どうしてうちはこうなんだ!





「あー、やっぱり!」
 からりと台所の窓を開けたのは見覚えのある顔。その顔に、驚いたように振り返ったのもまたいつもの顔。
「数姉、ケーキ焼いてるの? それともクッキー?」
「け、ケーキ、だよ」
「うちのもある?」
「もちろん、あるけど…」
「やったー!」
 無邪気に喜ぶ姿は高校生になっても変わらない。にこにこと笑う二人の姿に、数馬はちらりと後ろを振り返った。振り返った瞬間、自分の妹達は手にしていたものを引っ込める。
「ねぇ、団蔵」
「な、何…」
「今日、チョコ何個貰った?」
「……五十個くらい…」
 団蔵の言葉に、窓から顔を覗かせている兵太夫はちっと舌打ちをした。
「今年も僕の勝ち?」
「男子校なんでね。女子高のお前と一緒にしないで欲しいんだけど」
 量より質だよ。その言葉に、団蔵は毎年見せる笑顔で。
「また一勝」
 そう言った。
 バレンタインに何故か競う女の子の団蔵とお隣の兵太夫。巷では王子様との呼び声も高い兵太夫だったが、お姉さまと誉れの高い団蔵にチョコの量で勝てた試しが無い。
「金吾も貰ったの?」
「う、うん」
 団蔵の隣で何かわたわたとしていた金吾が、兵太夫の隣から顔を覗かせる喜三太に答える。
「何個くらい?」
「三十個…くらい…」
 団蔵に負けず劣らずお姉さまと慕われる、そして何故か女子校内で妹と可愛がられる金吾もバレンタイン常勝組だ。
 去年はまだ団蔵も金吾も女子高に通っておらず、その数は兵太夫と喜三太と僅差だったものの今年は男子校に行った二人とは大きく差がついてしまった。
 だが。
「喜三太も、貰ったの?」
「うん、いっぱいー」
「そう、なんだ」
「兵太夫と同じくらい貰ったよ」
 えへへ、と笑う喜三太に悪意は無い。喜三太は人懐っこい性格から、年上から年下まで幅広い人気だ。兵太夫と同じくらい、と言う事は少なくとも二十個程は貰っている筈。
 さすが双子、と言ったところか。
 似ていないが、兵太夫と喜三太は二卵性双生児である。それと同じく、団蔵と金吾も二卵性双生児だった。
「くれるならチョコ以外のものが良いのに」
「そうだねぇ」
 兵太夫は手に提げているであろう紙袋を見て、ぽつりとそんな事を言う。その言葉に喜三太も賛同した。
「そんなの、くれる女の子たちに失礼じゃん」
 団蔵が口を尖らせて兵太夫に文句を言う。きっと、兵太夫の手の中のチョコにも喜三太の手の中のチョコにも、たくさんの想いが詰まっている。
「だって、知らない人間の手作りとか怖くない?」
「あー、兵太夫、去年痛い目見たもんね」
 去年、まだ四人が同じ中学に通っていた時、バレンタインの贈り物の中に手作りのチョコがあり、中にどっさり髪の毛が入っていて気味の悪い思いをしたものだ。
「じゃあ、兵ちゃんもきさちゃんもケーキ要らない?」
 二人の言葉に、数馬が笑うと二人はとんでもないと手を振った。
「数姉のケーキ食べないなんて、そんな事天地がひっくり返っても無いし!」
「うん、他の誰のも食べなくても数ねぇのは食べる!」
 二人は、小さな頃から数馬の作るお菓子が大好きだ。最初の頃は単に手作りと言うのが嬉しくて食べていたけれど、気が付くと数馬のお菓子作りの腕は玄人はだしになっていて、数馬以上のお菓子に出逢った事が無い状況下だった。
「そっか…」
 金吾はきゅ、と唇の端を結んで少しだけ俯くと顔を上げて。
「数馬姉さんのケーキは天下一品だしね!」
 そう笑った。
「お前ら、友チョコを貰いたいお姉さま第一位のうちの数姉さんのケーキ食べられるんだからな! 感謝しろよ!」
 団蔵も、どこか歪な笑顔を浮かべて金吾の手を握る。
 そんな事をしていると、台所ではなく玄関の扉が開く音と共に、「数馬ー」と聞き覚えのある声。その声に玄関に走れば、そこにはたくさんの紙袋と一つの箱を持った作兵衛がいて。
「作ちゃん」
「おう、数馬」
「どうしたの…?」
「いや、あのさ、…お前、またケーキ焼いてる?」
「うん…」
「それって、うちのもある?」
「あるよ」
「そっか、じゃあこれ食べてくれないか?」
「え?」
「貰ったんだけど、食いきれそうに無いから」
 それは、美味しくて有名な、取り寄せには一年以上かかるとも言われる絶品のガトーショコラを出す店のホールケーキが入った箱。
「お前、甘いもの好きだろ? それに、いさねえも」
「う、うん」
 作兵衛の手からそれを受け取ると、数馬は。
「あ、後でケーキ持っていくね」
 と、何とか笑って見せた。
 その笑顔に安心したのか、作兵衛はふにゃりと笑って玄関から出て行く。
 残された数馬の手には、落ち着いているけれど上品な包装の箱。玄関の向こうからは「兵太夫、喜三太、帰るぞ!」の声。
 隣の兄弟が帰るのを確認して、数馬はへたんとその場に座り込んだ。




