守りたいと願うのは
 守りたいと叫ぶのは
 傲慢な己自身



 守る事なんて出来ないのにね





 【天国より野蛮 3 指先から失った物】





 それは、偶然のが生み出した奇跡とした言いようが無かった。
「兄さん」
 沈黙に耐えられず、フレッチャーは思わず兄を呼ぶ。
「……ごめんな、フレッチャー」
「兄さんの所為じゃないよ。僕だって自分で選んだんだから」
 そのフレッチャーの言葉に、ラッセルは空を仰ぐ。
 朝は少し曇っていたけれど、今はその片鱗も無く絵の具で塗ったように青色が広がっていた。
 それが、気分を余計に沈ませる。
 その時。
「……ラッセル=トリンガム?」
 名前を呼ばれる。
 思わず振り返ると、そこには。
「あ……」
 見覚えのある、青銅の鎧が立っていた。





 夕暮れ近い公園は、人も疎らだった。
 そこに、金髪の少年二人と青銅色した鎧が一体。
 古ぼけた石のベンチに腰掛けて、空を見上げている。
「……初めまして、って言った方がいいのかな」
 内に篭るような声で、アルフォンスはぽつりと零した。
「え?」
「だって、ボク……君とはあんまり話した事ないし」
 ゼノタイムで初めて出会った時、ラッセルと殆ど言葉を交わさなかったアルフォンス。
 同じ年だと知ったのは、ゼノタイムから離れる為に乗った汽車の中だ。
「そう言えば、そう、だな……」
 ラッセルは両手を組んで膝の上に置くと、アルフォンスと視線を合せる事無く俯く。
 確かに、会話らしい会話をしたのはアルフォンスの兄であるエドワードとだけだ。
 目的の為に偽名として選んだ名前の、罪を下して欲しいと願う、その、本当の持ち主。
 破天荒で目的の為なら手段を選ばない。悪名を轟かせる理由が、何となく理解出来てしまう人間だった。
 そのエドワードとは、戦ったし助けてもらったしで少なからず交流があった。
 今回、この場所を訪れたのはその恩に報いたかったのもあるし、自分の罪を清算したいものもあった。
 だが、アルフォンスは、その弟。
 自分とは、殆ど関わりを持たなかった。
 形は厳つい鎧だが、兄よりも遥かに温厚で社交的なアルフォンスは、何故か弟のフレッチャーと交友を深めていた気がする。
 とんでもない兄貴を持つと苦労する、と言う部分で共感できるものがあったからだろう。
 遠目から見て、でかい鎧、と言うイメージしかなかったのだが、それは、こうして話してみてもなんら変わりはしなかった。
「…………」
 会話が続かない。
 黙ってしまったアルフォンスとラッセル。そして、その沈黙に耐え切れなくなったのは。
「僕、何か飲むもの買って来るね」
 二人の顔を見て、フレッチャーはそう言う。
「フレッチャー……」
「だから、僕が帰ってくるまでに二人で話をしておいてね?」
 フレッチャーは、聡い子供だ。
 二人の会話は、腹の探りあい。そんな感じがしてしょうがなかった。
 それは、多分間違いではなく。
「じゃ、言ってくるね」
 困ったように笑ってフレッチャーは、その場所を後にした。
「参ったな……」
 弟の気遣いに、ラッセルは肩を竦めてアルフォンスを見る。
 ギ、とくぐもった金属音を響かせて、アルフォンスもまた隣のラッセルを見た。
 牽制、と言うのが正しいのかもしれない。
 エドワードほど単純に出来ていない……、否、第三者から見たエドワードほど単純に出来ていない二人は会話の端々から相手が何を考えているのか見定めようとしていたのだ。
 それを、子供特有の純粋さでフレッチャーは見破ったらしい。
 溜息ではないが、アルフォンスはがしゃん、と音を立ててそれに似た仕草を見せると。
「……どうして、イーストシティに?」
 少しだけ低い声で、率直に聞いた。
「別に……」
 アルフォンスの質問を、ラッセルは軽く受け流す。
 まさか、強姦事件の犯人をぶん殴りに来た、とは答えられないだろう。
「……ゼノタイムから来てるんだったら、よっぽどの事だよね?」
「そうでもないさ。たまたまだ」
「たまたまで、東方司令部から出てくるの?」
「理由なんて、いくらでもあるさ。財布を落としたのかもしれないし、道を聞きたかったのかもしれない」
