もう大丈夫だよ。 もう、泣かなくていいから。 ごめんね。 ボクでいいなら、ずっと傍にいるから。 傷つけないよ。 貴女を傷つけたりしないよ。 ずっと、鎧のままだって構わないから。 兄さんの傍にいるよ。 【市場へ行こう 6 断罪の音】 「マスタング大佐。シェスター少佐を糾弾すべきです」 強い口調で、ホークアイはそう言い放つ。 「ホークアイ中尉!それは……」 「ハボック少尉は黙って。私情を挟むことは許されないわ」 いつも冷静で客観的に物事を見ることの出来る女性。 頭の回転が速く、機転が利いて。 周りに冷たい印象を与えがちだが、誰よりも優しい女性だと、東方司令部の面々は知っている。 そのホークアイに、いつもの優しさは見られない。 強い意志を持った瞳と、きつい調子の言葉。 確実に、ホークアイは怒っていた。 「マスタング大佐。どうなさるおつもりで?」 「ホークアイ中尉。そう言うからには、証拠があるんだろうね?」 冷静を装っても、動揺を隠せないロイは、思わずそんな言葉を投げかける。 昨日から、嘘のような出来事が起こりすぎていて。 もう、何を信じていいのか解らないのが本音だった。 カールが誰に何をしたのか。 エドが誰に何をされたのか。 「証拠?これで十分です」 ロイの言葉を受けて、いつもより深い色を湛えた瞳でロイを見ると、ホークアイは右の袖を肘まで捲り上げ、腕を露にする。 そこには。 「…どうしたんだね、それは」 真っ赤な、跡。 誰かに握り締められたような、真っ赤な。 「…昨日、一晩中彼女は私の腕を離しませんでした」 「鋼のが、か?」 「はい」 エドは、ずっと左手で。 ホークアイの腕を掴んで離そうとはしなかった。 否、離せなかったのだ。 おそらく、あの左手は硬直していたに違いない。 「申し上げます、ホークアイ中尉」 「何か?」 「その腕を見る限り、確かに、鋼の錬金術師殿は誰かに暴行を受けているのでしょう」 ハボックは、ホークアイの前に立ち敬礼の形を取るとそう進言する。 エドは、誰かを傷つける、自分に厚意を持ってくれている人間を傷つけるような真似をする子供ではない。 その子供が。 必死にホークアイの腕を掴んだとしていたら。 それ程に、怯えていたとしたら。 それは、間違いなく。 「しかし、その犯人がシェスター少佐である証拠はどこにもありません!」 「そうだな。あの、鋼のが暴行を受けた、と言うのは間違いないのだろう……認めたくは無いがな。しかし、その犯人が、シェスター少佐であるという確証は……」 どれだけ、真実が明かされようと。 ハボックとロイにとって、カールは信用のおける人物であり、そして犯罪とは「無縁」の人間だった。 ……鋼の錬金術師の言葉とカール・シェスターの言葉。 その二つを天秤にかけて思うことは、二人とも同じで。 カールは確かに、少女と関係を持ったがそれは鋼の錬金術師ではなく別の少女で。 鋼の錬金術師に暴行したのは、別の人間だと。 信じて、疑わなかった。 「マスタング大佐。彼女が何者か覚えてらっしゃいますか?」 「最年少国家錬金術師、鋼の錬金術師だろう?」 「そう、彼女は他の子供とは一線を引いて違います。彼女が錬金術師になれた理由は二つ。並外れた集中力と……」 エドが、間違うはずが無かった。 自分の体に傷をつけた人間を。 心に傷を残した人間を。 忘れたくても……忘れるはずが無かった。 「稀に見る高い記憶力です」 ホークアイは、真っ直ぐな瞳でロイを見ると淡々と語る。 「彼女は私に言いました。忘れるわけが無い、と。私は、その言葉を信じます。同じ、女として……自分を辱めた相手を忘れるなんて真似、出来ませんから」 「ホークアイ中尉……」 「マスタング大佐や、ハボック少尉は…シェスター少佐と交友関係が有り、信じたい気持ちがあるのはわかります」 無実だと。 そんな筈はないと。 自分達の知る、親しい人間がそんな事をするはずが無いと。 「わかりますが、そこまで盲目に信じられる理由が分かりません」 カールの言うことは正しい。 ハボックとロイはそう言い続けている。 それを否定しない理由はどこにあるのか。 どんなに「いい人」でも犯罪を犯す。 どんなに真面目な人でも、道を踏み外す。 