 伊作が帰ると家は暗く、何だろうと思いつつリビングを覗くと甘い香りと珈琲の匂い。
 どうにかして合コンの誘いを断って帰ったのに、何があったのだろう。冷蔵庫の中のカレーを温めて夕飯にしたいのだけれど。
「あ、お姉ちゃん、お帰り…」
 最初に顔を上げたのは、鼻を真っ赤にして泣いている数馬。
「いさ姉さん…」
「伊作姉さん…」
 同じように涙目で何故かフォークを握っている団蔵と金吾の二人も、鼻が真っ赤だ。
「どうしたの、三人とも」
 伊作の声に反応したかのように、三人はわっと伊作に泣きついた。
「ええええ、どうしたの?」
「兵太夫が…」
 最初に口を開いたのは団蔵で。
「兵太夫君が?」
「手作りのチョコいらない、って」
 台所には作りかけのブラウニーの残骸。どうやら、珍しく団蔵が手作りのチョコを作っていたようだ。毎年貰う方で、そして、毎年一つだけ買って自分で食べてしまう団蔵が。
「それに、喜三太が」
 続くように金吾がきゅっと伊作のコートを掴むと。
「数馬姉さんのは食べても、他のは食べないって…」
 これまた剣道一直線な金吾が珍しく作っていたらしい蛞蝓型のクッキーの残骸。誰にあげたかったのか一目瞭然だ。
 また、今年も渡せなかったらしい。
 生まれてこの方十六年。お隣の食満さんちの双子が好きな善法寺家の双子は毎年チョコレートを用意しては玉砕している。しかも、今年は手作りと来ていた。その落胆は大きいだろう。
 ちらりと目をやれば、リビングの一角を占めるチョコレート。数馬と伊作とは違い、女子から絶大な人気を誇る可愛い妹達の戦果に違いない。
 それと、同じ思いを込めたチョコレート。
 まったく、幼馴染と言うのも良い事ばかりではない。
 だが、数馬が泣いている理由が分からない。数馬の作るチョコなら欲しいと言う人間が、特に女の子からが多いそのチョコを隣の次男が断る筈も無いのに。
 毎年、作ちゃんが美味しいって言ってくれるから。
 そう言って寂しそうに笑っているバレンタインなのに、これはどう言う事だろう。
「数馬、どうしたの?」
「……作ちゃんが」
「作兵衛君が?」
「これ貰ったって……」
 テーブルの上には、数馬が焼いたのであろうガトーショコラとそれとは別に洗練されたガトーショコラが一つ。
「これね、買うのにすっごくすっごく時間がかかるし、滅多に手に入らないの。そんなのくれる人がいるのに、ぼく、手作りのケーキあげちゃった…」
 確かに、これを貰っては太刀打ちが出来ないと思うのは仕方ない。
「三人とも、落ち着いて、ね?」
 うわああああん、と泣き叫ぶ妹達は毎年頑張っているのに何故か報われない。善法寺家の呪いか何かか。と言うより、バレンタインが呪われてるとしか思えない。
 伊作本人、二十年間隣の長男に一度もチョコレートを渡せた事が無いのだ。この方法以外。
「とりあえず、ご飯食べよ。その前に、ケーキ食べる?」
 お腹が空いているから悲しくなるのだ。その言葉に、三人はこくりと頷いて涙を拭うと、もそもそと夕飯の準備を始めた。