「……そう。そんな回りくどい言い方をしなきゃならない程、人には言えない理由って事なんだ」
「…いい性格してるな、お前」
 表情のない鎧の面で淡々と話しかけるアルフォンスに、ラッセルは自分に近いものを感じて口の端を吊り上げて笑った。
「そんな事言われたの初めてだよ」
 その笑い方に、アルフォンスはやはり淡々と言葉を返す。
 実際、いい性格をしていると言われた事はない。
 エドワードの影で霞んでいるだけなのだが、自分の性格も大概だとアルフォンスは思っていたけれど。
「……エドワードも大概性格が悪いと思ったけど、お前も大概だな」
「そりゃまぁ……ボクも兄さんと同じくらい修羅場を潜り抜けてるからね……って、君も大概いい性格だと思うけど?」
 誰かに似ている、と思った。
 人をくった様な性格。
 人当たりの良い振りをしながら、その中にはかなり大きな野望を秘めている。
 目的の為なら手段を選ばない。
 どこかの、誰かに。
 ただ、その人物より遥かに純粋に出来ている気がしたけれど。
「俺もそんな事言われたのは初めてだよ」
「へぇ。じゃ、周りにいる人間に人を見る目が無かったんだね」
「お前こそな」
 初めての感覚だった。
 アルフォンスにとっても、ラッセルにとっても。
 今まで同じ年の人間が回りにいなかった所為か、こんな風に本性を出して話す事などそうそう無かった。
 アルフォンスにはエドワードがいたけれど、それは「兄弟」であり「他人」では無かった。エドワードは自分の性格がかなりいい性格だという事を知っていたが、こんなやり取りをした事は今まで一度も無い。必要が無かった、とも言うけれど。
 同じようにラッセルもまた、フレッチャーと言う弟がいたけれど、弟は保護の対象でありこんな感情を表に出して話すような相手では無かった。
 対等の人物。
 年齢も、錬金術の腕も、何もかも。
 初めて「等身大」でぶつかれる人物との遭遇。
 それは、お互いに未知の感覚だった。
「……このままじゃ、らちがあかないな…」
 いつまで経っても、一番気になる事を聞けない状態。
 おそらく、このままのらりくらりとやっていても何一つ事態は変わらないだろう。
 ラッセルはアルフォンスを見上げて。
「お前達は、俺達を訴える気は無いのか?」
「え?」
「俺とフレッチャーだ。お前達の名前を騙った俺達を訴える気は無いのか?」
 本当ならば、訴えて欲しかった。
 ゼノタイムの人たちは罪を犯した自分達に優しくて、それだけじゃない、生命の水ではなく植物の成長を助ける事に尽力を尽くしてくれと幼い兄弟に頼んでくれた。
 その優しさが、ラッセルには辛かった。
 罪と分かっていて、それを裁かない人たちが非難しない人たちがくれる優しさが辛かった。
 もう二度と欲しくないと思っていたのに。
 罪を犯すことに躊躇いは無かった。それ相応の罰も予測していた。
 でも。
 訪れた結末はあまりにも優しくて。
 耐えられなかったのだ。
 その言葉に、アルフォンスは。
「…………そんな事、しないよ」
「どうしてだ?お前達の名前を騙ったんだぞ?」
「うん、最初は悔しくてしょうがなかった。だけど、ボクらにとってどうでもいいことだから」
「どうでも良くないだろ?名前を利用されたんだぞ?」
「そのことで、僕らに何か被害はあった?あの町の人たちは最終的にボクらを受け入れてくれた。それで十分だと思うよ」
「………」
「君たちがまだそのことでわだかまりを持ってるなら、……ボクらに何か非があるって思うなら、一生忘れないで。それだけでいい」
「そんなの……」
「この言葉は受け売りだけどね。本当にそう思うから」
 アルフォンスの言葉に、ラッセルは思わず爪を噛んだ。
 あの時と同じだ。
 罪と罰と傷と、何一つ分からないで、人を傷つけた。
 笑えない人に、笑わせることで、大きな傷を作ってしまった。
 あの時と同じ。
 悪い事をしたのに、誰もそれを咎めない。
 あの時と同じ。
「………ラッセル?」
 黙りこんでしまったラッセルの顔を、アルフォンスはその鎧の面で覗き込む。
 ラッセルは、そのアルフォンスに何もいう事が出来ない。
 アルフォンスの言葉は、あまりにも優しくて残酷だ。
