違うんだ。 違うんだ。 違うんだ。 言いたかった言葉はそれじゃない。 吐き出したかったのは。 何よりも弱かった己自身。 【天国より野蛮 4 尊いものの在処】 「なぁ、ロイ」 「なんだ」 「この事件だけどさ」 「なんだ」 「間違いなく、犯人はカールなんだな」 「……ああ」 何日も続く、資料の整理。 秘密裏に葬り去ろうとしている事件を洗いなおすなど、滑稽でしかないが、それでも誰かを救えるのならしないよりもマシだ。 「ほら、この前さ、エルリック兄弟の名前を使って研究所に潜り込んだって言ってた馬鹿正直な兄弟がいるだろ」 「お前が担当したあの二人か」 「ああ、そうだ。あの二人の事も事件にはならないんだがな……これ、見てみろ」 そう言ってヒューズがロイに渡した資料。ヒューズが見つけた、セントラルの事件の資料。 「これが何だというんだ」 今ここには、ロイとヒューズの二人だけ。他は、最近この界隈で起きた連続婦女暴行事件の事借り出されている。 「あいつなぁ、発見者だったらしい」 「………え?」 「兄弟の兄貴のほうな、もしかしたら弟も一緒だったかもしれない。カールの被害にあった女性を発見したみたいなんだ」 「…そうか」 「しかも、……この事件、迷宮入り扱いなんだわ」 「犯人不明でか?」 「そ。……見る分にはあいつもかなり修羅場を潜り抜けてきてるみたいだが……カールの事件の事は何があっても耳に入れたらヤバイと思うんだよ」 たった一枚の資料で片付けられた、あまりにも卑劣な事件。 訴えて、迷宮入りで納得するわけがない。 「確かにな」 「あいつが、小さい頃何を思ったか分からないけれど……」 「……」 アルフォンスは、知らなかった。 ラッセルは、知っていた。 同じ年頃の子供のあまりにも違う環境。 壊れなかったアルフォンスは、エドワードが黙っていた所為。 殺気を含んだ気配を放つラッセルは、自分が見つけて通報した所為。 あまりにも違いすぎる二人だけれど、負った傷はおそらく同じもの。 エドワードとは違う、傷を持った二人に、ヒューズは溜息を漏らした。 「カールの野郎、どれだけの人間に迷惑かけてやがるんだ」 「…そうだな」 ふと笑みを浮かべるロイに。 「おまえなぁ、そうやってカールを擁護したい気持ちも分かるが、そんな優しさ捨てちまえ。何せ、お前の娘が被害にあったことと同じなんだぞ」 「私に娘などいない」 「いるだろうが。お前が幸せのために尽力するといった可愛い娘が。普通、他人の子ならあんな言葉言ったりしないって」 「…………」 「カールがやった事は、最低な事だ。一生償っても消えない罪だ。それを本人に分からせるのが俺たちに出来る事だ。擁護することじゃない。それだけは覚えておけ」 「…………」 ロイが言葉をなくしたその時。 「大佐!」 ばしん!と勢い良く開け放たれたロイの執務室のドア。 何事だ、と言わんばかりにロイは眉を顰め扉を見る。 「大変っスよ!」 「何が大変なんだ……」 酷く慌てた様子のハボック。 どうせまた、誰か喧嘩でも始めたのだろう。 ハボックが「大変だ」と訪ねて来る時は、大概そんなどうでもいい事だ。 これが、ホークアイだというのなら別だろうけれど。 そう思いつつハボックの言葉を軽く流しながら書類を見ていると。 「昨日来てたヒューズ中佐を尋ねてきてたガキがまた来て……」 「昨日の子供がどうした」 ヒューズを尋ねてきた子供。 金色の髪と、銀色の瞳の、理知的な空気を纏った子供。 その子供が、まだ納得できずヒューズに会いに来たのだろうか。 それなら、ヒューズが行けばいいだけの話。 大変な事でもない。 「トリンガム兄弟?あの二人が何かしたのか?」 「暴れてるんスよ」 「へ?」 「暴れてますよ!そりゃあもう、思いっきり!」 「……ヒューズ諌めて来い」 「何で俺が…」 「私が言って止められると思うか?私は別段関係のない人間だぞ?」 「それが、あんたじゃなきゃ止められないんスよ!」 ずかずかと毛足の長い絨毯を踏みしめて、ハボックはロイの机に近付き、勢い良く、そう書類が宙を舞う程強く机を叩いて。 「錬金術使って喧嘩をおっぱじめたんスよ!」 「は……?」 東方司令部内で、錬金術を使って喧嘩。 どこの誰が子供と喧嘩している、そう尋ねながら、ふとハボックの顔を見ると。 「ハボック少尉……」 ロイは思わず、困惑した声を零した。 そんなロイに必死の形相で、ハボックは一言。 「エドワードとあのガキが…喧嘩始めたんです」 血反吐を吐くように、そう言った。 それは、いっそ惨状と呼ぶに相応しかった。 錬金術師同士の喧嘩は、既に戦場に近い。 錬金術を使ってしまえば、あたり一面を破壊し、肉弾戦も交える事になれば術師達も流血沙汰になる。 今回は、そこまで行かなかったものの、周りの状況はかなり酷い。 壊れた壁、ところどころに穴の開いた床。抜けた天井。割れた窓ガラス。 そして、そんな状況下でほぼ肉弾戦に近い喧嘩をしている子供が二人。 