信じることも 突き進む事も 足を止めない事も 全てが 幸せへ続くと信じている。 【アゲハ蝶 10 謀の中心で】 「エメロード・クリスティ、十八歳…元々はセントラルに住んでいたが両親が家業を継ぐ為トルセイアに移住。その後両親を紛争で亡くし弟と二人暮し。アルバート・ハベルと婚約するがトルセイア近辺で起こった紛争にてアルバートが戦死。今に至る」 ロイは目の前の資料を読み上げて、資料から目を離すと机の前に立っている部下の顔を見た。 「このアルバートという男が、あのゾルゲ将軍の腹心だった訳か」 「そのようですね」 ロイは自分の記憶の中のゾルゲを探し、その傍にいたであろう顔を思い出そうと試みる。だが、元々ゾルゲとの遭遇率は低く、思い出せなかった。 「どうやら、ゾルゲ将軍がアルバートを戦死に見せかけて殺害したのは事実のようです」 「……英雄色を好むと言うだが、行き過ぎだな」 一人の女の為に、自分の部下を殺すなどあってはならない。 しかも、その女は拒絶し続けているというのに未だに拘って。 呆れたとしか言いようの無い女癖の悪さだ。 「で、そのゾルゲ将軍とか言うヤツからあの女を守れば、アルの枷は無くなるんですよね、少将」 「森羅の、もう少し柔らかい物言いが出来ないのかね」 「だって、それが真実でしょう」 執務室のソファに腰掛けてラッセルは淡々とそう言う。その隣でハボックは諦めたように首を竦め、前に座っていたブレダとファルマンそれにフュリーが小さく頷いた。 「アルがあの女を守るって言ってるのはあいつの優しさだ。元々正義感の強いヤツだし」 アルフォンスは優しい。それは誰もが知っている事。 優しすぎて、真っ直ぐで、強くて。 誰からも愛される事を、誰もが知っている。 そして。 その感情の全ては、エドワードへ向かっていた事も、誰もが知っている。 アルフォンス・エルリックは、エドワード・エルリックで構成されていると言っても過言ではない。 それ程に、アルフォンスが慈しみ、捧げ、崇拝し、守ってきた相手。 その相手は、世界中にただ一人だけだ。 「だが、簡単な事では鉄のは動かせない。子供もいることだしな」 「それなんスよね、問題は」 ハボックががしがしと頭を掻いて、軽く舌打ちをした。 「なあ、フュリー准尉。アルフォンスの子供の可能性は在るのか?」 不意に話を振られたフュリーは懐から手帳を出しぱらぱらと捲る。 「彼女が妊娠していると判明したのは最近で、アルフォンス君がクリスティさんと生活したのは二ヶ月。絶対にあり得ないと言えないのが現状です」 「確かアルバート・ハベルが戦死したのが…」 「三ヶ月前です、少将」 「際どい所だな」 どちらの子供とも断定できない時期。 アルフォンスが認めてしまえば、アルフォンスの子供だという事になってしまう。 アルフォンスとエメロードの関係がなかったとしても。 「……アルの子供じゃないですよ、それ」 「え?」 ラッセルは一度目を閉じてロイを見ると、さらりとそう言った。 「アルは記憶をなくしてるけれど、本能までなくしてる訳じゃないでしょうし」 「……森羅の?」 「食欲、睡眠欲、性欲。この三つは欠落してない。だったら、アルのヤツに子供が出来るわけが無い」 「おい、ラッセル。話が見えないぞ」 ハボックが、ラッセルの肩を叩きその顔を覗き込む。 「アルの場合、食欲と睡眠欲は普通なんだけど、性欲に関してはちょっと異常があるんだ」 「え?」 「人間ってさ、本能ってヤツがあるだろう。危険な事を回避したり、睡眠を取ったり。その本能が、アルはおかしいんだ」 「おかしい?」 「そう。あいつは、エドワード以外を必要としていない。本能でそうなってる」 「……え?」 「簡単に言えば、アルはエドワード以外と関係を持てないって事だ」 「!」 「だから、アルの子供なんかじゃない」 当たり前だと言わんばかりにラッセルは大人たちを見回してそう言った。 ラッセルにとっては当たり前のこと。 エドワードにはアルフォンスで。 アルフォンスにはエドワードで。 どれだけ頑張ったって。 足掻いたって。 二人の間には入れない事くらい分かっている。 それでも。 ラッセルにとってエドワードが世界で一番大切な女であることには変わりはない。 本当ならこの状況下はラッセルにとって好都合。 