訪れた未来を。 なくした輝きを。 飲み込む術を覚えるまで。 この心は血を流し続けるかもしれない。 それでも。 ここにいることが。 いつかの未来へ続くのだと信じている。 【アゲハ蝶 4 押し寄せた現実】 アルフォンス・エルリックが失踪して一ヶ月と半月。 中央司令部は、何一つ変わらず動いている。 国家錬金術師とはいえ、元が根無し草のアルフォンス。本気で彼の事を心配している人間など一握りに過ぎない。 その一握りの人間達は、疲れた体を引き摺って精神をすり減らしてアルフォンスを探し続けている。 銀時計の回収なんて、そんな理由じゃない。 ただ心配だから、そんな理由じゃない。 どうしても見つけなければならなかった。 アルフォンス・エルリックは同胞であり家族であり共犯者であり、存在を消してしまえるほど容易い存在ではないのだ。 とても重い、探している人間達にとってはそれぞれ意味を持つ、かけがえのない人間。 周りから見ればどれほど滑稽に映るか分からない。 それでも、アルフォンス・エルリックを知る人間達はひたすらに彼を探し続けていた。 「……ねえ、兄さん」 「何だ?」 「怒らないで聞いてね」 中央司令部の宿舎の一室を借りていたトリンガム兄弟は、いつものように睡眠を取ろうとベッドに潜り込み睡魔を呼び寄せようとしていた時、弟であるフレッチャーはそっと口を開いた。 「エドワードさん、諦めてる」 「……え?」 「エドワードさん、アルフォンスさんの事……」 「フレッチャー!」 フレッチャーの言葉を、ラッセルはその名を呼ぶ事で遮る。 「…それ以上は、言うな」 「兄さん…」 ラッセルは暗闇をじっと見つめて友の顔を思い浮かべた。 もしかしたら、彼らを大事に思う人たちは気づいていないかもしれない。 だから、あんなに必死なのかもしれない。 探す事に、見つける事に、執着しているのかもしれない。 ラッセルだって、探す事を断念しているわけではない。それでも、分かるのだ。悔しい事に手に取るように分かるのだ。 もしも、諦めていないのであれば。 もしも、何かを掴んでいないのであれば。 誰の制止も聞かず、飛び出していく人間だ。 何よりも大事なものだから。 エドワード・エルリックにとってアルフォンス・エルリックは、命より大事なものだから。 そのエドワードが、何も言わずただ部屋の片隅で小さくなっている。 はたから見れば、現実に打ちのめされ諦めた姿に見えるかもしれない。 エドワードは、おそらく諦めてはいないだろう。 諦めていないけれど、何かを知っているはずだ。 それが、エドワードの足枷になっている。 ラッセルは、そんな気がしてならなかった。 「フレッチャー」 「何、兄さん?」 「今の事は、誰にも言うなよ」 「うん……」 「それから」 「それから?」 「エドワードが一歩でも部屋から動こうとしたら、俺に知らせろ」 「兄さん…?」 「多分、それが終わりの合図だから」 そう言うとラッセルはフレッチャーに背を向け、沈黙を守る。 フレッチャーは、ラッセルの言いたい事をほんの少しだけ理解して、だけど殆ど分からないままで小さく頷くと、頭まで毛布に包まった。 「まだ、見つからないのかね」 「そんなに気になるのであれば、将軍のところの部下を動かしたら如何ですか?」 「君が自分でやると言ったから任せたんだがね」 「私は自分の息子を探しているだけですが?」 「おや、息子と言い張るんだね、マスタング将軍」 「私の娘の婚約者ですから。息子といっても過言ではないと思っていますよ」 エセルバート・ゾルゲは、ロイにとって天敵ともいえる人物だった。 年齢は、ロイより二つほど年上なだけで、役職も出世スピードもそう変わらない。 内戦等を制圧していれば、重要なポストに穴が開く事がよくある事だと言えど、この二人の出世スピードは生半可なものではなかった。 ロイは、表面では敵対の意思を見せてはいない。 どれほど嫌いでも、そこは大人の付き合い方と言うヤツを実践している。 だが、ゾルゲはそう言った面では子供だった。 敵とみなしたものには、一切容赦はしない。 ロイと皮肉の応酬で済んでいるのは、ひとえにロイの我慢の賜物だ。そしてその地位。それがなければロイとゾルゲの間は険悪以上の何ものでもなくなっているだろう。その上、お互いの勢力の間で紛争が起きていてもおかしくは無い。 ゾルゲとロイの関係は、そんなものだった。 「しかしもう一月半だ。諦めたらどうだね」 濃い茶色の髪は整髪料で後ろに撫で付けられ、きつい香料の香りが鼻に付く。 