたら、菜園に辿り着いた。
 この学園の菜園はかなり広い。迷路に出来るくらいにはわさわさと大漁の薬草が生い茂っている。保健委員はここにある薬草だけでは足りず、自分達で栽培していると聞くが。そんなところも不運といえば不運だ。
「さて、と」
 くるりと見渡すと、時折井桁模様の制服が見える。おそらく生物委員の一年坊主共だ。その中で保護色と化した我が三年の制服を見つけるのは難しい。
 何の毒虫を逃がしたかは分からないが、男は覚悟が肝心。縄と網、その二つを掴んで作兵衛は菜園に足を踏み込んだ。
 地面に気を配り、行く手を捜し、頭上に気をつける。
 迷子毒虫保健委員。何一つ、希望が持てる言葉が見つからない。その時だ。がさっと薬草を分け入って出てきたのは。
「おー! 作!」
「作じゃねぇよ、この馬鹿!」
 決断力の有る方向音痴、神埼左門だった。
「お前、三之助は?」
「知らん!」
「知らんて、一緒に走ってたんだろうが!」
「ああ、走った! でもここに入ったときどこか行った!」
 元気良くそんな事を言われても困る。作兵衛は持っていた縄をぐるりと左門に巻きつけると、自分の腰の縄と繋ぐ。こうしていればとりあえず左門だけは確保できる。後は三之助を確保してここを出ればいい。
 本音を言えば、こいつらより保健委員を見つけたいのだが。毒虫との遭遇率がかなり高いあの委員会が気になってしょうがない。
「他に誰か見なかったか?」
「んーっと、竹谷先輩、だろ」
「うん」
「あと、一年」
「うん」
「それから…あ、そうだ!」
 左門が思い出したように手を叩くと、物凄い勢いで走り出した。もちろん、作兵衛の許可など取っていない。
「ちょ、まて、おま!」
「司馬法曰く進退は疑うなかれー!」
「それは今使う言葉じゃねぇ! 止まれ馬鹿左門ーっ!」
 何かを思い出した左門の勢いは、小柄であってもなかなか止められない。伊達に会計委員で揉まれていないと言う事だ。
「三之助探すんだろうが!」
「そう、さんのすけぇぇぇぇ」
「走るな! 止まれ! そして俺の意見を聞けぇぇぇぇぇ」
 左門にしてみれば、三之助を探しているつもりだろう。だが、おそらく、いや間違いなく、反対の方向に走っている。もしくは、己から危険に突撃している。
 しかし、危険への突撃と引き換えにその声に気が付いたものは多くいたようで。
「見つかったか、迷子!」
 がさ、っと出てきてくれたのは五年の竹谷八左ヱ門だった。
「竹谷先輩!」
「悪かったな、今日はこの菜園に毒虫が…」
「それは孫兵から聞いてます。でも、あと一人、それから保健委員…」
「保健委員に関しては、さっき食満先輩が来てくれたから大丈夫だと思うけど、そっちは後一人なんだな?」
「はい!」
「すまんが、そいつは任せる。こっちは」
「毒虫ですね」
「ああ…」
 そう言った八左ヱ門はどこか疲れて見えた。いつから走っているんだろう、この人。作兵衛はそう思ったけれど、人の心配をしている場合じゃない。こちらも、まだ無自覚な分性質の悪い方向音痴を見つけていないのだから。
「あ、緑!」
 左門が薬草の中に緑色を見つけたらしい。そして、そのまま。
「司馬法…ぐむっ」
 走り出しそうな左門の口を両手で塞いで、八左ヱ門に一礼すると左門が走ろうとした方向とは逆に走る。
 おそらく、それが正解だ。
 三之助であればいいけれど。孫兵の可能性も有る。そして、もしかしたら、もしかしたら、あのすみれ色の髪かもしれない。そう考えると、不意に心の辺りがあったかくなった。
 がさり。一瞬にして視界が開けた。そうして、そこにあったのは自分達より背の高い薬草と、あのすみれ色。
「っ数馬!」
 気が付いたら、名前を呼んでいた。
 その声に気が付いたのか、すみれ色の髪は振り返る。
「と、まつ君?」
「おま、無事か!」
「うん、無事。て言うか、どうしたの?」
「今、この菜園、生物委員の毒虫がうろついてるみたいで…」
「え、毒虫……?」
「そう。お前、他の委員会の人間は?」
「え、……あははは」
 眉根を寄せて笑う姿は、出会った時と同じ。
「置いていかれちゃった、みたいで」
「置いていかれたぁ?」
「うん、食満先輩が来てくれて伊作先輩と何か話してたんだけど、その時次屋君が走っていくのが見えたから追っかけたら置いていかれちゃって…」
 自分の馬鹿ー!
 もしも、今日、朝からあの迷子コンビに目を光らせていれば、ここで数馬が置いていかれる事なんてなかったのに!
 がくり、と膝を付いた作兵衛に数馬は困ったように「と、富松君?」その肩を叩いてくれる。
「あの、富松君」
「何?」
「何で、縄、握ってるの?」
「え?」
「縄」
 数馬に言われてふと気付く。自分が持っているのは、縄。そう、左門をぐるぐる巻きにした縄だ。その先に左門は……
「やられたー!」