エドワードを攫ってしまえば良いだけだ。 そうすれば、欲しいものは手に入る。 けれど。 本当に欲しいのは、親友と大切な人の幸せな未来。 二人が笑ってくれる、未来。 その中に自分もいればいい。 それだけが今の願い。 それだけが。 その為には。 「子供の事は、アルが記憶を取り戻せばいいだけだ」 記憶が戻れば全て丸く収まる。 何もかも、元の道に戻る筈。 「だが、記憶を取り戻したところであのエメロードと言う女性はどうなる。鉄のが突き放すとは思えないが?」 「突き放すさ」 「え?」 「エドワードがいるんだ。記憶のあるアルがエドワードを取らないわけが無い」 子供は時に鋭い。 思考を巡らせる大人達の中で、真実を言い放つ。 たとえそれが、辛い真実だとしても。 「あの女とエドワード。アルが取るのはたった一人だろ?」 その問いかけに。 誰一人としてエメロード・クリスティの名前を挙げるものはいなかった。 それ程に。 あの二人の絆は強固で。 何よりも強い力だった。 「だから、何よりも先にアルの記憶を取り戻して、ゾルゲ将軍からあの女を守ればいい。もしくは…」 「もしくは?」 「ゾルゲ将軍を失墜させる。それしかないだろう?」 失墜。 その言葉に、ロイが口の端を上げる。 「確かに、それが一番だろうな」 「少将、ですが、それは」 「元々黒い噂の耐えん人物だ。半年前の違法賭博場壊滅事件にも関わっていると言われているしな」 半年前。 その言葉にラッセルは一瞬だけすぅっと目を細める。 それに気付いたものはいないけれど。 「ここのところ残業ばかりで面白くないが、動いてくれるな?」 静かな執務室に通る、ロイの声。 その声に、そこにいた人間達はこくりと小さく頷いた。 「エドワード、さん」 「エドワードさんじゃない、兄さん」 「いや、でも……」 「でももへったくれもない。オレがお前の兄貴である事には変わりないんだから」 アルフォンスを見上げながら、エドワードはぴしっと指を立てそう言った。 エメロードより少し低いエドワード。 これで自分の兄だというのだから驚きだ。 「……思い出せそうか?自分の事」 宿屋から連れ出されて、この公園に来たのは数分前。 最近この公園には良く連れて来られるな、とアルフォンスは人事のように思っていた。 「すいません、まだ……」 「あのな、アル」 「はい」 「……思い出さなくて、いいぞ」 「え?」 俯いたエドワード。その表情は見えない。 「今が幸せなら、思い出さなくていい」 今が幸せ。 アルフォンスはその言葉にすぐ返事は返せなかった。 確かに、今は幸せだ。 エメロードがいて、エドガーがいて。 小さいけれど、確かな幸せがある。 そして、幸せはゆっくりと近付いてきている。 これを幸せと言わずしてなんと言うのだろう。 けれど。 擦り切れた記憶の中で、何かが悲鳴をあげ、暴れている。 ぽっかりと空いた穴の中で、何かが蠢いている。 そして。 胸の中にあるどうしようもない寂しさが、ある。 記憶が戻れば全て埋まってしまうのだろう。 怖い、と何度も思った。 迫ってくる闇が、怖いと何度も思った。 けれど、どうしようもない空虚感が哀しさが切なさが。 一人で立っていると言う事が。 記憶を欲しているのも事実だった。 「幸せか、アル?」 不意にエドワードは顔を上げて、アルフォンスを見た。 「………はい」 言えなかった。 その笑顔を前にして、記憶が欲しいとは言えなかった。 言ってはいけない気がした。 そうしたら、全てが壊れる気がした。 そんなアルフォンスの葛藤など知らずにエドワードは満足そうに笑って。 「そうか。じゃ、オレも協力してやるよ」 守ってやるよ、お前の今の生活。 そう、言った。 「大丈夫ですよ。自分で守ります」 守ると約束したから。 大事な人に。 「そうか? お前結構頼りないからなぁ」 「え、そう…ですか?」 「うん、頼りない」 「なら、頑張って頼られるようになります」 「おう、頑張れよ」 ひどく楽しげに笑うエドワード。 それにつられるようにアルフォンスも笑った。 笑いながら。 何故か、兄だというこの男を。 誰が守るのだろうと、不可思議な事を考えた。 なくことができるひとと わらうことができるひとは きっとつよくて なくことができないひとは ほんとうはよわいのだと だれがいったのだろう |