そんな人間を何人も見てきたはずなのに。 それ、なのに。 目の前の軍属は、そんな自分達の経験を否定していた。 「友人だから後輩だからと、そんな甘い理由で犯人かもしれない、と言う疑いのある男を一度も調べもしないで頭から信用するのは、軍属として失格だと思いますが?」 「……」 二の句がつなげない。 ハボックとロイは返す言葉を失った。 悔しいことに、ホークアイの言葉は正論だった。 確かに、少女に暴行を加えた男として一番怪しいのは、カール・シェスターだ。 被害者である少女の言葉を信じれば。 けれど、反対に何の罪も無い男を犯人だと決め付ける被害者もいる。 それを考えると、否、二人はそれを一番に考えてしまった。 「疑ってください、マスタング大佐。そんな甘すぎる貴方にはついていけません」 「………」 「一度、確かめてください。どちらの言葉が本当で嘘なのか。調べもせずに断定するなんて、貴方らしくありません!」 「……中尉」 痛いところを突かれる。 カールは親しい後輩…自分が信用のおける人物だったから。 調べもしないで、信用した。 いや、今でも信用している。 その甘い部分を、ホークアイに突かれてしまった。 ふ、とロイは一度苦笑すると 「……シェスター少佐。私はこの事件を甘く見ていたようだ。一度詳しく調べようと思う。異存は無いな?」 カールの方を向いて、そう告げる。 「はい。調べて下さい。……僕も身の潔白を立てたいです」 カールはその時初めて、閉じていた口を開いた。 怯えていた様子を最初見せたが、吹っ切れたのだろう。 真っ直ぐにロイを見て、そう言った。 「そうだな…調べて、はっきりさせた方がいい」 カールの言葉に頷いて、ハボックもぽつりとそう零す。 これ以上、親しい人間に疑いを持つのは、はっきり言って苦痛でしかない。 それならば、どんな事が待っているとは言え。 調べて全てを明白にした方が、楽だった。 「なら、とりあえず……」 ロイが重い腰を上げた瞬間。 「カール・シェスター少佐」 ホークアイはカールの方を向いて、その真っ直ぐな瞳でカールを捉える。 「はい…」 「残念ながら、今回の事件は揉み消す事は出来ませんよ?」 「え……?」 微笑みもせずに、ただ淡々と。 ホークアイは断罪の言葉を吐いた。 「ホークアイ中尉?」 「昨日、廊下で皆さんが話していた時、あの場所にいたのは私だけではありません」 ぱさり。 ロイの目の前に数枚の資料を置いて、ホークアイは言った。 「ブレダ少尉、ファルマン准尉、フュリー曹長……。マスタング大佐、彼らの手腕は貴方が一番良くご存知ですね?」 ホークアイ、ハボック。 それに、ブレダ、ファルマン、フュリー。 それは、ロイの腹心と呼ばれる曲者達。 その手腕は、ロイが認めるだけあってかなりのものだ。 「彼らが、調べてくれました。あの場所に彼らも居合わせていたんです」 そして、会議室の会話も それとなく、聞こえてしまったらしい。 ホークアイがエドを連れて会議室から出ると、軍人に配給されるコートを持った三人が廊下に立っていた。 そして、言ったのだ。 あの少佐のことは自分達が調べるから、中尉は鋼の錬金術師の傍にいてあげて下さい、と。 彼らもまた、カールと親しい人間ではなく。 ホークアイの隣で震えている少女を知っている、その少女を信じたい……人間だったのだ。 朝、東方司令部に出勤し、彼らと顔を合わせると。 ……フュリーは泣いていた。 泣いてはいないが、ブレダもファルマンも難しい顔をして。 数枚の資料を、ホークアイに渡してくれたのだ。 「彼らは言いました。このままでは、あまりに鋼の錬金術師が不憫だ、と」 「………」 ロイは、机の上に置かれた資料を見る。 そこには、数件の婦女暴行事件の顛末が書かれていたのだが。 「……これは、間違いないのか?」 「はい、事実です」 三人が、一晩で探してくれた事実。 「他にもまだある様ですが……それに関しては、ヒューズ中佐が調べてくれています」 「ヒューズが!?」 「はい。ヒューズ中佐には事の顛末を昨日の夜、電話で連絡しました」 風呂から上がって、エドが服に着替えている隙に。 ホークアイはヒューズに電話をしていた。 ロイの士官学校の後輩なら、ヒューズも知っているだろうと踏んで。 