もう一度、大きな声で笑う為。
 もっと大きな幸せを掴む為。
 どんなに馬鹿馬鹿しい事でも、本気で相手してきたんだ。



 この時を迎える為に。





【Fantasista 最終章 どんな現実さえも包む未来ならある】





 ざわざわと人々のざわめきが聞こえる。
 エデンの中枢部、黄金の間と称されるフロアは着飾った人々と青色の軍服、そして疲弊しきった黒い衣装をまとった名のあるテロ集団で埋め尽くされている。
 一種、異様な雰囲気だった。
「ここで、ユートピアの密輸があったという話は?」
「ええ、以前から有りました。けれど、それがいつ行われるかどうかは…」
 エデンの責任者が、しどろもどろになりながら軍人の質問に答える。おそらくは、責任者に罪はない。エデンを利用した人間が他にいる筈だ。
「で、どうしてこんな事態に?」
「わかりません…突然、黒い服を着た集団が入ってきまして…」
 軍人にしても訳がわからないだろう。
 彼等に与えられた任務は「ユートピアの密輸の瞬間を押さえる」のであって「テロ集団の殲滅」ではない。
 故にここに来た軍人は屈強とは言い難い、どちらかと言えばデスクワークから借り出された感覚のものが多かった。
「隊長」
 どうやらその軍人の部下らしい人物が敬礼をし話を割ると、軍人はそちらを向く。
「どうした」
「関係者らしき人物を集めました」
 そう言って連れてこられたのは、煤に塗れた三人。
 一人は火薬を爆発させた、このテロの首謀者。そして、「エデン」の名を騙った何ものかに雇われた国家錬金術師―鋼鉄のエルリック兄妹―だ。
「失礼だが、君たちは?」
 黒い装束の男は気を失っていて、話にならない。間違いなく黒い太陽のものであるのは間違いないが、それとは別に歳若い二人はこの場にそぐわない。
「エドワード・エルリックです」
「アルフォンス・エルリックですわ」
 顔についた煤を払いながら、きらきらとした笑顔を作り二人は軍人を見る。金色の髪は煤に塗れているが、その美貌を翳らせるものではない。
「おお、あなた方があの有名な鋼鉄のエルリック兄弟ですか」
 軍人は目を輝かせて二人を見る。
 この辺りを管轄する軍部はどちらかと言えばシャングリラの外を警備している為、僻地に勤めているに等しい。その軍人達にとって中央で名を轟かせる二人はある意味有名人なのだろう。
「しかし、アルフォンス・エルリック殿がこんなに可憐な少女だったとは思いもしませんでした」
「まぁ、可憐だなんて」
 頬に手を当てて偽アルフォンス―フォンシーは、肩を竦める。
 さっきまで怯えていた人間とはとても思えない。それは偽エドワード―エディも同じ事だけれど。
 いつものようにすっと背を伸ばし、軽く前髪を流すと煤に塗れた頬をハンカチで拭うと、人当たりの良い笑みを浮かべる。
「お二人は、何の任務でこちらに?」
「それが、どうも利用されていたようで」
「利用?」
「ええ、マフト湿原にあるユートピアの輸送の護衛、と言う任務だったのですが…」
「ユートピア! それはマフト条例によりこの場所から持つ出す事を禁止されている筈の植物ですぞ」
「その様ですね。ただ、研究目的で一鉢だけ中央に運ぶとの事でしたから…」
「研究用? そうなると鋼の錬金術師殿は植物にお詳しいので?」
「まあ、そうなりますね」
「素晴らしい! 流石は国家錬金術師。博学でおられる」
 褒めれば増長する典型的な例が今、ここに存在していた。
 田舎の軍人からすれば、国家錬金術師は羨望の的だ。その事を、エディもよく分かっている。
「では、お二人は巻き込まれてしまったと」
「そうですね…こんな事になるとは思っても見ませんでした」
 こんな事、とは言わずもがなテロ襲撃である。
