見えている全てが美しいとは限らない。 「お前は、……確か、その…」 「いいですよ、無理に思い出さなくても」 それは、学年対抗鬼ごっこの最中の出来事だった。 鬼は四年で逃げるのは三年。可愛さなど欠片も無い後輩達を捻り潰すいい機会だと思っていた四年だったが、思いの外頭の回る三年生に梃子摺っていた。 滝夜叉丸もその一人。 見つけたのはこれで三人目。逃がしたのを含めると八人目だ。 そう思って木々の隙間に潜んでいた、薄い気配を辿って来て見れば、見覚えのあるけれど名前が思い出せない三年生が一人。 確実に捕まえたいのだが。 だが。 「下級生の名前一つ覚えていないようで、完璧と言えようか!」 滝夜叉丸は良くも悪くも完璧主義だった。 「いえ、あの、その、頭巾持って行って良いですから」 おずおずと差し出された頭巾。 三年生は己の頭巾を守るのが決まり。四年生はそれを奪うのが決まりだ。 負けを認めているのか諦めているのか。ともかく、目の前の三年生は足掻く事をしなかった。 「何を言う! ここは男らしく戦って華麗に奪い取るのが筋だろう!」 「いや、あの、ぼく、滝夜叉丸先輩に勝つ自信ないですし」 胸元から戦輪を取り出しくるくると指先で回しながら、ふむ、と考えると。 「まあ、私に勝とうということ自体間違ってはいるが、試さないで退いてどうする! それでも忍術学園の生徒か!」 「…………」 「さあ、得意武器はなんだ? 私が胸を貸してやろう! さあ!」 ずい、と迫る滝夜叉丸に三年生はすっと一歩引く。 「どうした、この滝夜叉丸が相手をしてやろうと言っているのだ。遠慮するな!」 「お断りします」 「否定は認めない。さあ、武器を出せ!」 どうにもこうにも好戦的なのは、体育委員会の血筋だろうかと一瞬思ってしまう。 得意武器なんて無い。 唯一得意とするのは体術で、だが、それも同級生に通じるだけだ。 「あの、やっぱり、ぼくには無理です」 「情けない! それでも男子か!」 「いえ、あの、その……」 「大体、そんな目立つ髪の色でどうしてこの木々に……目立つ髪の色?」 あのね、三年生にすみれ色の髪の子がいるでしょう? あの子、女の子だよ。 何気なく零した同室の喜八郎の言葉。 そんな馬鹿なと言ったが、あの喜八郎は何かと鋭い。あの観察眼は馬鹿に出来ないのはわかっている。 その時、名前を言っていた。 なんだか、とても馬鹿らしい名前を。 思い出せ、滝夜叉丸。 これしきの事思い出せずして、優秀と言えようか。 保健委員の比売神様。 違う、それは多分違う。そんな事を言っていたのは一年の頃からだ。その時はこの生徒はいない。 なんだったか、煌びやかな…… 考え込んでしまった滝夜叉丸に、あの、と三年生が声をかける。 紫式部。いや違う。紫苑。そんなのじゃない。紫紫紫紫…いや、紫、ではあったが紫ではない。 「滝夜叉丸先輩?」 ぶんぶんと目の前で手を振るが、反応は無い。どうやら、思考の迷路に入り込んでしまったらしい。 思い出さなくても良いのに、ぼくの名前なんか。 人に忘れられやすいのも、印象に残らないのも分かっている。 無理に、思い出そうとして諦められるのはいつもの事。 慣れている。だから、大丈夫。 そう思いながら、滝夜叉丸を見ると。 やっぱり、顔立ちは群を抜いて整ってるなぁ… 考え込む滝夜叉丸の伏せ目がちの瞳を縁取る長い睫は自分より長くて上を向いている。 すっとした鼻立ちに薄い唇。 程よく肉が落ちている頬に、口元に添えられた手は、戦輪を扱う為にしっかりとした指先になっている。 同級生とは違う、滝夜叉丸の顔。 それをまじまじと見ていると、漸く視線に気が付いたのか。 「どうした?」 真面目で低い声が帰ってきた。 「あ、いえ、何でもありません」 顔を眺めていた、なんていえる筈も無く三年生の様子に片眉を上げると。 「嘘を付くな。何か考えていただろう。奇襲か?」 「いえ、奇襲を仕掛けても負けるのは分かっていますから」 「じゃあ、何を考えていた」 「え……」 「私の顔を眺めて何か考えていただろう? 私の顔は美しいから見惚れていたか?」 ははははと笑いつつ前髪をかきあげながら、滝夜叉丸が言うと三年生はかあっと顔を赤くする。 「それは仕方の無いこと! この滝夜叉丸の顔は神が作り出した芸術品! いくらでも見惚れるがいい!」 顔を褒められるのは悪い気はしない。むしろ、もっと褒めろと言いたい位だ。 「え、良いんですか?」 ここでいつもなら、そう、良いんですかといや違う。普段なら何も返って来ない。なのに、目の前の三年生はじっと自分の顔を見ている。 太い眉にまん丸の瞳。丸い鼻にぽってりとした唇。下膨れの顔。紫色の綺麗な髪はふわふわと風に揺れている。 …あの、すいません、そんなにまじまじ見ないでいただけますか。 自分の姿を見るのは慣れている。注目を浴びるのも慣れている。だが、こんな風に真っ直ぐな瞳で見られるとどうして良いか分からない。 