聞いて? ねえ、聞いて? 耳を塞いだ世界で叫んでるのかもしれない。 だけど。 聞いて。 何度でも言うから、聞いて。 この声を聞いて。 今の気持ち、聞いて? 【アゲハ蝶 18 叫んだ言葉の先】 じっとアルフォンスを見つめる真っ直ぐな瞳。 アルフォンスはそれを受けて、少しだけ足を後ろに引いた。 本気の瞳。 怒っているわけでもない、悲しんでいるわけでもない。まるで、真理を見つめるかのように真っ直ぐな本気の瞳。 イズミは何度か瞬きをすると。 「エドに会いに来たんだろう?」 そう、よく響く声で言った。 「そうです」 その声に、アルフォンスは答える。 アルフォンスは、エドワードに会いに来た。記憶を失っていた時の幸せな時間と決着をつけて。 記憶が戻った瞬間、本当はどこよりもこの場所に来たかった。 けれど。 すべてが終わらなければ、アルフォンスがアルフォンスに戻らなければエドワードは会ってくれない。そう思ったからこそアルフォンスはもう一人の自分に決着を付けてきたのだ。 だが。 「でも、エドはお前に会わせる訳には行かない」 イズミは凛とした声で言い放つ。 遅かったのだろうか。 ふとそんな後ろ向きな答えが頭をもたげる。 そんな筈は無い。まだ大丈夫だ。 アルフォンスはぐっと拳を握って、真っ直ぐにイズミを見た。 「記憶が、無いからですか?」 記憶が無ければ、きっとエドワードに無理をさせる事になる。 記憶がない間、ずっとエドワードは無理をしていたから。 エドワードは、自分より他人を優位にさせる傾向があった。どうでもいい他人なら、そんなことはしない。一度懐に入れた人間に惜しみなく愛情を注ぐ。それが、わかりにくいものであったとしても。 だから、エドワードは間違いなく無理をして笑顔でいたに違いない。 「記憶が無いお前なら、こんな所には来ない」 「せん…せい?」 「お前に記憶は還って来ているんだろう」 「……はい」 お見通しだ。 アルフォンスはそう思う。 記憶が無いのなら、アルフォンスはエドワードの下には来ないはずだ。今頃子供を亡くした人が誰なのか考えている筈。それなのに、アルフォンスは、迷う事無くこの場所に来た。それをきっとイズミは知っているのだろう。 「記憶が、戻ってきました。だから、兄さんに会いに来ました」 「どの面下げてだ?」 「え?」 「どの面下げて、会いに来た」 イズミはゆっくりとアルフォンスの前に立つと、少し顔を上げてアルフォンスの視線に自分の視線を合わせる。 「お前は自分が何をしたのか、分ってるのか?」 「………」 「記憶喪失だから、で片付けられる問題じゃない。お前が何をして誰が傷付いた。それをお前は分ってるのか?」 イズミの言葉は、痛い。 心のどこかで記憶を失っていたのだから仕方ないだろうという甘えた自分がいるのも確かだ。 だが。 エドワードの全てを傷付け、親友を裏切り、大事にしてくれた人たちを裏切り、エメロードの人生に入り込んで、エドガーと約束をした。 それは、全て現実で。 アルフォンスが全て招いてしまったこと。 逃げられるとは思っていない。 それでも、どこかに無意識の内に逃げ道を探していたのかもしれない。 イズミがエドワードに会わせない理由は、それかもしれない。 自分の中でだけ考えてアルフォンスは唇を噛む。 「アル……」 「………」 「そうやって一人で飲み込むのはお前達姉弟の悪い癖だ。……弟子達の悪いクセだとも言うがな」 「師匠…?」 「一つ、記憶喪失はお前の所為じゃない。二つ、エメロードさんへの思いは嘘じゃない。三つ、エドワードが撃たれたのはお前の所為じゃない」 イズミは三本の指を立てて言う。 「お前の記憶喪失と、エドワードが撃たれたのは、はっきり言って誰の所為でもない。ここにいない第三者の所為だ。ついでに言えば、エメロードさんが一人なのもな」 「でも、ボク…は」 「お前はただ中心にいて自体を引っ掻き回しただけだ。お前が悔やむことはその事だけじゃないのか」 「……で、も」 「人の分まで背負い込む所までエドに似なくて良い。自分の罪だけ贖えばいいんだ」 いつだって、この子供達は。 イズミは何度も思い出す。 血にまみれた、我が子のように愛した子供達の姿。 それを自分の罪だと思い込み、贖おうとする姿。 それは罪ではないと教えても、受け入れなかった心。 ずるい大人になれない、真っ直ぐな子供達。 「エメロードさんとは、話をしたのか?」 「……ボクは、アルバートさんに勝てなかったんです」 「エメロードさんの大事な人、か?」 「はい……だから、ボクに行けって……」 ぽたり。 アルフォンスの瞳から涙が零れる。 「お前の、罪は軽くないぞ」 「はい……でも」 覚悟は出来ている。 大切な人を突き放し、大事な子供まで奪った。 その罪は、重すぎる。 