だって、そんな事。
すとん、と縁に腰掛けると捲っていた袖を下ろす。
もしも見つかったりしたら、有無を言わさず医務室行きだ。
大丈夫、こんなの唾付けときゃ治る。
そんなつもりでいたのだけれど。
「怒られるよ」
ぽん、と肩を叩かれた。
恐る恐る振り返ると、片眉を上げて自分を見る人物。
「藤内か…驚かせんなよ」
「やましい事してる自覚はあるわけね。どうしたの、いつもなら直ぐに医務室に飛んでいくのに」
藤内がちらりと袖を捲れば、まだ新しい傷跡。一応応急処置をしたらしく傷口は綺麗だがたらたらと血が流れていた。
「作兵衛、これやばいよ。絶対怒るって」
「そうは、思うんだけどよ…」
何で怪我した時に来ないの!
そう言って怒る姿が目に浮かぶ。
怒らせたら怖い委員会の筆頭である保健委員会を敵に回す事ほど面倒臭い…もとい、怖い事は無い。
かすり傷程度ならしょうがないね、で済むかもしれない。
だが、作兵衛の傷はかすり傷と言うには大きすぎる。血止めときちんとした治療が必要だ。
それを放っておいたら、なんて考えると考えるだけで怖い。
「そうだ! 藤内!」
「何?」
「お前が治療してくれないか?」
「へ? 俺?」
作兵衛はぱんっと手を合わせて藤内にこの通り、と頭を下げた。
「…数馬と喧嘩でもしたの?」
怪我をしたら数馬の所へ。それは、鶯色の間では暗黙の了解。全員自分でも治療は出来るが、数馬の治療の方が適切なのだ。
「いや、喧嘩して無ぇ」
「じゃあ、医務室行こうよ。何、治療が怖いの?」
「そんな事あるか!」
「じゃあ、何で?」
「それは、その…なんだ、えっと…」
何やら言い辛いのか作兵衛はううともああとも言えない声を出して俯いた。
「ともかく、今は、無理」
竹を割ったような性格の作兵衛にしては煮え切らない返事。
正直、藤内はとばっちりを喰らうのは嫌だった。
このまま怪我を見過ごせば、数馬に怒られる。
このまま治療すれば、後で数馬に怒られる。
作兵衛を医務室に無理矢理連れて行くのは疲れる。
一番良いのは、作兵衛が良く分からないが意を決して医務室に行く事だ。
「作兵衛」
「何だよ」
ぽん、と肩に手を置くときらっきらの笑顔で藤内は。
「面倒臭いから、とっとと医務室に行こう」
そう言った。
「ちょ、俺の話を聞いてねぇのかよ!」
「怪我人は医務室に行くものだよね」
「だから、医務室はちょっとまずいんだって」
「何があったか知らないけど、早く数馬と仲直りしなよ」
「だから、喧嘩してねぇって」
「じゃあ、伊作先輩に手当てしてもらえばいいじゃないか。後で数馬が傷付くだろうけど」
作ちゃん、ぼくじゃやっぱり頼りないのかな。
数馬の口真似をして、藤内は作兵衛を見た。
「いいのかな、数馬泣かせて」
「う……」
「女の子を泣かせたりしないって約束したのはどこの誰だったかな」
「……っ」
「あーあ、左門と三之助と孫兵に言ってやろ。作兵衛が数馬泣かせたって」
「泣かせてねぇ!」
「でも泣かせるんでしょ? その傷隠してばれて泣かれるんでしょ?」
作兵衛をいじめているようだが、これも一種の友情だ。このまま作兵衛が傷を隠していたら、確実に数馬は泣くし、その後引き摺るに違いない。そして、それをまた作兵衛も引き摺ってそれはもう面倒臭い事この上ない事になる。
「泣かせたく無いなら医務室に行く! 今日は数馬が当番だよ」
数馬を泣かせないと誓ったのは、自分達。
いつも頑張っている女の子が、少しでも笑ってくれるように、泣かせたりしないと五人で誓った。
子供じみた誓約だったけれど、それは絶対。
その事は、作兵衛も分かっている。
分かっているけれど、譲れない部分があるのだ。
「……じゃあ、藤内も付いて来てくれ」
縋るように藤内の腕を掴んで、真剣な目でそう言う。
「へ?」
「一人じゃ、ちょっと無理」
「作兵衛、本当にどうしたの? 迷子になる予定でもあるの?」
「いや、医務室に行くのは大丈夫だけど、それからが、問題な訳で…」