「人間ってね……」
「………?」
「自分の罪に押しつぶされそうな時があるんだ。だけど、それでも飲み込まなきゃいけない罪がある。自覚しなきゃいけない罪がある。それを辛いけどわかっていればいいと思う」
「アルフォンス………」
「ボクにだって、人に言えない罪がある。誰にだってあるんだ。それを裁いてもらったほうが楽なのかもしれない。だけど出来ないから自分で贖うんだ。それしか方法が無いから」
「…………」
「ラッセル、君を許してないわけじゃない。ただ、君が罪の意識を持ってるなら忘れないで欲しいだけだよ」
「…そんなに、罪って簡単なものじゃない」
「知ってるよ」
「……知ってるなら」
「裁いて欲しいの?楽になりたいの?」
「!」
「そんな甘ったれた事言うなら、ボクらは一生君を許さないかもしれない。それでもいいの?」
「…………」
「罪は背負うものなんだ。手放しちゃいけない」
 アルフォンスの言葉は重い。
 淡々と抑揚の無い声で語られる言葉は、一つ一つが驚くほど重い。
 その言葉に、ラッセルは心臓をつかまれた思いをした。
「……ずいぶんと、偉そうに言うんだな」
「だって、罪を犯した人間は自分以外救えないでしょ」
「お前の罪は、そんなに重いのか?」
「………重いよ」
「俺たちよりもか」
「さぁ、それはどうだろう。罪なんてひとぞれぞれだから」
「……そうか」
「そうだよ」
 ラッセルは、一瞬だがアルフォンスには適わないのかも知れない。そんな事を考える。
 救いを必死で求めていた自分とは違う。
 救いを探している最中なのだと、思い知らされた。
「そう言えば」
「何?」
「お前がいるってことはエドワードのヤツもここにいるんだろ」
「うん」
「何か、用事でもあったのか」
「それ、は……」
「人の用事を聞きだしておいて、お前は答えない、じゃ、等価交換にならないんじゃないのか?」
「…………」
「言えない、用事か?」
「………この街で連続婦女暴行事件があったでしょ?」
「ああ……」
「それとは直接関係ないんだけど、ボクと兄さんも昔似たような事件に遭遇してたから、たまたま別の仕事で立ち寄ってそのまま後処理の手伝いしてるだけ、だよ」
「お前も、か?」
「え?」
「お前も、ああ言う事件に遭遇したのか?」
「前にね……そう言う君も?」
「………ああ」
「そう……」
 罰が軽い所為で頻繁に起こる事件。
 連続で起こる事は少ないが、強いものが弱いものを甚振るのはよくある話だ。
「なあ」
「何?」
「お前達の時は、犯人、捕まったのか?」
「……駄目だった。迷宮入り、だよ」
「そうか、じゃぁ、俺と同じだな」
「ラッセルも?」
「ああ、俺が発見した事件も迷宮入りだ……」
 お互いに、その胸の中にある傷は良く似ていた。
「……なあ、アルフォンス」
 ゆっくりとラッセルが、アルフォンスの名前を呼ぶ。
「もしも、犯人が分かったとしたら……殴りたくないか?」
 吐き出すような言葉。
 それは、切実な思いでありラッセルを動かしている衝動。
 殴りたいと言うよりは、殺したい、と言うべきか。
 幼いラッセルが、遭遇した事件。
 その時は力なんて無くて。
 何故迷宮入りになったのかなんてわからなくて。
 何故、大好きな人がいなくならなきゃいけないかなんてわからなくて。
 ただ、小さく蹲って泣く事しか出来なかった。
 今は、ただ、その犯人が分かるのなら殴りたいだけだけれど。
「俺は殴りたい。どうしてそんな事したのかって。強姦なんて、最低な事……どうしてしたのかって」
 ぐ、と拳を作ってラッセルは空を見上げる。
「裁きたいとかそう言うんじゃない。ただ、俺の手で……」
 殴りたかったんだ。
 ぽつりと泣き言のように零すラッセルに、アルフォンスは、がしゃんと音を立てて俯くと。
「殺してやりたいよ…、ホントは」
 搾り出すように内に篭った声で、そう零した。
「アルフォンス……?」
「出来るものなら、殺したいよ……この手で」
 人の温もりすら感じられないこの手で。
 困惑した表情を浮かべるラッセルを余所に、アルフォンスはただ泣きそうに笑っているエドワードの事を思い出していた。