そこで、返ってきた答えは。 「あいつ……やっぱりやらかしたのか」 その、一言だった。 ヒューズは知っていたのだ。 カールが何をしていたのか。 しかし、その言葉をホークアイは敢えて、ロイには告げなかった。 告げても無駄だと言うことを、知っていたから。 ロイはもう一度、資料に目を通す。 四年前、南方司令部管轄地域にて婦女暴行事件が2件発生。犯人は不明。 二年前、西方司令部管轄地域にて婦女暴行事件が3件発生。犯人は不明。 一年前、中央司令部管轄地域にて婦女暴行事件が2件発生。犯人は不明。 その全ての担当者が。 カール・シェスター。 そして、その報告を受けたのが……シェスターの父親である、シェスター将軍だった。 「……別の地域でで被害にあった女性が、東方司令部管轄地域に嫁いでいらっしゃったので、……フュリー曹長が訪ねて行ったんです。…最初は何も答えてくれなかったようですが、彼女の身の安全を保証すると、教えてくれたそうです。自分を辱めたのは、この男だと」 写真を何枚か見せて、聞いたのだ。 この中に犯人はいますか、と。 最初は、渋って答えてはくれなかった。 しかし、フュリーが「10歳の少女が被害に遭いました」と告げると、泣きそうな顔で写真を一枚選んで。 この男です、と教えてくれたらしい。 それが。 「貴方ですね、シェスター少佐」 全ての事件に関わり。 そして、その被害者に「犯人だ」と断定された男。 ……もう、逃れることは出来なかった。 「嘘だろ、おい……」 ハボックの声が、震える。 「おい、嘘だろ!カール!」 カールの肩を掴んで、叫んだ。 「………やっぱり、子供は失敗だったな……」 トーンの落ちた、カールの声。 「カール…?」 「まさか、あの子が……国家錬金術師になるなんてね」 口の端を吊り上げて。 カールは笑った。 「おい、カール……!」 パシン。 肩を掴んでいたハボックの手を振り払って。 カールは執務室のソファに座る。 「女なんて、簡単に壊せるんですよ。知ってました?ロイ先輩……」 「カール……」 「最初は、士官学校にいた時。娼婦のクセに犯したら泣いたんですよ。頭にきたんで殺しましたけど…」 それまでの「温和で人当たりの良い」表情は形をひそめて、冷徹なそれに成り代わる。 「大体、男に抱かれるのが女なのに。犯したら泣き喚くなんて間違ってますよねぇ…」 くつくつと楽しげに笑いながら、カールはロイを見て。 「犯して泣き喚かなかったのは、あの子だけですよ」 そう、言った。 「あの子が泣かなかったから、他の女も大丈夫だと思ったのに。あの子以外はみんな泣き叫んで…鬱陶しかったなぁ…」 カールの、闇。 いつも、温和で人当たりの良い人間を「演じて」いた、カールの闇。 それは、強い征服欲。 狂った価値観。 女は男に組み敷かれて当然、と言う。 「あの子、最初は抵抗したんですよ?でもね、弟と友達がどうなってもいいのって言ったら大人しくなって……可愛かったんです」 うっとりと、思い出しながら。 「綺麗な肌でね。まだ子供だからやわらかくて。それに、受け入れる部分も綺麗なピンク色で……狭くて。処女幕を破いた時は感動しましたよ」 がちゃん。 安全装置が外れる音がする。 「ホークアイ中尉!」 「……それ以上言ったら、殺します」 「へぇ?中尉クラスが少佐を殺すの?」 「貴方は犯罪者です」 銃口は、真っ直ぐにカールの頭部を捉えて。 その手は、わなわなと震えていた。 「私情を挟みたくありませんが、貴方は許せない。あの子をここまで追い詰めた貴方を許すことなんて出来ない!」 泣き叫んだ。 助けてと。 迫りくる悪夢に怯えながら、女であることを認めきれず、痛みだけを胸に抱いて。 ひとりでたくさんの罪と、消えない傷を背負って。 今まで、生きてこなければならなかった少女。 その原因を作った男。 許せるはずが無かった。 「……殺せば?ま、それが出来るならね……」 勝ち誇ったような、笑顔。 いままで、彼が起こした事件は全て父親が揉み消してきたのだろう。 今回も、そうするつもりに違いない。 ただ、相手が国家錬金術師で。 しかも、大総統にまで覚えがある少女のため、それが出来るかどうかは定かではないが。 「…銃を降ろしたまえ…ホークアイ中尉」 「マスタング大佐!