「しかし、良くお二人でこれだけの人間を倒しましたね」
「ええ、まぁ…」
 その辺は思わず言葉を濁してしまった。壁の向こう側で行われていた事は、壁の向こうの人間しか知らない。壁から隔離された殆どの人間は、鋼鉄のエルリック兄妹がやったと信じている。まさか、このフロアで密やかに姫と呼ばれていた少女と、王子と称された三人がやったとは信じないだろう。
「文武両道! 素晴らしいの一言です!」
 それはもう、国家錬金術師になるくらいですから。と言いたいのはその場にいる国家錬金術師三人に違いない。
「…話はそれてしまいましたが」
 こほん、と咳払いをして軍人は二人を見ると。
「いつ、ユートピアを移送する予定だったのでしょうか?」
「今日、です」
「今日?」
「ええ、こんな事にならなければ、今日の内に移送してしまうはずでした」
「それは危なかったですな」
「え?」
「どんな理由があるにせよ、お二人に下った任務は偽物ですから、ユートピアを移送してしまえば罰せられる所でした」
 その言葉に、思わず二人は息を飲む。
 その時、過ぎったのはエドワードの言葉。
 てめぇらは利用されてるだけなんだよ。
 もしも、このままユートピアをこの場所から離していれば、とんでもない事になる所だった。それを知るほど、二人は賢しくない。
「密輸の片棒を担いだ、と言われるところで……どうされました?」
「いえ、何でも」
 エディの顔色が悪くなる。それはそうだろう。密輸の片棒を担いだとなれば、この先の人生お先真っ暗だ。
「あのー、隊長」
 空気の読めない軍人が一人、かつかつと近付いてくると。
「あの四人はどうしましょう」
「四人?」
「ええ、でっかい壁の中にこのお二人と一緒にいたみたいなんですが」
「一応事情を聞いておけ」
 あの四人とは、歩く人間凶器ご一行様である。
「彼女達は関係有りません!」
 そこで声を荒げたのは、エディだった。
「彼女達とは、あそこの方々の事で」
「ええ、彼女は…卑怯にも黒い服の人間たちに人質として捕まえられただけですから」
「そうですわ、後の三方は人質になった私を助けて下さろうとしただけですわ!」
 二人が必死の形相である事ない事を、軍人に吹き込んでいる。特にエディは気にしていた。自分達が偽者だとばれているのではないのかと。妙に勘だけはいいエディは察知していた。あの四人が只者ではないと。正直に言えば、あんな滅茶苦茶な錬金術を見た事が無い。両手を合わせるだけで錬成できるなんて、初めて見たのだから。
 ここで出てきて余計なことを言われても困る、と必死になっておそらくそこで一番偉い軍人に得意の話術で全く違うことを説明していると、「あんのー」と間延びした声で少し年老いた軍人が割って入ってきた。
「どうした?」
「この兄ちゃんが、話があるそうで」
 そう言って年老いた軍人が連れてきたのは、誰であろう、ラッセル・トリンガムその人である。
「君は?」
「ラインハルト様! どうなさったんですか?」
 軍人が出るより先に、ぐいっとフォンシーが前に出た。
「少し、こちらの方と話をしたくってね」
 その話とは先ほど繰り広げられた戦闘の事だろうか。焦るエディを他所に、うるると涙を溜めたフォンシーがラッセルに縋りついた。
「申し訳ございません。私が、人質になったばっかりにラインハルト様にもご迷惑を…」
「迷惑かけたと思うんなら、もういい加減そういうのやめにしろよ」
「え?」
 フォンシーの知らない、ラッセル。あの戦いの時垣間見たラッセルの姿。
「一番偉い人ってのはあんたで間違いないのか?」
「何だね、君は」
「失礼、自分の名前はラッセル・トリンガムです」
 はて、どこかで聞いた名前だ、と軍人は首を傾げる。聞いたけれど、脳の片隅に追いやった名前で思い出せない。