 縄を握り締めて叫ぶと、がしがしと作兵衛は頭を掻いた。
「どこ行きやがった! あのすっとこどっこい共!」
「え、あの、富松君?」
「あああああもう仕事増やしやがって!」
 このまま無視でも決め込んでやろうか。そうすれば、裏裏山辺りで見つかるんじゃないか、と本気で作兵衛は考えた。その作兵衛の極端な考えを払拭してくれたのは、誰でもないそこにいた数馬だった。
「手、貸して?」
「え?」
「すごくぼろぼろになってる」
 左門を離してはならぬと決めて握っていた縄。その縄を握っていた手は皮が向けていた。
「ちょっと待ってね」
 数馬は背負っていた籠をよいせと隣に下ろすと、腰の辺りに結んでいた袋から何かを取り出し、同時に竹筒を取り出した。
「染みるかもしれないけど、ごめんね」
 竹筒の水で綺麗に洗ったあと、軟膏を塗りこみ、綺麗に包帯で巻いてくれる。
「うん、これで大丈夫」
「お前、いつもこんなもの持ち歩いてんのか?」
「うん、すぐみんなとはぐれちゃうからね」
 前に何かの修繕をしていた時、かなりざっくりと手を切った留三郎の怪我を通り掛かった伊作がしてくれた事を思い出す。
「保健委員て、みんなそんな風なのか?」
「そうだね、多分、みんなそれなりのものは持ってると思うよ?」
 不運委員会だからね。何かあった時大変だし。
 さわりと、薬草が揺れる。その風に吹かれてすみれ色の髪が舞う。
 ざわりざわりと胸が騒いだ。
 綺麗なすみれ色がふわふわと揺れるたび、胸の一番奥に有る部分が締め付けられそうになる。
「富松君?」
 覗きこんでくるのは、困ったように眉根を寄せた顔。
 いつも困り顔じゃねーか。
 笑った顔が見たいのにな。
 今日だって、あのすっとこどっこいどもがいなければ、こんな風にただここで出会っただけならば困ったような笑顔じゃなくて、満面の笑顔を見せてくれたかもしれない。
 自分が、怪我などせず、毒虫などいなければ。
「よし」
 決断は早い方が勝ちだ。
 こうなれば、あのすっとこどっこいは山の向こうに放りやろう。誰かが助けてくれる。いや、自力で帰ってくる。三日後くらいには。
「帰ろう」
「え?」
「だって、お前がいないってなったらみんな心配するだろう?」
「そんなに心配しないよ」
「どうして?」
「だって、ぼく、……」
「どうしたんだよ」
 俯いた数馬の顔を、今度は作兵衛が覗き込む。
「いない事に、慣れてるから」
「はぁ?」
「ぼくは、いてもいなくても、多分大丈夫。その内藤内辺りが気が付いてくれるから」
 不運委員会には、いろんな不運がいると言う。その全てを網羅した時、委員長になるというのは嘘ではないらしい。
「そんなの…」
「だから、平気。富松君、神崎君と次屋君探しに来たんでしょ? 一緒に探しに行くから……」
「ちげぇよ」
「え?」
「俺、お前を探しに来たんだ」
 顔は赤くなっていないだろうか。心臓はお祭り騒ぎみたいになっている。熱くもないのに掌に汗をかいている。
「左門と三之助の馬鹿はついで。だから、帰るぞ」
 包帯を巻いてくれた手で数馬の手を握ったのは、じんわりとかく汗を悟られない為。
「え、でも…」
「それから、俺のことは作兵衛でいいから。富松君なんて落ち着かねぇ」
 明らかに数馬は困っている。それでも作兵衛は自分の気持ちを押し込められるほど器用じゃない。
「作兵衛、くん」
「くん、いらねぇって。他の奴等みたいに作兵衛でいいって」
「作兵衛……ってちょっと言い辛いんですけ、ど…」
「じゃあ、なんて呼ぶんだよ?」
「えーっと、えーっと、えーっと……さ、作ちゃん!」
 ぎゅ、と手を握り締められた。
 他の奴等が言ったのなら、鉄拳制裁だが作兵衛の事を作ちゃんと呼んだのは、すみれ色の数馬。許せないわけがない。
 ちらりと少し自分より低い数馬の顔を前髪の隙間から覗くと、その顔は真っ赤だ。
 この子が、もし、女の子なら。
 きっと誰よりも可愛い女の子。
 ああ、女の子なら良かったのに! そうすれば、手を握られて物凄く嬉しい自分の気持ちにも答えが出た気がする。
「じゃ、じゃぁ、作ちゃんで、いい」
 ちょっと裏返ってしまった声。
「え、いいの?」
「おう。その代わり、俺も数馬って呼んでいいか」
「うん!」
 その時、数馬がみせてくれた笑顔に。





 ――富松作兵衛、十二歳。
 恋ひ侘ぶ事と、あいなりました。








こひわぶ










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恋い侘ぶ=恋の病。もうともかく作兵衛が大変な事に。大丈夫だよ、数馬は女の子だから(待て)。




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