「治療が?」
「いや、治療も大丈夫」
「じゃあ、何?」
藤内がん? と首を傾げて作兵衛を見ると、それまで何の変哲も無かった作兵衛の顔がみるみる赤くなって。
「笑うなよ」
「話によっては笑うけど」
作兵衛が数馬を好きなのは知っている。鶯色の仲間達の中で気付いていないのは作兵衛と数馬くらいだ。
恋をしている当人が気付いていないと言うだけで笑える話なのだが。
「………そ、その、唇が」
「くちびる?」
「数馬見たら、どうしても唇から目が離せなくなるんだよ…」
数馬の唇。ぽってりとしてやわらかそうだなぁとは思った事があるが、それ以上を考えた事は無い。
「……これ以上は、ちょっと言えねぇ……」
珍しい事もあるものだ。
あの、作兵衛が涙目で首筋まで真っ赤になっている。
ああ、これは、あれだ。
ぴこん、と額を小突いて藤内は何だかなぁと笑う。その笑い声に、泣き出しそうなのをこらえて作兵衛はうるせぇとそっぽを向いた。
「作兵衛の助平」
「な!」
「女の子の唇って確かに柔らかそうだよね。俺達みたいに薄くないし」
「いや、他の子のは興味ないし!」
それは、暗に数馬にしか興味ないといっている事だと作兵衛は気付いていない。
「分かった、分かった。作兵衛が数馬の唇に触らないように一緒に行ってあげるから」
「いや、いい! 俺一人で行く!」
「だって、作兵衛は助平だから数馬の唇に触りたいんでしょ?」
「俺はそんな事しねぇ!」
「本当に?」
「当たり前だ!」
でも、妄想はしちゃうんだよねぇと言う言葉を藤内は飲み込んだ。
妄想じゃなくて言っちゃえばいいのに。
後から出てきた誰かに取られたらお終いなのに。
「作兵衛はさ」
「何だよ!」
「紅色と浅緋と薄紅どれがいい?」
「は?」
「いや、紅の話。どの色が好き?」
「う、薄紅……って、何で今その話をしなきゃなんねぇんだ!」
何て作兵衛らしい答え。
藤内はどの色が好き? と聞いただけで、どの色が似合う? とは聞いていない。だが、作兵衛の意見には賛成だ。
「了解。ほら、その勢いで数馬の唇じっと凝視してもいいから医務室に言ってきなよ。その傷、本当にやばいよ」
麻の忍装束に黒い染みが出来始めている。
作兵衛の理性の強さは知っているから、数馬に危害が及ぶ事は無いだろう。
今は、作兵衛の怪我を治療する事の方が大事だ。
「何なら、後で左門と三之助放り込んでやるから」
「余計な事すんな!」
「ほら、数馬泣かせたくないだろ。行った行った」
藤内はよっこいせ、と作兵衛を立ち上がらせるとその背を押す。
作兵衛は男は度胸男は度胸と何度も念仏のように唱えながら、廊下を歩いて行った。
全く、何て可愛い友達なんだろう。
「さぁてと」
藤内は、作兵衛が歩いて行った方向とは反対の方向に足を向ける。
作兵衛が本気になったら、みんな協力するのに。
あの我慢強さはどうしたものか。
医務室で、必死に念仏を唱えている作兵衛を思い浮かべて、藤内はくすくすと笑った。
「え、これを引くの?」
「うん。発色が見たいから」
漆の塗られた蛤の中に入っていた薄紅色の紅。
藤内の言葉に、数馬は薬指で紅を引く。
「いい感じ」
薄紅の乗った唇はやっぱり柔らかそうで、女の子だなぁと思う。
「それ、数馬にあげる」
「え、でも」
「俺には似合わない色だから。そう言えば作兵衛がその色好きだって言ってたな…」
「作ちゃんが?」
一瞬で広がる朱色。
言葉よりも正直なその頬。
ほんとに、あの馬鹿は。と言うか、目の前のこの少女も大概鈍感だけれど。
この薄紅の紅が、どうか二人を結び付けてくれますように。
藤内は、そんな事を思いながら人差し指で自分の唇をなぞる数馬を見て小さく笑った。
:コメント
ちゅーをしたいお年頃の作兵衛と気が付いていない三反田さん。
思春期ドキドキ富数は美味しいと思います。
20120401
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