現実は幻なんかではなく。
 目の前に存在して。
 それだけが凶器になるなんて。
 誰が想像しただろう。



 現実は、鋭く尖った、凶器。





【アゲハ蝶 5 それが、現実だと】





「……あの」
 ひどく顔色の悪いシェスカ。
 今日は非番なのか私服で軍部内にいて、その存在はかなり異質だ。 
「どうしたの? シェスカ」
 そんなシェスカの顔色に驚いて、ホークアイは声をかける。
「ホークアイ少佐」
「体調でも悪いの?」
「いえ、違うんです。あの…その……」
 何か言いたいのに言えない。そんな感じがシェスカの様子から見て取れる。
「何か、あったの?」
「……はい」
 眉間に皺を寄せて、酷く困ったようにシェスカはホークアイを見上げて。
「…アルフォンスさんを…発見しました」
 震えた声で、そう言った。
「え?」
「アルフォンスさん、見つけたんです……」
「本当に…?」
「はい……」
 シェスカの言葉に、ホークアイは目を見開いて驚く。そして、そのまま知らせに行こうと踵を返したホークアイの腕をシェスカは掴んだ。
「待ってください!ホークアイ少佐!」
「シェスカ?」
「あの、ですね…ちょっと言っておかなきゃならない事があって……」
「え?」
「あのですね、アルフォンスさんは……」






 シェスカにとっては、久しぶりの友人との再会だった。
 シェスカの家の近所に住んでいた少し年下の少女。本の虫だったシェスカにとっては、本当の友人といえる存在。
 本が友達状態のシェスカを尋ねてきては、一緒に遊ぼうと声をかけてくれた少女。
 あの少女がいなければ、シェスカは本当に本しか友達が出来なかっただろう。
 家の事情で引っ越して、もう五年。
 少しだけ遠くに引っ越してしまったから、なかなか会えなくて。たまに手紙のやり取りをしながらも繋いでいた友情。
 シェスカにとってその手紙は何より大事だったし、送る事も貰う事も楽しみの一つだった。
 その友人からの手紙。
 『結婚する事になりました。今度、彼を連れて一度セントラルに行きます』
 この手紙をシェスカは心の底から喜んだ。
 友人は、一度大切な人を失っている。
 相手は軍人だと言っていた。
 この前の内戦の時に、亡くなったらしい。
 その手紙が送られてきた時には、文字も文章も沈んでいて会いに行けないシェスカは酷く心配したのだが。それに軍人の事を酷く好きだったから、もう恋なんてしないんじゃないか等と、そんな事を考えていた矢先の手紙。
 嬉しくないはずが無い。
 しかも、手紙の内容では、酷く優しくて頼れる人、と書かれていて。シェスカは友人の相手に会うのを楽しみにしていた。
 そうして、駅で待つ事十分。
 友人が乗っているはずの列車が、駅に到着した。
 降りてくる人込みの中を目を凝らしながら、覚えのある姿を探す。
 そうすると。
「あ!」
 シェスカは小さく声を上げて、思いっきり手を振った。
 それに答える様に、人込みの中で茶色の髪の少女が大きく手を振り返す。
「シェスカ!」
「エメロード!」
 二人はお互いの姿を見つけて側まで近寄ると、どちらとも無く抱きついた。
 五年振りの友人との再会。
 それは、何よりも嬉しい出来事だった。
「元気だった?」
「元気よ!」
「相変わらず本に埋もれてるんじゃない?」
「まぁ…ね」
「それより、軍に勤める事になったんだって?」
「うんそう。今は軍法会議所に勤めてるの」
「凄いじゃない、シェスカ!」
「そんな事無いよ。それよりもエメロード、結婚するんでしょう?」
「ええ!今月中に結婚しようと思って!」
「今月中なの? おめでとう!」
 行きかう人々が二人の姿をちょっと珍しそうに見ていく。
 二人とも、五年振りの再会にはしゃぎすぎているのかもしれない。
 そんな二人を。
「姉さん、こんなところでそんな大きな声で話してたら他の人の迷惑になっちゃうよ」
 くい、とエメロードの服の裾を引っ張って少年が二人を見つめている。
「エディ!大きくなったのね!」
「シェスカお姉ちゃん、久しぶりだね」
 少年――エドガーの姿を見つけて、シェスカはその場にしゃがみ込んだ。
「ホント久しぶりね。いい子にしてた?」
「してたよ。僕、ちゃんと姉さんを守ってたもの」
「そうなの? 頼もしいね、エディ」
 エドガーの頭を撫でながら、シェスカは笑う。
 五年前には小さな子供だったエドガーが、ずいぶんと大きくなって、それだけでもシェスカにとっては嬉しい事だった。
「……二人とも、置いていかないでよ」
「あ、ごめんなさい、アル」
「あ、ごめんなさい、お兄ちゃん」
 シェスカとの再会を喜んでいる二人に、後ろから青年が声をかける。
 その青年は、シェスカの後ろ側にいて、シェスカにはその姿が確認できない。
 ただ、名前が。
 その名前が、酷く覚えのあるもので思わず振り返ってしまった。
「シェスカ、紹介するわ。彼が、結婚する相手の」
「アルフォンスです」
 ゆっくりとシェスカに差し伸べられた手。
 シェスカはその手など関係ない、と言わんばかりにじっと青年を見ている。
「どうしたの、シェスカお姉ちゃん」
 不思議に思ったのか、エドガーがシェスカの顔を覗き込んで小首をかしげた。
「え…えっと……」
 上手く言葉が出てこない。
 目の前にいるのは、そう、間違いなく…。
 けれど、エメロードと「結婚」する相手だと言う。
「…あ、アルフォンスさん?」
「はい、そうです」
「えーっと、エメロード、この人と結婚するの……?」
「そうよ。私、この人と結婚するの」
 ぎゅう、と嬉しそうにエメロードはアルフォンスの腕に抱きつく。アルフォンスはそんなエメロードを目を細めて笑いながら見ていた。
「……もう一度お聞きしますけど、貴方は、アルフォンスさん?」
「…はい、アルフォンスですけど…」
 少し困ったようなアルフォンスの顔。
「シェスカ? どうしたの?」
「えーっと…」
「もしかして、彼を知ってるの?」
「え?」
「彼ね、実は記憶がないの」
 困ったように笑いながら、エメロードは言う。
「名前しか分からなくて。もしかしたら中央ならアルの事を知ってる人がいるかもしれないって思って来たんだけど……シェスカ、彼を知ってるの?」
 シェスカの周りから、音が消える。
 きおくをうしなったあるふぉんす。
 間違いでなければ、シェスカの目の前にいるのは、そう、「鉄の錬金術師」と呼ばれた、アルフォンス・エルリック。
 今、自分達が必死になって探している、あの、アルフォンス・エルリック。
「エメロード、お願いがあるの」
「何?」
「そこの角にね、カフェがあるからそこで待っててくれる?」
「え?」
「ちょっと確認したい事があるから」
 にこりと出来るだけの笑顔でシェスカはエメロードに笑いかける。そうすると、アルフォンスは真剣な目をして。
「これ、の事ですか?」
 すっと差し出された銀時計。
 シェスカが驚いたようにアルフォンスを見ると、分かっていたと言わんばかりの顔でシェスカを見ていた。
「……うん、そう。でも、まだ詳しい事は教えられないから……ちょっと待って、下さい」
 ぺこりとまるでお辞儀をするようにシェスカが頭を下げると、「分かりました」とアルフォンスは小さく言った。
「シェスカ、私達、そこの角のお店にいるから行って来て?」
「……エメロード…」
「大事な事、なんでしょう?」
「うん…ごめんね、エメロード」
「ううん、構わないわ。アルの記憶に関することだったら私も知りたいもの」
「エメロード……」
「お願いします、シェスカさん」
 今度はアルフォンスがシェスカに向かって頭を下げる。
 シェスカは。
「じゃあ、ちょっと待っててね」
 そう言って、そこから全速力で立ち去る事しか出来なかった。