それを見物するかのように、周りには青や黒の人垣が出来ていた。 ロイは、その光景を目の当たりにして一度目を閉じると。 ぱちん! 大きく指を鳴らして、衝突を繰り返す錬金術師の間に爆発を起こした。 「やめないか!二人とも!」 炎に包まれる寸前、衝突していた二人の錬金術師は後ろに仰け反り、それを回避する。 そして、炎を生み出した張本人であるロイの方をぎろりと睨み付けた。 「ここをどこだと思っている!軍施設だぞ!」 「んな事関係ねぇ!」 赤いコートを翻して、少年は叫ぶ。 叫びはしないものの、もう一人の少年も鋭い視線をロイに返し、邪魔をするなと言わんばかりだった。 「一体、何が原因なんだ……」 その二人の視線を、それ以上の強い視線で跳ね除け、ロイは二人を宥めようとしているフュリーに近寄りそう尋ねる。 「それが…」 「それが?」 「どうも、カール少佐の事らしくて……」 「カールの?」 ロイは、フュリーの言葉に目を丸くする。 どうして、エドワードと昨日の少年がカールの事で喧嘩をしているのだろう。 フュリーに尋ねても、それはわからなかった。 名前の詐称云々なら兎も角だ。 アルフォンスは二人を必死で止めようとしているし、ラッセルの弟もまた兄の服の裾を引っ張って止めようよとしていた。 真っ向からのぶつかり合い。 弟達の声も聞こえない。 二人の間に何があったのか。 「鋼の!」 ロイが勢い良く叫ぶ。 「何だよ!」 「少し落ち着き差なさい」 「嫌だね」」 「錬金術師同士の喧嘩がどれだけの被害を出すと思っている。君ならわかっているだろう」 ロイの言う事は、間違ってはいなかった。 分かっているけれど、認めることが出来ない。 エドワードはただ強い視線をロイに向けて、口を噤んだ。 「そして、君」 くるり、とエドワードに背を向けてロイは少年の方を向いた。 「錬金術を使うのなら分かるだろう。錬金術を使った喧嘩がどれ程に酷いものか」 「…………」 ロイの言葉に、少年は何一つ返さない。 ただ、エドワードと同じように鋭い視線を返すだけ。 ロイは、傍にいたヒューズに頼み、完全とは言えないけれど人払いをすると。 「……カール=シェスターの件で喧嘩しているらしいな」 少し小さな声で、少年に話しかけた。 「!」 「私は、ロイ=マスタング。階級は大佐だ。この事件を一任されている。言いたい事があるのなら、私に言いなさい」 ロイは、上の立場としての威厳を保ち、淡々と少年にそう告げる。 その言葉に。 「……そう。じゃあ、貴方に言えば早かったんですね。俺が望んでいるのは、カール=シェスターへの断罪。それだけです」 落ち着いたのか、少年はゆっくりとロイを見て、きっちりと自分の意思を伝えた。 自分達への断罪ではない。 あの、この少年に伝わるはずのなかった「犯人」への断罪。 ロイは、一瞬考えて。 「……検討しよう」 そうとだけ零した。 「検討して欲しいわけじゃありません。今ここで、貴方の意見が聞きたい」 強情な、否、真っ直ぐな子供だった。 その瞳は、エドワードの瞳と良く似ている。 「だから、言ってるだろ。無理だって」 返答に詰まっていたロイの代わりと言わんばかりに、エドワードが溜息混じりにそう呟いた。 「…お前が、どうしてそんな事が言えるんだよ」 「どう考えたって無理だろ。……相手は少佐クラスの人間だ。裁くのが難しいのは分かりきってる」 ラッセルはエドワードの言葉に、一瞬口を噤み、そして。 「!」 エドワードの顔を渾身の力で、殴った。 「ってぇな!」 「お前に何が分かるんだよ!お前に……お前なんかに!」 「わらからねぇよ!お前の気持ちなんか!」 殴られた事で切れた口端から伝う血を拭って、エドワードは少し上のラッセルの顔を睨みつける。 「分かってもらわなくていい!…分かってもらおうとは思わない……。それでもお前の言ってる事は第三者の意見だ」 「……何だよ、それ」 「この犯罪とは何一つ関係ない、第三者の意見だ!お前は分からないだろ……!」 「そこまでだ!」 殴り合いの喧嘩を再び始めた二人の両腕を掴み、ロイは物凄い声量の声を飛ばした。 「二人とも、こちらに来なさい!ここでは目立ちすぎる」 人払いをしたとは言え、完全では無かった。 この場所で、秘密裏に処理しようとしている事件の事等話された時には、隠しようが無い。 ロイの意を汲んだのは、エドワードだった。 ふっと、腕から力を抜き、ロイの指し示す方向、ロイの執務室の方へ歩き始める。 そのエドワードにつられる様に、ラッセルもその後を追って歩き始めた。 理由は何にせよ、出来る事なら事を荒立てたくないのは二人とも同じ事。その二人の背中を見ながら、ロイは深く溜息を付いた。 正しい道を選ぶ事が かならず正しいなんて限らない そんな事わかっていた筈なのに 止められなかった 衝動に従った ただ、拳に込めた思いが 前に向かって叫んでいた その叫びが、誰かを傷つける事を知らずに |