居心地が悪いわけでは無いけれど、どうにも落ち着かない。 「……あのな、えーっと、その」 「?」 「そう、まじまじと男の顔を見つめるんじゃない。相手にその気が無くても誤解されるぞ」 「え?」 「私の顔を穴が開くまで見たいという欲求は認めるが、二人きりの時にそんなにまじまじとだな」 「何か問題あるんですか?」 相手に衆道の気があったらどうする、といいたい所だが、良く考えればこの子は女の子。滝夜叉丸以外の男だったら何か悪い気を起こすかもしれない。 その人間には審美眼が無いか、女にだらしないかのどちらかだが。 普通に考えたら、こんなへちゃむくれに手を出そうとは思わないだろう。失礼だが、全体的にこの子はへちゃむくれだ。 だが、その真っ直ぐな瞳は買ってもいい。 真っ直ぐに相手を見つめるその瞳はきらきらしていて、とても綺麗だ。 「た、例えばだな。暗がりに連れ込まれたりしたらどうするんだ」 「へ?」 「どこかにかどわかされても文句は言えないぞ」 危機感が足りなさ過ぎる。 そう言う滝夜叉丸に、三年生はころころと笑って。 「ぼくをどうこうしようとする物好きなんていませんよ」 とさらりと言った。 「そうとは限らん。蓼食う虫も好き好きと言ってだな」 「蓼ですら有りませんから」 「世の中には色んな趣味の人間がいるんだぞ」 「大丈夫です。滝夜叉丸先輩の杞憂ですよ」 ああ、そうか。この子には自信が足りないのか。 滝夜叉丸はいつも自信に満ち溢れていて自信が無い人間など今まで気にもしなかったが、こうも自信が無い人間を見ると「少しは自分に自信を持て!」と言いたくなる。 「どうしてそういい切れる?」 「男前でも美人でも綺麗でも可愛くも無いことくらい分かってます」 「……………」 駄目だ、これは。 どうしようもなく後ろ向きだ。 誰がこんな風に育てたんだと聞きたくなるくらい後ろ向きだ。 滝夜叉丸は少し考えてから、戦輪を胸元に戻すとすっと手を伸ばして紫色の髪を一房そっと握る。 「滝夜叉丸先輩?」 「そうだな、確かにお前はへちゃむくれだ。だが、この髪は綺麗だと思うぞ」 「え?」 「誇っても良いくらいだ。タカ丸さんなら喜んで結ってくれるだろう」 ふわりとまるで重さを感じさせない髪。 自分のさらさらとした髪とは違う、細くてくるりと丸まった髪。 手入れはしているんだろうか。 そう思いながら、今度は頬を触る。 滑らかだががさがさになってしまっている。折角柔らかい肌なのに。 「た、滝夜叉丸先輩……?」 ぺたぺたと自分の顔を触る滝夜叉丸に驚いたのか、三年生はどうしたものかと戸惑っている。 「自分に美が足りないのなら、その分を補う努力をすればいい。そうすれば、少なくともへちゃむくれではなくなる」 「いや、あの、」 「私のこの美しさも努力会っての賜物。強さと美しさは待っていても手に入るものではない」 「は、はあ………」 「それと」 滝夜叉丸は、三年生の肩に手を置いて小さくその額に口付けた。 「な!」 三年生は慌てて自分の額を覆って真っ赤になる。 「男とは、どんな状況下で牙を向くか分からないんだぞ、菫姫」 そうだ、菫姫だ。 喜八郎は菫姫と呼んだ。 医務室にいるよ。鶯色の忍装束で、ふわふわのすみれ色の髪をした菫姫。 慌てる様子がどこか小動物のようで、滝夜叉丸はふっと笑みを零すと。 「手順、一」 「え?」 「次に私に会うまでに、顔を洗う時は米ぬかを入れた木綿の袋で顔を洗っておく事。手順二はそれからだ」 「へ?」 「それじゃあ、菫姫! 私の美しさに負けないよう努力するんだぞ!」 そう言って、満足したかのように滝夜叉丸は走り去っていく。 残された三年生は、呆然とした後。 「頭巾…どうする気だろう」 最初の目的を思い出していた。 熱い熱い熱い。 触れた指先が熱い。 自分より綺麗じゃなくてへちゃむくれな女の子。 その子に触れた指先が熱い。 しかも、頭巾を取る事を忘れるなんて何たる失態。 滝夜叉丸は悔しそうに唇を噛むと、ぎゅっと拳を作る。 これは、ただ、熱に浮かされているだけだ。 そう、この実習の熱に浮かされているだけだ。 だけど、菫姫が自分の言った事を守ってへちゃむくれから羽化したら? それを考えると、鼓動が早くなる。 いやいや、そんな事を考えている場合じゃない。 今は、実習に集中しなくては。 そう思って手元にやった指先に絡まっているのは、すみれの糸。 一房だけ掴んだすみれ色の髪。その時に絡まったのだろう。 「……………」 一度考えて頭を横に振って、もう一度考えると、懐から懐紙を取り出し糸を包む。 そうして失くさないように、懐の奥にしまい込んだ。 この感情に付ける名前を知らない −−−−−−−−−− 滝夜叉丸→数馬です。 いいですか、滝夜叉丸→数馬です(大事な事なので二回言いました)。 やっちまったぜいえっふー! 需要がゼロだなんて怖くは無いんだぜ! 誰得ですか俺得です! 書いてる私が楽しいだけです! この後続くのか続かないのかは分かりません。 戻る |