「……もう、私どうしたらいいか……」
「…困った事態になってるわね、本当に……」
「私、エメロードに幸せになって欲しいんです。だけど、アルフォンスさんがエドワードさんの事大事に思ってるのも知ってるから…」
 泣きそうな顔で話すシェスカ。
 ホークアイは大きく溜息を付いてシェスカの肩を叩くと。
「とりあえず、少将たちと話し合ってみるわ。シェスカはその友人のところに戻って待機してくれる? 対策が決まったら迎えを出すから」
「……はい」
「それから、貴方の所為じゃないから自分を追い詰めちゃ駄目よ」
「ホークアイ少佐…」
「これは偶然の事故だわ。どうしようもない事だから」
「はい……」
 少し泣いていたのか、シェスカは目じりを人差し指で拭って「お願いします」と残すとそのまま走り去っていく。  
 その後姿を眺めながら、ホークアイは再び溜息を付いた。そして踵を返すとロイの執務室を目指す。
 この先、どうしていいのかなんて分からない。
 多分、それはこの事実を知った人間ならそう思うに違いない。
 ホークアイの足取りは思いの外重かった。
 どうすればいい。
 感情だけが、先走る。
 どう報告すればいい。
 上手く組み立てられない言葉。
 それでも、アルフォンスは見つかった。
 アルフォンスがいなくなって二ヶ月。死に物狂いで探す日々は終わる。
 けれど。
 見つからなかった方が幸せだったのかもしれない。
 ホークアイは、そんな事を思った。





 しっているから
 なにもいわない
 げんじつは
 あまりにもするどいいたみをこのみにのこしたから
 だから
 しっているけれど
 なにもいわない
 さがさない



 あしたなんて、こなければいい






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