少しでも威厳を出そうとしているのか、ゾルゲの容姿に隙は無い。 そこがロイの嫌いな部分でもあった。 しかし、今はそんな香料の事を気にしている場合ではない。 「鉄は、そんなに簡単に私の娘を諦めたりはしませんよ」 「君の娘が諦めないのではないのかね?」 「私の娘も諦めてはいませんよ。けれど、それ以上にあの男は生きる事に執着している。まあ、将軍には分からないでしょうが」 ほんの少し口の端を吊り上げてロイは笑う。 アルフォンス・エルリックを探すのはお前には無理な話だ。 そう、嘲るように。 それに気が付いたのか、ゾルゲは少しだけ細い目を吊り上げて。 「私情を挟むのは勝手だが、自分の息子の不始末は早めに片付けてくれ。マスタング将軍」 鼻で笑うようにして、そう言った。 その言葉に、ロイは。 「ええ、全力を尽くしますよ」 満面の笑みで答えた。 ――表面上は。 「……ホークアイ少佐」 「何でしょう」 「塩は持っていないか」 「塩、ですか?」 「…東洋では、嫌な相手に対して塩を撒くらしい」 遠くなっていくゾルゲの背中を見ながら、ロイは淡々と零す。 「…少将」 「分かっている、そんな事はしない」 不意に溜息が一つ零れた。 ゾルゲと対峙するのは、思いの外神経をすり減らす。 「少将、一度執務室に戻りましょう」 「…そうだな」 「ホットチョコレートでも作りますから」 「…私は子供か」 ふ、とロイの口元に笑みが浮かぶ。 それを見てホークアイはにこりと笑った。 「おう、シェスカ」 「あ、ハボック大尉」 「妙に嬉しそうだな」 「はい!」 酷く嬉しそうなシェスカ。 持っている書類はかなり重そうだが、足取りは軽い。 「……あ、すみません、こんな時に」 シェスカは舞い上がっていた自分に気づいて、足を止めるとゆっくりとハボックに向かって頭を下げた。 その瞬間、ばさばさと書類が落ちる 「あ、うわ、うわ、すみません!」 散らばった資料を慌てて拾いながら、シェスカは何度も「すみません」を繰り返した。 「まあ、ちょっと落ち着けよ、シェスカ」 そこら辺に散らばった書類をかき集めながら、ハボックはぼりぼりと頭をかく。 「お前が悪いわけじゃないんだし」 「でも」 集めた書類をシェスカに渡して、ハボックは少し笑うと。 「しょうがない事なんだよ、だから気にするな」 「………はい」 アルフォンスが行方不明な事。 それは、アルフォンスを知る者たちなら誰でも知っている事だった。 シェスカも例に漏れず、アルフォンスの事情は知っていた。 だから、一人だけ舞い上がっていた自分を許せなかったのだろう。 「それより、何かいいことがあったのか?」 ひらりと一枚だけ遠くに飛んだ書類を拾ってシェスカに渡しながら、ハボックは問う。そうすると、シェスカは少しだけ笑って。 「結婚、するんです」 そうはっきりと言った。 「え!お前結婚するのか!」 「あ、いえ、私じゃなくて、私の友人が結婚するんです」 自分の言葉を慌てて訂正しながら、シェスカはそう言った。 「びっくりしたー。先越されたのかと思った」 「私はまだそんな話はありませんよ」 そう言いながらも、シェスカはやはり嬉しそうだ。 「仲がいい友人なのか?」 「はい!」 シェスカの笑顔に、ハボックは苦いものを覚える。 仲の良い友人。 その友人の結婚を心から喜べる。 嬉しいと思える。 そんなシェスカが、少しだけ羨ましいと思えた。 「で、結婚式はいつなんだ?」 「結婚式はしないみたいなんです」 「へー」 「でも、旦那さんになる人を今度セントラルに連れて行くからって」 「こっちの人間じゃないのか?」 「いえ、元はこっちの人間です。事情があってちょっと遠いところに引越しちゃったんで…」 「そうか。それじゃ会うのが楽しみだな」 「はい!」 そう言ってシェスカは一礼をして走り去っていく。 ハボックの胸には、今までと違う重いものが積み重なった。 友人の結婚式。 もしかしたら、今頃は自分も喜べたのかもしれない。 大事な、大事な、友人。 悪い事を悪い事だと分からず、自分が正しいと信じていた男。 一番の親友。 失って気づいた、喪失感。 離れていても、ずっと友人だと思っていたのに。 ふと胸を締めた苦しい感覚を溜息とともに外に出して。 「よし」 ハボックは、その場所を後にした。 それから数日後。 意外なところから朗報は届けられた。 しっていたんだよ なにもかもしっていたんだよ だけどこわくて ふみだせなかった このせかいをうちやぶったら そのときはえがおで おまえにあえるから |