「おーい?」
 玄関を開けると、暖房の空気は入っていない。何故か張り詰められた空気だけがそこにはある。折角合コンを断りまくって帰ってきたのに、この寒さに迎えられるとは。
 何かと思ってリビングを覗けば、テーブルに並べられた色とりどりの紙袋。自分が貰ってきたものとそう大差ない。
「何やってるんだ、お前ら」
「兄貴…」
「留にぃっっっ」
 何故か泣きながら飛びついてきたのは、いや、毎年と言うべきか喜三太の頭を撫でて留三郎はまた溜息を一つ。
「喜三太、今年もか」
「貰えなかったぁぁぁぁぁぁぁ」
 うわああああんと泣いている喜三太は、確か高校一年生である。こんなに子供っぽくていいのかと思うが、お隣の双子の妹が絡むとこうなるのだ。
 特にバレンタインは、金吾の本命チョコが欲しくてしょうがないのに、一度ももらえた試しが無い。
「金吾、誰かにチョコあげちゃったのかなぁ」
「馬鹿、金吾は貰う方だって言ってるだろ」
 頬を膨らませている双子の弟を見れば、その手には可愛いラッピング袋が一つ。
「兵太夫もまた渡せなかったのか」
「あいつにチョコの数で負けたく無いだけだよ」
「嘘付け。お前の部屋にそんなのどれだけあると思ってるんだよ」
 作兵衛の言葉に、兵太夫はうっと言葉に詰まる。
 誕生日にバレンタイン、兵太夫が団蔵に渡せなかった贈り物が積み上げられているのは兄弟の間では周知の事実。団蔵はチョコをくれないからと諦めてからずっと渡せていないプレゼント。
「作兵衛、お前はどうしたんだ?」
 テーブルの上には毎年同じ光景のガトーショコラが一つ。
「いや、これさ、美味しくて」
 既に切り分けられて、ラップに包まれているのはおそらく留三郎の分だろう。
「逆チョコって言うのがあるらしいんだけど、今年、数馬にやったんだよ。美味いって評判のところの」
「うん」
「でも、やっぱり数馬の作ったヤツの方が美味くてさ」
 どうやったら、毎年のお礼が出来るんだろうと悩んだ挙句、去年のバレンタインの翌日から予約していたガトーショコラを持って行ったけれど、数馬の作ったものの方がはるかに美味しい。
 失敗した、と落胆している作兵衛はある意味この家では勝ち組。
 毎年好きな子から手作りのとびきり美味しいチョコを貰っているのだから。自分や双子に比べればなんて羨ましいとしか言いようが無い。
 二十年一緒にいる好きな子からチョコは「毎年いっぱい貰うもんねぇ」と言って一度も貰った事が無いのだ。そのわびしさに比べれば。
 その時、ピンポーンとチャイムの音。
 ひっついて離れない喜三太を作兵衛に任せて玄関を開けると、そこには毎年の光景。
「伊作」
「留さん。もう夕飯食べた?」
「いや、まだだけど」
「そう。あの、良かったらこれ食べる?」
 そう言って伊作が差し出してくれたのは見覚えのある鍋。食満家のものだが、なぜか善法寺家に在中しているその鍋の中身は、きっと。
「カレーか」
「うん。毎年で悪いんだけどね」
 バレンタインにカレーを貰うのは何時からだろうか。もう十年以上は貰っている。この為だけに合コンを断ったといっても過言ではない。
 伊作の料理はかなり美味しい。下手な店のものより美味いとは弟達の言葉だ。その伊作はよくこうやって日本にいない両親に頼まれたからとご飯を持ってきてくれる。
「いや、ありがたく頂くよ」
「あ、そうだ」
「ん?」
「チョコ、食べ過ぎないようにね?」
 ばいばい。そう言いつつ、鍋だけ渡していつもと同じように扉を閉めて出て行ってしまった。
 チョコレートはもらえないが、カレーがもらえるだけいいじゃないか。そう言い聞かせて温かい鍋をリビングに持っていく。
「おーい、お前ら、飯だぞ」
「いさねぇのカレー?」
「そうだ。飯は炊いてるか?」
「そう来ると思って、飯だけは炊いておいた」
 作兵衛が立ち上がると、ぱちりと電気をつける。
 どうにもこうにもうまく行かないバレンタイン。男ばかりの食卓で、誰ともなく溜息を付いた。




「お姉ちゃん」
「何、数馬」
「今日のカレー、いつもと味が違うね」
「そう?」
 バレンタインに作るカレーの中にだけ、毎年チョコレートが入っているのは伊作だけが知っている秘密。




 食満さんちと善法寺さんちの間はいつもすれ違っていて。
 涙の雨が、降っている。







すれ違い涙雨








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えーっと、どうも、設定魔の私です。
食満さんちと善法寺さんちのすれ違いを延々と書いていけたらいいなと思います。
うぶうぶしてもうお前らくっつけよって読んでる人間が思うくらいに。
でも、誰も気付いてないんだぜ…無駄な惚気に耐えられる方向けです。
まどろっこしい幼馴染達を温かく見守っていただければ幸いかと。



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