「一般人が何か?」
「今日は別の任務でこちらに赴いていましたが、黒い太陽がこちらのエデンになだれ込んできたのでそれを阻止したのですが」
「ほう、一般人の君…トリンガム殿が阻止したのですかな?」
 ふん、と鼻で笑う軍人にラッセルは少し口角を上げた。
「ええ、まあ。それはいいんですが、ユートピアは無事ですか」
「それを君に言う必要はないかと思うが?」
 軍人は淡々とそれはもう一般人に言うかのごとく冷たくあしらっている。そんな中、フォンシーが目を丸くして。
「ラッセル・トリンガム……?」
 初めて聞いた名前に驚いていた。その隣で、どこかで聞いた名前だが思い出せないエディが腕を組んで考えている。
「こっちも遊びじゃないんですけど」
「だからね、君。君に説明している必要は」
「失礼ですが、あなたの階級は?」
「少尉だが、何か?」
「じゃあ、あんたは俺より下って事だ」
「…鋼鉄の錬金術師殿が君達を巻き込まないでくれと言っているのに、どういうつもりで首を突っ込んできている、小僧」
 どうやら、この軍人は長いものには巻かれるタイプらしい。
 ぎろりと睨みつける軍人にラッセルは、溜息を吐くと。
「鋼鉄の錬金術師は知ってても、こっちは知らないらしいな」
 ちゃらりとベルト通しにつけていた銀時計を片手に持つと。
「俺の名前はラッセル・トリンガム。二つ名は森羅。ユートピアの密輸に関して調べに来た人間だよ」
「!」
 軍人がぴよんと背を伸ばす。それは仕方が無い。ラッセルが握っていたのは、国家錬金術師だけが持つことを許された銀時計。
「森羅の錬金術師!」
 驚いたように声をあげたのは、エディであった。
「お兄様?」
「つれないねぇ、鋼の、鉄の」
 してやったり。ラッセルが、にやりと口角を上げて笑ったのは、仕方ない事。
「同じ懐刀と呼ばれた同士に」
 たらたらたらたら。
 エディの顔が真っ青になり、冷や汗が伝う。
「お、お兄様? どうかなさったんですか?」
 その様子に、フォンシーも青くなりながら兄の袖を引いた。
「森羅の錬金術師とは露知らず、ご無礼の数々をお許し下さいー!」
 ジャンプをしたあと華麗に土下座した軍人を見下ろして、ラッセルはまた溜息を一つ。
「いや、それはどうでもいいんだけど」
 軍人とラッセルのやり取りを見ていた偽エルリック兄妹は、こそこそと。
「お兄様。森羅の錬金術師ってどういうことですの?」
「鋼鉄の錬金術師と並んで有名な錬金術師だ。ロイ・マスタングの懐刀の一人で…」
「え……」
 その言葉を聞いた瞬間、ぶわっとフォンシーの額にも汗が伝う。
 二人は、一応軍人の家に生まれたが、軍人になれなかった一般市民だ。ただ、父親が高級取りであったお陰で散々贅沢をしていたが、父親の戦死と共に生活が普通の水準になり、その普通に耐え切れなかった為、必死で錬金術師を習得して(とは言え、物質の色を変える程度)、エルリック兄弟の名前を騙っただけである。
 今回も、ただの花の警護、しかも用心棒付きと言う美味しい条件に飛びついただけに過ぎない。まさか、こんな僻地に鋼鉄のエルリック兄弟の知人、しかももっとも近しいと思われる人間が来るとは思わず、顔色を青色から土色に変えてしまっている。
 国家錬金術師を名乗ったとなれば、それなりの罰は免れない。
 どうしよう、どうしましょう、と二人が脂汗を流していると。
「こちらに鋼の錬金術師がいらっしゃると言うのは本当でしょうかー!」
 黄金のフロアの入り口、息を切らした青い服の軍人が大声で叫んだ。
 名前を呼ばれたエドワードは気付いていないのか、フレッチャーの頭を撫でている。アルフォンスも楽しそうにそれを見守っている。気が付いたのは、額を地面にこすり付けている軍人を見ながらどうしたものかと考えあぐねているラッセルで。