初めて背負った一人だけの罪は、アルフォンスには重すぎた。 だけど。 「…兄さんの所に、帰りたい……っ」 許してくれなくて良い。 いつまでも一緒に何て言わない。 今だけでもいい。 兄さんに。 世界で一番大切な人に。 会いたい。 会って話がしたい。 それだけで、良かった。 「アル……」 「兄さんに会いたい。会ってちゃんと話をして……」 ごめんなさいって。 そう、言いたい。 約束守れなくて。 傍にいれなくて。 ごめんなさいって。 「だったら、アル」 俯いてしまったアルの頭を撫でると、イズミは小さく笑う。 「言う事があるんじゃないのか?」 「え?」 「あの子はロイの養子なんだろう。それなら、あの子は私の姪っ子だ。散々傷つけた男に渡すつもりはないよ」 「え?」 「世界一幸せにしてくれる男にじゃなきゃ、渡す気はない」 イズミの言葉が分らない。 アルフォンスはじっとイズミを見るが小さく笑ったままで、他に何も言わなかった。 「お前が、罪も何もかも背負っていく覚悟があるんなら私を納得させてみろ」 そうしたら、そこの扉を開けてやる。 イズミは謎かけのようにそう言うとアルフォンスを見た。 「なに、エドワードはさっき薬で眠った所だ。そう簡単には起きないさ」 「……師匠」 「出来ないんなら、一生エドには会えないと思いな」 それは、おそらく簡単な言葉なのだ。 アルフォンスが言ったなら、それは何よりも強いものとなる。 その言葉を、イズミは待っていた。 「ボクは、兄さんが好きだから…」 「知ってる」 「兄さん以外の人なんて、要らないから…」 「分ってる」 「兄さんを守りたいんです…」 「それは前に聞いた」 「だから、ボクは…」 「どうした、もう弾切れか?」 いつもなら簡単に出てくる言葉が、出てこない。 エドワードへの気持ちを言葉にすることは難しい。 記憶を失った前なら、簡単に言えたのに。 いや、言えていたかどうか分らない。 どこか恥ずかしくて、怖くて。 いつも曖昧な言葉ではぐらかして来たから。 「……今のお前なら、言えるんじゃないか」 「え?」 「罪を背負っていく覚悟が出来たんだろう。だったら、言えるんじゃないか?」 「………」 今までだって覚悟は出来ていた。 一生離さない覚悟は出来ていた。 それを言葉にする勇気はなかったけれど。 大事すぎて、形になって出来なかったけれど。 「………ます」 「聞こえないよ」 「ボクは、兄さんを……」 「世の中に兄さんなんてのはたくさんいるんじゃないのか」 「ボクは、…………を………から……」 「そんな小さな声で、一世一代の言葉を喋るもんじゃないよ。どうせなら、この病院中の硝子を割る気で行きな」 イズミはくるりと背を向ける。 駄目だ。 きっと小さな声では届かない。 アルフォンスは、すっと大きく息を吸い込むと。 「ボクは、エドワード・エルリックを愛してます! だから……一生守ってみせる! 絶対離したりしない!」 病院中に響き渡るような声だった。 一息で全て言い切ったアルフォンスは、少しだけ息が荒い。 言えなかった言葉。 愛してるなんて意味が分らなくて使えなかった言葉。 だけど、今ならわかる。 その言葉の意味も重さも、その全てを。 一度失ったからこそ、その言葉の中に詰まっていたものが手に取るようにわかった。 大事で守りたくて失えなくて全てで。 簡単に言える言葉だけれど、簡単には使えない言葉。 大切な言葉。 アルフォンスは生まれて初めて、エドワードに対して「愛してる」と言う言葉を使った。 それが、今、アルフォンスの本当の気持ちだから。 「よし、よく言った」 イズミはエドワードの部屋の前で止まると、振り返りアルフォンスを見ながら。 「だそうだ、エド。聞こえたか?」 キィ。 開いていた扉。 アルフォンスが慌てて扉に近付くと、中には真っ赤な顔で口をパクパクとさせているエドワード。 「に、…にいさ…ん?」 アルフォンスの中で思考が止まる。 動きまで固まってしまったアルフォンスの背中を押し、イズミはパタンと扉を閉めた。 それから。 「覗き見は良くないんじゃないか、ロイ?」 廊下に立っていたロイにちらりと視線を流してイズミは言う。 「鉄のの声が向こうまで聞こえたんでね。何事かと思って駆けつけただけですが」 「それなら、お前の後ろの連中と同じくらいに到着するんじゃないのか?」 ロイの向こうから走ってくるのは待合室にいたであろう面々。 「私の方が足が速いだけだと思いますよ」 「そうかい」 そうしてマスタング姉弟は真っ白い扉を見やって、その場所から離れた。 後は二人の問題だ。 そう言わんばかりに。 あいしてる きいて あいしてる だれよりも、あなたをあいしてる きっといっしょうのうちになんどもいえないけど だれよりもあいしてる おぼえてて わすれないで あなたをだれよりもあいしています |