 フレッチャーは思わず声をかけていた。
「エドワードさん?」
 その声に、名前を呼ばれたであろう人物はくるりと振り返る。
「フレッチャー……?」
「ああ、やっぱりエドワードさんだ」
 両手に三つのカップを抱えたフレッチャーが、とてとてと振り返った赤いコートの人物──────エドワードに歩み寄った。
「お久しぶりです」
 フレッチャーがぺこ、と頭を下げお辞儀をすると、小さく「おう」と返事をしてエドワードはその冷たい鋼の義手でフレッチャーの頭を撫でた。
「?」
 意外な反応、と言うべきか。
 アルフォンスの傍にいたエドワードは、どちらかといえば年相応に見えない少年だった。
 自分の兄と対峙していた時も、同じく。
 それが、今はどこか違う空気を纏っている。
 大人びた、否、どこか冷めて壊れそうな。
 笑っているのに、前とはどこか雰囲気が違っていた。
「フレッチャー……?」
 一向に言葉を発しようとしないフレッチャーに、エドワードは首を傾げる。
「あ、すいません……」
 名前を呼ばれて、フレッチャーは慌てて我に返った。
「どうして、こんなところに?」
「兄さんが、イーストシティに用事があって……それで」
「ラッセルの?」
「はい……」
 エドワードは、どんな用事とは問わなかった。
 それは、困ったように笑うフレッチャーの顔を見た所為かもしれない。
 こんな幼い子供が零す、この笑顔をエドワードは嫌と言うほど知っているから。
「そうか。ま、何でもいいけど。早く帰った方がいいぜ。雨が降りそうだから」
 湿気を帯びた空気が、じわりじわりと忍び寄ってきている。
 エドワードの言葉に、フレッチャーは笑って。
「はい。それじゃ、また」
 軽く会釈をして、走り出す。
 多分、自分がこの場所にいたら……エドワードの身体が持たない気がした。
 最初に雰囲気が違うと思ったのは、目に見えて顔色が悪かったからだ。
 このままここで長話でも始めてしまったら、エドワードは倒れるかもしれない。
 無理をして、倒れる寸前のラッセルに良く似た顔。
 その顔に、良く似ていた。
 ……確かに、雨が降りそうだ。
 フレッチャーはエドワードの零した、見覚えのある……そう、記憶の奥底にある「被害者」の女性が最後に零していた笑顔と同じ笑顔を脳裏に焼き付けながら、ラッセルたちの下へ急いだ。





 泣きたかった。
 喚きたかった。
 身体全てで。
 呪いたかった。
 殺したかった。
 この手で。
 人をこれほどに憎める事を、初めて知った。
 悔しくて。
 苦しくて。
 ただ、泣きたくて。
 立ち止まった自分に、道は見えなかった。






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