「フュリー少尉…?」
 慣れしたんだその名前を呟いた。
 それに気付いたフュリーはたたたたとラッセルに近付くと。
「ラッセル君! どうしてここに!」
「いや、俺はマフト湿原に用事があって…て言うか、任務なんだけど、フュリー少尉こそ何でここに!」
「エドワード君達が、ここにいるって中将から聞いたから来たんです!」
 そう言えば、エドワードはロイと連絡を取っていた。この事件の裏側にゾルゲが関わっているという事を伝えるのと、その動きを封じる為に。
 今ここでゾルゲの息のかかったものが動き出していないという事は、ロイの策が成功したという事だろうが、それにしても直接部下を送り込むような話ではない。しかも、相手は武闘派ではなく、知略派のフュリーだ。何でこんなところにとラッセルが思うのはしょうがない。
「鋼の錬金術師殿なら、こちらに」
 フュリーを案内してきたと思われる軍人が、すいっとエディを指差す。それをみたフュリーは顔をそちらに向けてから疑問符を脳内に浮かべた。
 当たり前である。そこにいるのは、エドワードの名を騙った別人なのだから。
「鋼の、錬金術師……?」
「フュリー少尉、色々とあって、まあ、後で話すよ。それにしたって何でここに」
「急ぎの用なんです! エドワード君とアルフォンス君、それに君達兄弟にも…」
「俺達にも?」
「そうです。あと、リゼンブールとかラッシュバレーとか…」
 幾つもの場所をつらつらと上げながら、フュリーは眼鏡の位置を何度も直している。
「ラインハルトさん、どうかなさったんですか?」
 困ったような素振りを見せるラッセルに話かけたのは、給仕係の女性だった。もちろん、壁の向こう側にいた人物である。
「どこか、個別の部屋を用意させましょうか?」
 彼女は、給仕係の長である。支配人が事情聴取されている今、ここを仕切るのは彼女しかいなかった。彼女がラッセルの名前を覚えていたのは、彼女が担当している部屋の主、フォンシーの口から良く出ていた名前だからである。
「いえ、大丈夫だとは思いますが…」
「ラインハルト?」
 その名前に、フュリーが首を傾げた。
「ラインハルト・ヒューズさん、ですよね?」
 同じように首を傾げる給仕の女性は、ラッセルの顔を見る。
「アルフォンス様に言われた通り覚えたつもりでしたが、間違えていたらすみません。貴方がラインハルト・ヒューズさんで、あちらの金髪の男性がアレクサンダー・ハボックさん、少年がフレードリヒ・ホークアイ君、それから女性がエリザベス・マスタングさんだったと思ったのですが…」
 困ったようにそう言う給仕の女性に、それで大丈夫ですよとラッセルは笑う。
「ラッセル君?」
「まぁ、色々と事情があるんだ、フュリー少尉。それより…」
 ここに来た理由を…と問いかけようとした瞬間、がしっとフュリーに肩を掴まれた。
「あの、一つ聞きますが」
「はい」
「ここで、何があったんですか?」
「いや、ちょっと黒い太陽と一悶着ありまして……」
「まさか、みんなで戦ったとかそんな事言いませんよね?」
「その、通りです…」
「じゃあ何ですか? ここにいる死屍累々と化した状況を作ったのは君たちだと…」
「それ以外の誰がこんな大規模なテロ集団を殲滅できると思います?」
「エドワード君!」
 その瞬間、フュリーは風になった。風になって、ラッセルの元を離れると、給仕の女性が指した先にいた人間達に突進していく。
「あの、森羅の錬金術師殿?」
 まだ床に額をこすりつけていた軍人が顔を上げると、ラッセルはまたまた溜息を一つ付いて。
「ちょっとこいつら借りていきますわ」
 と脂汗を流す偽エルリック兄妹の背中を押した。