まだ、少佐を庇うんですか!」 「……違う。殺す価値も無いだけだ」 他に、言葉が出なかった。 信じていた人間が犯罪者で。 傷つけた少女は、本当を語っていた。 今まで信じていたのに、裏切られた。 そんな感覚は無い。 ただ、自分の人を見る目の無さに、呆れてしまっていた。 「ひどいですね、殺す価値も無いなんて」 「……殺す価値どころか、何の価値も無い」 茶化すように肩を竦めたカールに、ロイは静かな声でそう言う。 その瞬間。 ガツン! ハボックの拳が、カールの頬に飛んだ。 「ジャン……」 「とりあえず、お前を信じた俺が馬鹿だった」 「そうだね。君は、僕を信じすぎた」 「ああ…そうさ。俺は…どうしようもない、大馬鹿野郎だよ!」 友達だと思っていた。 だから、信じた。 自分達の事を信頼してくれた少女の言葉を否定してまで。 信じていた。 裏切られた、なんて感覚は無かった。 ただ、どうしようもない怒りと拒絶が。 ハボックを支配していた。 「さてと」 ハボックに殴られた頬を撫でて、カールは立ち上がる。 「…これ以上ここにいたら、殺されかねないから……」 毛並みの長い絨毯を軍靴で踏みしめながら、扉の前に向かって。 「また、会えるといいですね、ロイ先輩」 屈託の無い笑顔で、その場所を後にした。 「待て、カール!」 「ハボック少尉!」 ロイは、カールを追おうとしたハボックを止めて。 「……おそらく、我々が行かずともあいつは捕まる。その為の証拠は…優秀な部下達が集めてくれているからな」 扉の向こうが騒がしい。 騒ぎになっているのは、間違いなかった。 「それよりも……」 ぽん、とロイはホークアイの肩を叩いて。 「鋼のの様子は、ひどかったのか?」 沈痛な面持ちで、その顔を覗き込む。 「……ひどい、なんてものじゃ有りませんでした」 過呼吸はなかなか収まらず、抱き締めて背中をさすって。 大丈夫だと繰り返して。 ようやく、落ち着きを取り戻したのだ。 しかし、すぐにホークアイの軍服に怯え震えだし…その震えを止めるのに風呂に入り落ち着かせて。 そして。 悲鳴を聞いた。 大胆不敵で、いつも前を向いていた子供の。 魂の叫びを聞いた。 「私の傍から離れようとしないで、ずっと泣いたままで……私は、あんなエドワード君、見たこと有りませんっ……」 いつも笑っていたから。 大丈夫だと繰り返し、いつも。 笑っていたから。 「ホークアイ中尉……」 ホークアイの瞳から、涙がこぼれる。 「どうして、あの男は……エドワード君を犯したんですか!……どうして、あの子を!」 悔しくて、悔しくて。 涙は、止まらなかった。 「どうして、貴方達は……あの子の言葉を信じてあげなかったんですか!」 傷ついていた。 親しい人間からの拒絶に、傷ついていた。 これ以上傷つくことが無い、そう思えるほどに。 ぼろぼろになってしまっていた。 「すまない……ホークアイ中尉……」 ロイは、自分の不甲斐なさにほとほと呆れてしまう。 どうして、あの時。 言葉を信じてやれなかったのだろうと。 嘘をつく子ではないことを、知っていたのに。 あんな風になってまで、嘘をつく子ではないことを。 本当の事しか言わない子だと。 知っていたのに。 「私は…償いきれない罪を犯したようだな……」 強姦されたと言う少女を糾弾し、壊した。 それは、抗いようも無い、罪。 「マスタング大佐……」 ロイの隣で、ハボックは俯いて。 「俺達……エドワードに許してもらえますかね……?」 搾り出すように、そう言った。 「……おそらく、無理、だろうな」 自分達のした仕打ちに比べれば。 ロイは、涙を零す部下達を見て、自嘲気味に笑った。 辛かったんだ。 あんた達に信じてもらえないのが。 あんた達が、その男を庇ってるのが。 辛かったんだ。 オレの言葉なんて届かないっていわれてるみたいで。 辛かった。 所詮、あんた達も男で。 その上、軍人なんだって思った。 怖かった。 あんた達が怖かった。 初めて怖いと思ったんだ。 あんた達を。 おかしいな。 オレ、あんた達のこと結構気に入ってたのに。 オレ、あんた達のこと好きだったのに。 ……会いたくない。 見たくない。 あんた達が、物凄く。 怖い。 |