君を見つけたのは、偶然でした。




 ひらひらひら。
 用具倉庫から一番遠い厠まで続く道に、てんてんと落とし紙が落ちている。しかも、等間隔に。
 (またあの人か…)
 あの人、とはこの学園で最も不運と呼ばれた最上級生、善法寺伊作先輩。
 悪い人ではない。むしろいい人だ。絶対忍者とかに向いていない、それこそ医者でもやったほうがいいんじゃないかと思うほど、優しい人。
 そして、我が用具委員会が最もお世話になっている人。
 筆頭がお世話になっているのだから仕方ない。食満先輩も要領の悪い人ではないが、いろんな意味で運が無い。最近ではちょっと思うところもあるのだが、それは後輩として黙っておこうと思っている。
 土は乾燥していて、落とし紙はひらひらとあっちにいったりこっちにいったり。それを拾いながら、作兵衛は溜息を付いた。
 どうしてこうも、うちの委員会は尻拭いばっかりかな…。
 作法委員の先輩が掘った蛸壺を埋めるのも自分達だし、会計委員がぶっ壊したものを修理するのも自分達だし、体育委員が掘った塹壕を埋めるのも自分達だ。
 ある意味、保健委員より不運ではないだろうかと最近思うようになった。
 それでもまぁやりがいのある委員会だと思い込んで、既に束になりそうな落とし紙を束ねて、目的の厠へつくと、哀れ、蛸壺から出た足。
 土埃に塗れた緑色の制服は、間違いなく…。
「大丈夫ですか?」
 最後の落とし紙を拾って、蛸壺を除くと広がっていたのはあの亜麻色の髪ではなく。
「え……?」
 ばさり、と広がった落とし紙。その中に覗くのは、鶯色の、自分と同じ制服。そして。
 ――鮮やかなすみれ色。
「……誰?」
 思わず、そう呟いた。
 作兵衛の声に目を開けたのは、覚えの無い顔。同級生であるのは間違いなさそうだが、見覚えが無い。くるりと丸い目と太い眉。そして、何よりも綺麗なすみれ色。
「あ、富松君…」
「え、おれの事知ってんの?」
「用具委員の…富松君、だよね?」
 妙な体勢でいるのが辛くなったのか、よいせと穴から顔を出すと同級生は目をぱちくりとさせて作兵衛を見る。
「お前…誰?」
 その言葉に、同級生は一瞬目を見開くと、かくりと肩を落とした。
「やっぱり、覚えてないんだ」
「え、ごめん、同じ組じゃねぇよな」
「うん」
「何組?」
「は組」
「浦風と同じ組?」
「うん」
「え、っと合同実習で一緒になったか?」
「違うよ」
 よいせ、と落とし紙をまず蛸壺から出して自分も出ると、同級生は眉根を寄せて笑う。
「それ」
「え?」
「それ、巻いたの、ぼく」
 それとは、先日体育委員対会計委員会のいざこざに委員長と共に巻き込まれた時、修理中だった机から出ていた釘に引っ掛けた傷の事だ。
 その傷には、綺麗な白い包帯が巻かれている。
 それは、作兵衛の血に慌てた過保護と言わんばかりの委員長が医務室に滑り込み、保健委員に包帯に消毒をして包帯を巻いてもらったのだが。
 その時は、体育委員長と会計委員長と用具委員長がとっ掴み合いの喧嘩を始めてしまい、保健委員長が珍しく怒っていた事を覚えている。
 その時の自分と言えば、名も知らぬ保健委員に治療を任せ、用具委員長に大丈夫ですからと何度も叫んでいた気がする。
「お前、あの時の、保健委員…?」
「そう。富松君、食満先輩とずっと喋ってたからね」
 覚えてなくても仕方ないよ。
 ふわり、と困ったように笑うのが特徴的で、どこか寂しくなる笑顔だった。
「すすすすすまん! 折角治療してもらったのに!」
 九十度に体を折り曲げ、作兵衛は同級生に頭を下げる。作兵衛自身義理人情に固い男だ。保健委員といえど、それが仕事といえど、自分のミスにより怪我したのを治療してくれたのに、何も言わない、しかも顔を忘れているとはとんでもない失態だった。
「いいよ、気にしないで。いつもの事だから」
 いつもの事だから。
「え……?」
 そこの言葉が、妙に胸に突き刺さる。何がいつもの事なのだろう。聞きたいけど、聞けない。何故か笑顔の壁がそれを許してくれなくて。
「お前、そういや、名前は」
「数馬。三反田数馬」
 聞いた事の無い名前だ。時折話す、浦風との話に一度でも出てきたら忘れなさそうなのだけれど。
「よし、分かった。三反田、だな」
「そんなに気負わなくていいよ。すぐに…」
「すぐに?」
「何でもない」
 一瞬、数馬の戸惑ったような瞳がすうっと細まる。どこか保健委員長にも似た笑い方。用具委員長がいれば、不安な奴はそうやって笑うんだよと教えてくれるだろうけれど。
「………」
 これが厠の前ではなく、蛸壺から這い出た後ではなく、持っているものが落とし紙でなければ。
 そうでなければ、どうだというのだろう。
 一瞬過ぎった自分の気持ちが分からない。
 ふと視線をずらすと、自分の手の中には束になりかけた落とし紙。
「あ、そうだ、これ」
「え?」
「落としたの、お前だろ?」
 これが、落とし紙でなかったら。
 本でも手裏剣でもいい。こうなれば、忍たまの友でもいい。落とし紙でさえなければ。
 本気でそう思った。
「うわ、こんなに?」
「気付かなかったのか?」
「あ、うん、前殆ど見えなかったし」
 やっぱりあの人の後輩だ。
「ありがとう、大変だったでしょ?」
 ふわふわり。柔らかく笑うとすみれ色が広がる。
 その瞬間、胸の中のどこかで自分じゃない誰かがぎゃーっと悲鳴を上げた。
 作兵衛から紙を受取ろうと数馬が手を出す。
 ん? 待てよ?
 落とし紙を渡そうとして、作兵衛は数馬の持っていた落とし紙を半分持った。
「え」
「また落ちたら大変だろ」
 ここら辺は、蛸壺以外に何故か落とし穴を示す印が多い。四年のあの先輩はこんな所まで穴を掘りに来ているのだろうか。
「あ、ありがとう…」
「それより、落ちんなよ」
 保健委員とやらは、とても落とし穴と相性が良い。それを引き上げるのまで用具委員の仕事にされたらたまったものではない、と思いつつそれもいいかな、なんて思ったのは何故だろう。
「富松君は優しいね」
「んなことねぇよ」
「うちの先輩の次くらいに、優しいと思うよ」
「そんなの…」
 一番じゃないのか。ちょっと残念に思う自分が分からない。
 その時。
 ぶわっと吹いた一陣の風。落とし紙が宙を舞う。
「うわわ…」
 数馬が慌ててそれを掴もうと手を伸ばして、すみれ色の髪が舞った。
 ふわりと舞う、すみれ色。
 ――さんたんだ、かずま。
 多分、このすみれ色を忘れることが出来ないのと同じだけ、名前を忘れることはないだろうと、舞い散る落とし紙の中、作兵衛は思った。




 すみれのはなをきみにあげたら、きみはわらうのだろうか。








すみれ、いとし、きみ、










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一目惚れの瞬間を書きたかっただけ。数馬可愛い作兵衛嫁に貰え俺が許す。



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