「ま、どうせ金欲しさかなんかだろうけど」
 ラッセルが一番最初に発した言葉はそれだった。その言葉に、エディとフォンシーの二人は真っ青になっている。
「騙る人間を間違えたよ、お前ら」
 分不相応なのは一目瞭然だ。こんなド田舎だからこそ通じた嘘。ある意味、自分と同じだ。
「あの二人を名乗るって事は、それなりに覚悟がいる」
「覚…悟?」
「そうだ。あの二人の名前は、お前らが思っているよりずっと重い。あの二人の光しか知らないまま名乗ると痛い目に会うぞ」
 今日で分かったろ。
 人質にとられ、命の危険に晒されたこと。それは、エドワード達にとってはなんて事の無い事かもしれない。だが、一般人にしてみれば、恐怖そのもの以外の何ものでもない。
 首を縦に振るフォンシーとは裏腹に、エディは固まったまま動けないでいる。おそらくは、これからの罰の事を考えているのだろう。
「多分、あいつ等はお前達を刑罰にかけようとはしない。それだけは安心しろ」
「どうして!」
 震える声でエディは叫んだ。
「どうして? お前らを利用したからだよ」
「え?」
「お前達がここで名前を通したお陰で、俺達は任務を遂行することが出来た」
 お前らを隠れ蓑にしたんだよ。
 そう言って笑うラッセルに、二人は目を丸くさせる。
「ユートピアの確保ってのは、俺に下された任務だ。まさか、偽の任務で偽のあいつ等がいるとは思わなかったけどな」
「ラインハルト様は、私達が偽者だと知って…!」
「当たり前だろ。あ、言っとくが、お前らの方が悪いんだからな」
 利用された事に腹を立てたフォンシーが立ち上がり、ラッセルを睨みつける。
「それから、お前に言っておく。お前は絶対本物のアルフォンスに適わない」
「私が可愛くないって事?」
「可愛い可愛くないの話じゃない。エルリック姉弟の弟のアルフォンスにお前が適うわけ無いだろ」
「お、とうと…?」
 すいっと、ラッセルは何やらフュリーに言われている集団を指差すと。
「あそこにいる、フレードリヒは、俺の弟のフレッチャー。そしてアレクサンダーは、本物の鉄の錬金術師、アルフォンス・エルリック。それから、エリザベスって名乗った爆弾が正真正銘の鋼の錬金術師エドワード・エルリックだ」
「エリーが、鋼の錬金術…師?」
「そう。何を勘違いしたのか知らないが、鋼鉄の錬金術師ってのは姉と弟の姉弟なんだよ」
 さっきの戦いぶりをみれば分かるだろ。
 人外の戦いと言っても可笑しくない戦い。見た事の無い錬金術。そこにいた四人の内三人が国家錬金術師と言われれば納得が行く。
「つまりは、もう二度と、お前らはあの二人の名前を騙れない、って事だ」
 そんなことしたら、俺が殺すけどな。
 そう言ったラッセルの目は本気だ。
「でも、さっき刑罰にはって」
「それはな…あいつらの性格からだよ」
「え?」
 その時、大声で名前を呼ばれる。その主はフュリーだ。
「俺の時も、あいつらは自分で自分の罪を考えろって、言っただけだ」
「俺の時…?」
「そ。俺があの二人と出会った切っ掛け。だから、もう二度とこんな事、すんなよ」
 次は無いからな!
 そう言いながら、ラッセルは返事を一つして走っていく。
 残された偽エルリック兄妹は、まだ自分達が置かれた状況を良く理解してはいなかったが、とりあえず罰を与えられなかったことに安堵した。
 そこに、フレッチャーがいたなら浅はかな人たち、と言っただろうが二人にそれは分からない。
 それは、二人が「重さ」を分かっていないからだ。けれど、もう二度と二人の名前を騙ることは無いだろう。それ程に怖い思いをしたのだから。
「お兄様」
「………」
 残されたエディは、エドワード達に一礼し、それからぎゅっとフォンシーの手を握った。





「どういうことですか! 偽者って!」
「いや、偽者がいてね、それを隠れ蓑に…」
 フュリーは混乱している。それは明らかだった。何か大事なことを忘れているような、そんな状況だ。
「いいじゃん、無事ユートピアは護れたし。それに、一株程度なら譲ってもらえるんだろ」
「多分な。で、フュリー少尉は何しにここに来たんですか?」
 まさか、自分の任務の確認の為ではあるまい。今日何度目かと思われる台詞をラッセルが言うとフュリーはエドワードの肩を持ってがくがくと揺らす。
「エドワード君!」
「何だよ」
「無事ですか!」
「無事だけど……」
「まさか、この戦いに参加したとか言いませんよね?」
「軍の人間がいるのに、一般人巻き込んでどうするんだよ」
「じゃあ、戦ったと…」
「そうだよ」
 エドワードがそう言った瞬間、フュリーは白く固まった。それはもう、ものの見事に。
「あの、フュリー少尉?」
 アルフォンスがとんとん、とフュリーの肩を叩く。
「あるふぉんすくん、きみがいながら、なんで、なんで……」
 えぐえぐと涙を流すフュリーに、アルフォンスはあわあわと慌ててしまう。
「あ、あの、ごめんなさい」
「まぁまぁ、フュリー少尉。エドワードが暴れるなんていつものこと何だから」
 苦笑いをしながらフュリーの肩を叩いたラッセルに、きっと視線を返すと。
「だめです!」
 強い口調でそう言った。
「駄目ってなんで……」
「あああああああああ! こんなヒールの高い靴履いて! 中将に怒られますよ!」
「いや、中将は兄さんがヒールの高い靴を履いたくらいじゃ…」
「怒られますよ! 今、セントラルは大騒ぎなんですから!」
「まさか、中将に何かあったんですか?」
 フレッチャーが不安そうにそう言うと、フュリーは首を横に振って。
「中将じゃ有りません。何かあったのはエドワード君です!」
「お、オレ?」
「そうです。いいですか、良く聞いて下さい」
「お、おう…」
 急に静かになって大真面目になったフュリーはぽつりポツリと話始める。
「この間、健康診断を受けましたよね?」
「ああ、兄さんが身長測らないで逃げたあれですか」
「アル、うるさい」
「その結果が、昨日出たんです」
「まさか、その報告の為に、ここまで来たんですか?」
「そうです!」
 ふるふると震えるフュリー。その時、四人の間に走ったのは嫌な空気だった。
 何か悪い病気でも見つかったのだろうか。
 まだ、これ以上、何か起こったのだろうか。
 この二人に、これ以上試練を与えようと言うのか。
 黙った四人を見ながら、涙を流したフュリーがエドワードを抱きしめて。
「三ヶ月、だそうです」
「は……?」
「だから、三ヶ月っ……」
 男が泣くのは親を亡くしたときと財布を落としたときだけだと豪語する男の下で働く人間達は、異様なほど涙もろい。特に、エルリック姉弟が関わった時は。
「赤ちゃん、いるんですよ」
 満面の笑顔に涙。
「あか、ちゃん…?」
「妊娠、三ヶ月。間違い、ないそう、です」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、フュリーが笑う。
 その言葉を聞いた瞬間、フレッチャーの瞳からぼろっと涙が零れた。
「うそ、だ…」
「本当なんです。本当なんですよ、エドワード君…」
 信じられる訳がない。だって、自分はその為の器官を傷つけた筈。もう、子供は産めないと言われた筈。なのに。
「そんなこと……っ!」
 あるわけない。
 そう叫ぼうとした瞬間、ぎゅっと抱きしめられた。
「アル……?」
「兄さん、兄さん、兄さん……っ!」
 誰に感謝したら良いのだろう。奇跡を信じろといった大人たちだろうか。助けてくれると言った親友だろうか。それとも、自分の傍にいつまでもいてくれると約束してくれた優しくて強い女神様だろうか。
 アルフォンスはエドワードを抱きしめて、号泣する。
 エドワードとは言えば。
 言葉が思いつかない。
 喜べばいいのか哀しめばいいのか。それともどうすればいいのか考えがまとまらない。
 認めたい認めたくない。どうしてどうすればなんでなにがおきた?
 涙が自分の考えとは別に溢れて止まらない。
「ともかくさ…」
 ラッセルとフレッチャーは涙を流す親友と大切な少女を抱きしめて。
「めでたいよな」
 それだけ零して、泣きながら、笑った。





 こんなこと、二度とあってたまるか。
 こんなこと、馬鹿馬鹿しくて付き合ってられない。

 そう思っていた現実に舞い降りたのは、ありえない奇跡。

 これは何?
 認めていい現実?
 頑張った自分達への、誰かからの贈り物?

 笑えない話はとんでもない奇跡を連れてきて。



 幕を、下ろした。





あとがき→
 
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